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死生観(3)避けられない死

死生観(3)避けられない死

 数年前こんな夢を見ました。まあお聞きください。
 薄暗い廊下を一人で歩いていました。どこかはわかりませんが、その先が死であることは、はっきりとわかっていました。死刑場への道だったような気がします。しかし、それを避けることはもちろん、立ち止まることも、叫ぶことも許されません。誰かに押されるわけでも、引っ張られるわけでもなく、ただ前へ歩くよりしかたなかったのです。周りには誰一人居ず、自分の意識だけがありました。本当に恐ろしいことでした。幸いにもその夢は現実にはなりませんでしたが、今でもその時の気持ちはありありと思い出せます。
 前にお話した、ガンで亡くなった筆者の友人たちもそういう気持ちを味わったと思います。体調不良を感じて医者に行き、検査がだんだん進んで行って、いよいよガンであることが確定して行った過程です。恐らく太平洋戦争で特攻攻撃を命じられた兵士たちもそうだったでしょう。よく言われる100%死と99%死との差はたとえようもないほど大きなものだと実感できました。
 筆者はそれが夢だとわかって、何とも言えない気持ちでした。そして、死を決定付けられた人の気持ちがどんなものかが身に染みて理解できました。筆者は禅を中心にさまざまな宗教について書いています。もちろん人間が最も恐れるのは死であり、避けられないそれに対しいかに平常心を保てるか、その安心を得るために人が宗教に関心を持つのでしょう。
 前にも書きましたように、死を目前にしたことのない者が宗教について書き、死後の安心を人に説くのは許されないことだと思っています。あの高僧仙厓が死に臨んで「死にとうない」と言って弟子を当惑させたこと、長年仏道を説いて来た瀬戸内寂聴さんが重病になったとき、「神も仏も無いものか」と言ったことは、信仰のもろさを、本音を暴露したということでしょう。瀬戸内さんはその貴重な体験を、神仏に対する疑問よりも、苦しむ人達への共感へと向けるべきだったのではないでしょうか。一方、東日本大震災の被災者を励ますために現地に乗り込んだ有名寺院のエリート僧たちがすべて挫折したのもわかるような気がします。死の恐怖や苦しみを感じたことのない者が、頭で考えたことで人を癒せるはずはないでしょう。とても共感を得られるとは思えません。逆に「傾聴おことわり」のビラを仮設住宅の扉に張られてしまったのが何よりの証拠、と言ったら言い過ぎでしょうか。さらに、筆者が死生観など軽々しく他人に聞いたり、自ら口にするものではないと言うのもこういうことなのです。

 筆者のこんどの夢は、はからずも、死が決定付けらた人間の心情をわからせていただいた貴重な体験だったと思っています。

禅は宗教か?(1, 2)

禅は宗教か(1)

 確かに禅僧はお坊さんで、僧衣を着てお経をあげています。以前のブログ「科学と宗教」でもお話しましたが、もちろん禅宗は仏教の一宗派です。あの曹洞宗永平寺にも本尊があり、釈迦如来、弥勒仏、阿弥陀如来です。釈迦は説明の必要はありませんね。阿弥陀如来は無量寿仏、すなわち「無限の寿命をもつもの」の意味で、西方にある極楽浄土を治める仏(東方は薬師如来)ですから、全宇宙を主宰する毘盧遮那仏(大仏)の一つ下の階級の仏のようです。弥勒仏は釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏とされていますが、大乗仏教では菩薩のお一人(如来の下)と言われています。つまり、道元は禅の延長上に神を見据えていたのでしょう。
 しかし、それらの衣をすべて剥ぎ取れば、禅は哲学、すなわち東洋独特のモノゴトの観かたなのです。道元やその師、中国の如浄が寺に住み、僧衣を着ていたのは、当時哲学を学ぶには寺しかなかったからです。現代においても西嶋和夫師のように社会で活躍していた人が禅を学ぶため得度して寺に入った例もあります。その一方で、寺という組織に限界を感じ、飛び出した人たちもいます。あの良寛さんがそうですし、以前お話したベトナム出身の禅僧テイクナット・ハン師、わが国では村上光照師がそうです(村上師のことはいずれお話します)。 

