nakanozenjuku のすべての投稿

憎しみの連鎖を断つ(1)

 サヘル・ローズさん

 サヘル・ローズさん(1985~)のことは以前にもお話しました。イラン・イラク戦争により、4歳で孤児になった人です。そのため自分の名前もわからなかったと言います。救護隊ボランテイア要員のテヘラン大学の学生フローラ・ジャスミンさんに救助され、7歳までテヘランの孤児院で暮しました。サヘル・ローズ(砂漠のバラ)という名はフローラさんの母親(だったと思います:筆者)によって付けられたのです。7歳ときフローラさんの養女になりましたが、イランでは養母になるには「子供を産めない者」という法律があるため、自ら望んで手術を受けたと言います。フローラさんはイランの国王につながる一族でしたが、両親がサヘルさんとの養子縁組を望まず、勘当されたのです。そのため2人で日本へと逃げてきたのです。飛行機がテヘラン空港を離陸するとき、親族はだれ一人送りに来なかったを見て、フローラさんは泣いたそうです。

 日本に来たのはフローラさんの婚約者がいたためですが、来てみるとサヘルさんへの婚約者の”躾”という名の虐待に耐え兼ねて家を飛び出し、母子で2週間ほど真冬の公園でホームレス同然の生活も経験しました。その際、小学校の給食調理員をしていた女性が毎日同じ服を着ているサヘルの様子に気づき、母子に手を差し伸べたのです。夕食の差し入れや、フローラさんの仕事口の世話、アパートの保証人にも名乗りを上げ、弁護士を雇って観光ビザから日本に住めるビザへ申請してくれたのも、その女性だったそうです。同じ日本人として救われる話ですね。また同時期に通っていた小学校の校長から日本語を学びました。しかしサヘルさんは中学校時代には自殺を考えるほどの壮絶ないじめや差別を経験したと言います。いじめの影響で成績が悪かったこと、また授業で育てた野菜を持ち帰えられるという理由から、東京都立園芸高校定時制課程に進学しました。その後、東海大学電子情報学部を卒業しました。

 高校1年生の時、学費を稼ぐため芸能事務所に登録し、外国人のアルバイトエキストラを始めました。ただ、最初は「死体の役」ばかりだったそうです。高校3年で正式に芸能界入りし、モデルやラジオ番組の出演を経てテレビ番組にレギュラー出演するようになりました。現在は映画や舞台、女優、そして映画の製作など、活動の幅を広げていらっしゃいます。主演した映画は国際映画祭にも出品され、ミラノ国際映画祭にて最優秀主演女優賞を受賞した。また、第9回若者力大賞を受賞しました。

 芸能活動以外にも2012年から児童養護施設の支援のほか、国際人権NGO「すべての子どもに家庭を」で親善大使を務めており、世界中を旅しながら難民キャンプや孤児、ストリートチルドレンなど子どもたちの支援活動も行っています。2020年にはアメリカで人権活動家賞を受賞しました。

 そのサヘルさんが最近、NHKの番組にゲストとして招かれました。イスラエルとパレスチナとの長年にわたる確執--恨みと報復のスパイラル--についての再放送でした。感想を求められたサヘルさんの言葉が尊いのです。「母(フローラさん)から、あなたはイランの孤児ですが、イラクにもあなたと同じように戦争で両親を亡くした子供たちは大勢いるのです。恨んで報復することなど考えてはいけません。そこからは何も生まれないのです。戦争はどちらが勝つか、どちらが負けるかということはないのです。どちらも負けなのです。とくり返し言われています」。感動的な言葉ですね。