 前回、「禅は世界を救う」とお話しました。「禅は仏教だからキリスト教やイスラム教とはまったく相容れないのではないか」との疑問もあるかもしれません。しかし、それはまったくの危惧です。禅は哲学、すなわち東洋独特のモノゴトの観かただからです。他の宗教と相容れないところは一つもありません。そして僧衣などを身に着ける必要も、お寺に入る必要もないのです。ちなみに禅寺で読誦されているのはお経ではありません。「なむからたんのーとらやーやー・・・」は教えではなく、呪文(陀羅尼)なのです。何よりの証拠は、他のお経のように漢語や日本語ではなく、インドの古代語であるサンスクリット語をそのまま詠唱していることです(それについてはいずれお話します)。

 たしかに禅とキリスト教やイスラム教との違いはあります。しかし、その違いにこだわり、目くじらを立てなければなんら矛盾はありません。それどころか、さまざまな宗教・宗派間の対立は、すべて自分たちの宗教・宗派に対するこだわりが原因です。キリスト教とイスラム教との間、はなはだしい場合には同じイスラム教でもシーア派とスンニ派のような、単なる宗派の違いで憎み合い、殺し合って来たのは神の心を正しく理解していない人たちであり、神の意志に反する行為なのです。信仰とは神の心を知り、救いを求めることにあるのは言うまでもありません。
 キリスト教やイスラム教と禅との根本的な違いについては次回お話します。しかし、それはなんら対立を生むものではないことに改めて念を押しておきます。

禅は宗教か(2)禅は宗教ではない(2)
 
 前回、「禅とキリスト教やイスラム教との間には決定的な違いがある」とお話しました。キリスト教やイスラム教では神は絶対であり、およそ人間とは次元の違う存在とみなすからです。「絶対なる神をひたすら尊び、その御心に反しないような生活を送る」これがこれらの宗徒の理想ですね(註1)。ここで、「じゃあイエスキリストは神なのか人間なのか」という疑問が当然出てくるでしょう。この世で生きていらっしゃたのですから。その疑問に対し、筆者が大学教養部の頃、熱心なクリスチャンであったドイツ語教師が「キリストは、ちょうど円と接線のように、神が人間界に接触した唯一の例である」と話してくれました。「なるほど」と、当時は思いましたが、現在では「うまい矛盾の解決法だな」と思えます。屁理屈と言ったら言い過ぎでしょうか。

 一方、禅では「悟りによって神と一体化すること」を究極の目標とします。つまり、神と人間とは隔絶した間柄ではないのです。一方、「いや、今、禅は宗教ではないと言ったじゃないか」と言う人がいるかもしれません。もっともな疑問ですが、まあ聞いて下さい。じつは「禅の目的は悟りによって神と一体化すること」は筆者独自の見解なのです。筆者が禅を学ぶ過程で気付きました。おそらくこれまでの禅師たちにはそういう考えはなかったと思います。前回お話したように恐らく道元も悟りの延長上に神を見据えていたのではないでしょうか。道元が永平寺の本尊としていた阿弥陀仏や弥勒菩薩はなのです。つまりキリスト教で言う「エホバの神」と同じなのです。道元はさすがにわかっていたのでしょう。
一方、大多数の禅宗のお坊さんは阿弥陀如来信仰を持っているわけではなく、「ただ悟りを開くこと」のみを目標としているのでしょう。悟りを開いたその先のこととか、悟りの本当の意味などは考えていないと思います。今言いましたように、よく考えれば当然「神と一体化すること」になるのですが・・・。
 筆者の言う「禅は宗教ではない」とはこういう意味なのです。どちらの道を行くかですね。

 つまり、筆者は「禅とキリスト教やイスラム教はなんら矛盾するところはない。現代のキリスト教やイスラム教徒などの人達が忘れていた正しいモノゴトの観かたは禅にある。世界の危機を免れる重要な知恵だ」と言いたいのです。
註1 仏教にもキリスト教やイスラム教とほとんど同様の宗派があります。それは浄土思想です。仏教は釈迦以来「自力本願」つまり、努力によって平安に達することを教えてきました。それに対し、浄土思想は「ただ(絶対神である)阿弥陀仏におすがりする」という「他力本願」なのです。法然の考えがいかに革新的だったかお分かりいただけるでしょう。
 

 

瀬戸内寂聴さんにとって神仏とは

瀬戸内寂聴さんの神仏に対する考え方と行動

 今回は瀬戸内寂聴さんにとって神仏とはについて、筆者の感想を交えて紹介させていただきます。
 高名な作家ですね。今年93歳。51歳で天台宗の僧侶として、あの今東光師の下で得度。岩手県天台寺などの住職を経て、現在は京都の寂庵に住んでいる。元敦賀女子短大学長。多くの文学賞を受賞し、2006には文化勲章。「寂聴 般若心経」(筆者も読みました)、「人生道しるべ寂聴相談室」など、仏教に基づいたわかりやすい人生相談に関する執筆や、活発な講演活動もしている。また、脱原発、イラク支援など、わが国内外での政治活動も積極的に実践している人です。 

 若い時の、乳児を捨てて夫の教え子の元へ走った・・・などの2度の不倫経験については、このさいあえて問いません。他人が口をはさむことではないと思いますから。瀬戸内さんは、もちろん作家活動も立派ですし、政治活動も筆者の及ぶところではありません。ここでお話ししたいのは、瀬戸内さんの信仰心についてです。

 瀬戸内さんは数年前、かなり重い病気を患ったとか。あまりの苦痛と、その長さで、「神も仏もあるものかと思いました。それを今度の講演で言ってやろうかしら」とNHKのインタヴュー番組で語っていました。筆者はそれを聞いて唖然としました。担当アナウンサーも「でもあなたは、仏の道を説いていらっしゃるではないですか」と、遠回しな言い方ですが、瀬戸内さんの心に関する講演や著作活動と本音とのズレを突いていました。そのとおりでしょう。いくらなんでも「神も仏もあるものか」と言う人が、仏の道を説くのはいかがなものか、と筆者も思いました。そのアナウンサーの穏やかではありましたが、辛辣な批評に対して、瀬戸内さんは「私は小説家ですから!」と答えていました。「小説家だったら、頭で考えたことと本音が乖離していてもいいのだ」と言うわけですね。
  しかし、ことは人の心の問題です。筆者も信仰を持つものとして見過ごすことはできません。神や仏への心からの信頼無くして教えを説いて良いとは、とても思えないのです。読者の皆さんはどう思いますか?

 前回お話したように、筆者は神の存在を実感しています。そして心の問題として、禅を学んでいます。その上で読者の皆さんに、さまざまな仏教のお話をさせていただいているのです。

追記:瀬戸内さんが病気回復後最初の講演で、「病気の時『神も仏もあるものか』と言ってやりましたが、こうして治ってみるとやはり神も仏もあるのですね」と言っていました。

浄土の教えのすばらしさ(1)

浄土の教えのすばらしさ(1)
 
 筆者は、以前お話したように、「歎異抄の呪縛から離れるべきだ」と考えています。「しかし、浄土の教えはすばらしいものだ」とも言いました。両者は決して矛盾してはいません。今回はその理由をお話します。