悟りへ至る正しい道

 ヒマラヤの奥に未知の高峰があるらしい。

 その頂に至れば、いかなる苦しみにも耐え、いかなる悲しみも克服できる、

 絶対安心の境地になれるという。

 神が居ます頂きだ。登頂した人がいるようだがよくわからない。

 今までどれほど多くの人がその頂に立ちたいと願ったか。

 どれほど多くの人が途中で挫折したか。

 どれほど多くの人が「それに達した」と思い込んだか。

 今なお、さまざまなグループが「自分たちこそ正しいルートを辿っている」と

 確信している。

 しかし・・・・

「正しいルートを歩いている」となぜ言えるのか。

では「間違ってはいない」とどうしたらわかるのか・・・・

 それは奇跡が起こったかどうかだ。

 奇跡が起こったことは、もちろん本人には分かる。

 しかし、

 本人だけがわかるのではない。偶然それを見た他人もわかるのだ。

 まったくの素人でも・・・・。

 彼らにはその意味は分からない。

 ただその不思議を目を丸くして見ているだけだ。

読者の方とのやり取り(12)

 柴田さんは熱心な読者のお一人です。誠実なお人柄が伺われ、最近よくコメントのやり取りをしていますが、筆者がかなり思い切ったことを言っても真摯に受け止めて下さいます。そのうちの一つを紹介します。

 筆者は「宮沢賢治の心」を初め、たびたび「法華経は効能書きばかりで中身のない経典だ」とお話しています。柴田さんも以前から法華経の意義には少し疑問を抱いていたそうです。しかし、柴田さんにはとても尊敬していらっしゃる日蓮宗の僧侶がいらっしゃるとか。そのためその根本義である法華経に疑問を持つことにはためらいがあるようで、筆者とのやり取りの文面からそれが感じられます。次は最近の柴田さんからのメールです。

柴田さん:私はその答えが南無妙法蓮華経のこの一言に集約されていると感じます効能ばかりで中身がない法華経に、南無=帰依するということはつまり、それでもあなたは法華経を信じれますか?という裏返しなのだと思います。 

 件のお上人はよくおっしゃいます。
信は智慧の種であると。つまり、南無妙法蓮華経から始まるのだと。そこから芽吹き、花開くのだと。
そのきっかけが信であると。

 今のところはこのくらいしか私にはわかりません・・・・本阿弥光悦や葛飾北斎といった卓越した芸術家もまた日蓮宗・法華経を篤く信仰していたようです。私はできることならその先が知りたいです。彼らは法華経を通して何を感じとったのか?

筆者のコメント:つまり、「まず信じなさい」と言うのですね。筆者の返信は、

・・・・柴田さんがおっしゃる「まず信がある」という考えはとても危険です。カルト教団はどれも「まず信じさせる」を戦術として使っているのが特徴です。良識と知性を以て判断することこそ、すべての人がカルトにハマらないために心掛けることだと思います。北斎や光悦はどうでもいいのです。ご自分の眼で判断してください。私はそうすることによってすべての既存の宗教を判断し、スクラップアンドビルトしたいのです。宗教はすべての人間にとって必要だと思いますから・・・・・。

 ちなみに「宮沢賢治の心」では「賢治は理屈を飛び越し感性を以て法華経や歎異抄の心をつかんだのでしょう」とお話しました。

いかがでしょうか。

読者からのご質問(11)

 読者のyconさんからのご質問:前回いただいたメールの中で、坐禅のとき意識を持たなくすることが大切とございました。この意識を持たなくするというのは、意識を失くすという意味ではなく、意識を意図的に動かさないというような意味になるのでしょうか?
といいますのは、何もしていなくとも寝ているとき以外は意識は常にありますし、坐禅中も意識は存在しているからです。
 ちなみに私は現在坐禅会や自宅でも坐禅をしているときに心がけていることは、意図的に考え事をするようなことはせず、それでも勝手に思いに耽ってしまっていることに気づいた時は、それ以上続けないで坐禅に戻る(現在に戻る)ことです。

お答え:おっしゃるように、「意識を意図的に動かさない」という意味です。つまり、座禅のさい、意識をはっきりと持っていることが肝要です。その上、できるだけモノゴトを考えないことです。