 まず、浄土の教えとは、大乗経典の内、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の、いわゆる「浄土三部経」を根本経典とする教えです(註1)。ごく簡単に内容をご紹介しますと、「無量寿経」には、阿弥陀仏がすべての人々を救うために立てた四十八の願いが書いてあります。「観無量寿経」には、「王舎城の悲劇」という、古代インドマガダ国の王ビンビサーラ、王子アジャセ、王妃イダイケ親子のすさまじい因縁と葛藤が描かれ、苦しむ王妃が釈迦に救いを求めるお話です。最後の「阿弥陀経」には、極楽のすばらしさ描写されています。これらはすべて、たんなるフィクションの羅列であり、そのまま読んで信じるのはどうかしています(そういう人たちが現在もいるのに驚ろきます)。
(註1「華厳経・十字品」にも書かれており、龍樹の「十住毘婆論」はその註釈です)

 浄土宗の開祖法然は違います。古来先師たちは「無量寿経」に示されている四十八願の内の第十八願の解釈に苦慮してきました。すなわち「もし私が仏となれるほど修行を積んだときでも、すべての人々がまことの心をもって、私の国(極楽)に往生しようと願い、少なくとも十回、私の名(南無阿弥陀仏)を称えたにもかかわらず、(万が一にも)往生しないということがあるなら、私は仏になるわけにいかない。ただし五逆罪を犯す者と、仏法を謗る者は除く」の下線部分です。「すべての人を救う」と言いながら、例外規定を設けたのですから明らかに矛盾していますね。法然のすごさは、その部分をさらりと受け流したことです。
 「観無量寿経」にも極楽に生まれるための方法が書かれており、資質や能力が最低の凡夫でも「ただ南無阿弥陀仏と唱えればいい」とあります。さらに「阿弥陀経」にも「南無阿弥陀仏と唱えなさい」との教えが書かれていることに法然は注目しました。つまり、法然はこれらの経典のフィクションに惑わされることなく、三つの経に共通するものが、「ただ南無阿弥陀仏と唱えよ」であることの重要性に注目したのです。

 じつは法然のすばらしさは、もう一つあります。「浄土三部経」は、他の大乗経典類とは著しく異なるのです。すなわち、他の大乗経典は自力、つまり、厳しい修行によって、「自らの努力で悟りに達しよう」という主旨です。「大般若経」に依拠する禅宗や、天台・真言宗などが好例です。自力の難しさは、現代人とてまったく変わりありませんね。それに対し浄土の教えは、「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」という、いわゆる他力ですね。つまり、大乗経典の中ではきわめて特異的な位置を占めています。法然は、「これだ!」と気付いたのです。
 これらは法然の天才性を如実に表しており、親鸞ならずとも「この人が言うことが、たとえ間違っていて、地獄に落ちようとも後悔はしない(歎異抄で言う「地獄は一条住みかとかし)」と惚れ込むところですね。よく言われるような、法然は当時の「文字も読めず、ありがたい教えを聞くことも少ない」民衆のためだけに説いたのではありません。現代にも立派に通用するすばらしい思想なのです。この念仏の一見の安易さが、他の宗派(現代でも多くの人たちに!)軽んじられている理由の一つでしょう。しかし、南無阿弥陀仏の名号は、爺さん婆さんが、お寺やお墓へ行って「なんまいだー」と唱えるイメージで考えてはいけません。そんなことをただ日常的に繰り返していても、けっして絶対安心の境地にはたどり着けません。
 じつは、法然の言うことが完全にわかって大安心を得た人は、筆者の尊敬する清沢満之や暁烏敏など、ごくわずかだと思います。私たちも「なぜか」と思わなければなりません。

禅は世界を救う(1-4)

禅は世界を救う(1)資本主義の終焉

 水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)がベストセラーになっています。水野氏はあのリーマンショックを予言した人として知られています。同書に書かれた水野氏の指摘はまことにもっともで、改めて18世紀以来の資本主義・競争社会がもうどうしようもなくなっていることを実感します。
水野氏の指摘、すなわち、資本主義が破綻しかかっている理由は以下の二つです。

 1)ゼロ金利:資本主義の基幹は投資による金利(水野氏の言う利潤率。以下同じ)の獲得ですが、ゼロ金利ではそれが成り立たない。10年国債の利回りはアメリカ、日本、イギリス、ドイツ、フランスなどの先進国はすべて2%台またはそれ以下です(アメリカ2.11、イギリス1.78、フランス0.87、ドイツ0.50、日本はわずか0.234、2016年1月現在)。つまり資本主義そのものが破綻に瀕しているのです。
 2)市場の縮小:もう一つの資本主義の基幹であるモノを作って売るための市場が消滅しかかっていることです。これまでは富を開発途上国(周辺国)から中心国へ集める方式(蒐集:搾取ですね)で成り立っていました。植民地政策や、戦争を伴う帝国主義政策がその代表的な手段でした。それにより先進国の15%の人々が、残りの85%から資源を安く輸入して、その利益を享受してきたのです。ところが最近インド、ブラジル、南アフリカ、インドネシアなど、かっての周辺国の発展ぶりには目を見張ります。今、中国などが最後に残された周辺国アフリカへの進出に躍起になっています。しかしそれもやがて行き着くところへ行って終わるでしょう。以上、周辺国が急速に減少し、富を中心国へ集める方式は終ります。

 つまり、資本主義はもう拡大する余地がないのです。なのに無理を重ねて経済成長を目指す(アベノミクス政策はまさにそれです)ことにより、富が一部の富裕層に集中し、中間層(私たち一般市民)が没落する形で民主主義が破壊され、未来世代が受け取るべき利益もエネルギーもことごとく食いつぶし、巨大な債務とともに、エネルギー危機や環境危機という人類の存続を脅かす負債も残そうとしていると言うのです。

 きわめて説得力がある説ですね。「では資本主義の終焉、つまり世界の危機を回避する方法はあるのか」との質問に対して水野氏は「わからない」と答えています。水野氏は解決の可能性は「多くの富の否定」、「搾取の廃絶」、「政府の政策による市場のコントロール」と言っています。しかし、近代資本主義思想で凝り固まった人間社会で、前の二つが達成できるはずがありません。水野氏が「わからない」と言うのはもっともなのです。しかし産業革命以来300年近く続いて来た政治・経済、そして思想の根本、大潮流が消えて無くなろうとしている時、「わからない」で済むはずがありませんね。
 是が非でも世界の人間の価値観が変わらなければならないのです。そして禅こそ世界を救う価値観なのだ、と筆者は考えます。

禅は世界を救う(2)憎しみからの解放

 このブログでは、最初から禅中心のお話を進めるのではなく、浄土の教えなど、他の大乗仏教、そして観念論哲学、スピリチュアリズム、さらには現代の世界情勢から経済問題など、さまざまな方面から筆者の考えをお伝えして行くつもりです。それらを収斂させて行き、力の及ぶ限り、「禅思想の要諦とはなにか」についてお話したいと思っています。そして最後に、なぜ禅思想が世界を救う次世代の価値観となるか、人間を苦しみから救う指針となり得るのかについて論究したいと考えておりました。しかし、現代社会はゆっくりしてはいられないほどの危機に直面しているようです。そこで順序を変更して、なぜ禅が世界を救う次世代の価値観となるかを先にお話したいと思います。その第一項が「禅は世界を救う(1)」でした。今回はその続編です。

 今回のテーマは「憎しみからの解放」です。
 今、シリア、イラク、リビア、エジプト、アフガニスタン、フィリピン、インドネシア、そしてアフリカのさまざまな国で、宗教や信条の違いによる憎しみが蔓延しています。憎しみが憎しみを呼ぶ恐ろしい時代ですね。是が非でも何とかしなければなりません。一番の被害者は宗教とも信条とも関わりのない一般大衆や子供たちだからです。なんとしても「別の価値観があるのだ。それは禅思想だ」ということを世界中の人々が知らなければならないと思います。

 以前のブログ「禅とは何か」の中でテイクナットハン師の活動についてご紹介しました。テイクナットハン師(1926~)はベトナム出身の禅僧です。ハン師の思想と実践はマインドフルネス(気づき)です。マインドフルネスとは、