「(座禅の間に)勝手に思いに耽ってしまっていることに気づいた時は、それ以上続けないで坐禅に戻る」

お答え:そのとおりです。ただ、あまり気にしないことが肝要です。

 筆者は座禅の方法を、本やネットで色々調べました。しかし結局は、さまざまな試行錯誤をして自得したものです。yconさんもあとはご自分で体得してください。

ご質問:塾長様はこれまで坐禅の指導者の下で坐禅修行をされてきたのでしょうか?その方はどのような方だったのでしょうか?また、神道系教団での修行やスリランカでの修行経験もおありで最終的には禅こそというお考えになられたとのことですが、色々とやられてきた中で、それぞれお感じになれれたことはあったかと思いますが、なぜ禅こそと思われたのでしょうか?

お答え:ご指摘のように、私はスリランカ・キャンデイにある仏教道場で座禅をしました。スリランカ有数の指導者で、山中の洞窟で永く坐禅修行をしたこともある人とのことでした。ただ、そこで正式な指導を受けたわけではありません。見よう見まねでやっていただけです。私がその後所属した神道系教団では、座禅というより、信者は専ら受け身で霊能を高めていただくというやり方でした。修法はかなり効果的で、私など第一回目から強い霊動を起こしました。ただ、「受け身」と言うのが少々気になったのですが。10年後、別の神道系教団に移りました。前の同じ会員だったある女性から「今から新しく教団を作るので来てくれませんか」と誘われたからです。その人は後に教祖になられました。けっきょくその教団も10年くらいで離れました。理由はお話できません。その後はずっと一人で学び、修行をしています。

 私には、それら教団とは中立的な立場で相談に乗っていただく方がいらっしゃいます。その方は、最初の教団の会員でした。わずかな期間でしたが。私が新しい教団に移るに当たっても、とくに疑問は呈されませんでしたが、「あれくらいの霊能者(新しい教団の教祖)ならいくらでもいますよ」とおっしゃったのが印象的でした。

ご質問:苦しかったとき、禅以外の道は考えませんでしたか。

お答え:私が禅を本格的に学び始めたのは60歳のころです。とても厳しい状況に陥ったためです。そして迷わず「禅しかない」と学び直すことを決心しました。yconさんは「なぜ禅こそと考えたのか」との疑問をお持ちですが、いま考えても不思議なくらい、禅以外には目もくれませんでした。

宮沢賢治の心(2)

 おそらく宮沢賢治は法華経や歎異抄の精神を感性でつかんだのでしょう。理屈でなく。筆者がこれらの経典が理屈の上からおかしいと思う心は今でも変わりません。

 じつは、宗教を感性で理解することはとても危険なことなのです。感性(と思ったもの)は間違うことがあるからです。「すばらしい」と思った宗教がじつはとんでもないまやかしだった ・・・。オーム真理教や旧統一教会問題、〇〇教、〇〇学会など、例は身近にいくらでもありますね。天才だったからこそ賢治は道を誤らなかったのでしょう。いや、賢治には、団扇太鼓をたたきながら花巻市内を行進したことや、あまりに執拗に法華宗への入信を勧めたために、親友の保坂嘉内から義絶されたこともあることなど、やはり異常と見える部分もあったのです。

 賢治の素晴らしさは、仏教を自分の形として表現していることです。詩や小説としてですね。じつはほとんどの宗教研究家は頭で考えているだけです。賢治の研究家についても同じです。そこが賢治との違いですね(註1)。

 賢治記念館の窓から新緑を通して北上平野の美しさを眺めていて、ふと次のような詩ができました。

・・・・・

「賢治の心」

 さらさらと 

 ブナの若葉を さらさらと 

 宮沢賢治の風が吹く

 私の心を さらさらと

 南無阿弥陀仏の風が吹く

 さらさらさらと 風が吹く

・・・・・・

註1私は、苦しい状況を打開するる知恵を得るために必死に禅を学びました。