 ・・・国家同士、民族、異なる宗教、宗派、さまざまな組織、家族間であれ、まず対立する一方が、自らの怒りや恐怖をはっきりと認識し、その上で慈愛をもって相手の言い分に耳を傾けよう。お互い、長い恨みの歴史があり、不信や疑心暗鬼も生じているはず。また、話し合いの途中でも思わず暴言を吐き、相手の話を途中で遮ることも必ずあるでしょう。しかし、まず自分の心を見つめ直し、怒りや不信の根に「気付こう」・・・

と言うのです。
 ハン師はアメリカでのリトリート(癒しの場)で、ベトナム戦争に従軍し、自ら犯した罪の大きさに苦しんでいるアメリカ軍元兵士の相談を受けました。その元兵士は「ベトナム兵の待ち伏せ攻撃に会い、眼の前で仲間を殺された。その仕返しにサンドイッチに毒を仕込んで村の入り口に置いておいた。隠れて見ていたら子供たちが喜んで食べ、苦しんで死んでしまった」と言うのです。ハン師の母国の子供たちなのです。しかしハン師は静かに言ったそうです「これからの人生を、人のために尽くしなさい」と。なんとすごいことではありませんか。

 前述のように、ハン師は禅僧です。禅の心でその兵士にアドバイスしたのです。ハン師の思想と実践は、いわゆる南伝仏教(註1)の「気付き」を基本とします。それについてはいずれお話します。
註1 インドでは仏教はスリランカからタイ、ビルマ、ベトナムなどへと伝わった、いわゆる南伝仏教と、西域から中国、朝鮮を通ってわが国に広まった北伝仏教に分かれます

禅は世界を救う(3)テイクナットハン師の実践(2)

 以前のブログ「禅とは何か(3)」でヴェトナム出身の禅僧テイクナットハン師の思想と実践についてお話しました。
 今回はハン師の思想の原点である南伝仏教についてもう少し詳しくお話します。中国やチベット、日本へ伝わった北伝仏教が、釈迦の教えから大きく変貌した、いわゆる大乗仏教であるのに対し、スリランカや、タイ、ミャンマー、ヴェトナムへと伝わった南伝仏教は、釈迦の教えを色濃く残しているとされています。釈迦の死後、初期仏教教団は上座部と大衆(だいじゅ)部に分裂し、そのうちの上座部が現在の南伝仏教へと続いています。テーラワーダ仏教とも言います。その根本経典はいわゆるパーリ仏典です。釈迦の教えが死後まもなく高弟たちによって整理されたものです。成文化されたのは数百年後ですが、その間の口伝の途中で変化することはほとんどなかったと思われます。口伝は覚えやすいように詩形式でしたから、ちょうど現代の大乗仏教の僧侶たちが多くの経典を正確に伝えていることからも推定されます。
 南伝仏教の基本は気づきにあります。気づきを一言で言いますと、「いま自分は何を考えているか、何をしているか」に気づくことです。どんな人でも普通、自分の考えていること、していることなどに気づかないものです。しかしそれぞれに注意を払えと言うのです。釈迦は「それを積み重ねることによって涅槃に達することができる」と教えています。
 気づきを修法としたものが気づきの瞑想、ヴィッパサナー瞑想です。
この修行法は禅の瞑想法とはまったく異なります。 簡単に言いますと、

 私は幸せでありますように・・・から始まって、
 私の親しい人々が幸せでありますように・・・
 生きとし生けるものが幸せでありますように・・・
 私の嫌いな人々も幸せでありますように・・・
 私を嫌っている人々も幸せでありますように・・・

と念ずるのです(詳しくはヴィッパサナー瞑想でお調べください)。筆者が下線で示したように、私が嫌いな人にでも、私を嫌っている人に対しても、その幸せを祈るのです。それゆえ「慈悲の瞑想」とも称します。これで、前回お話した、ハン師の実践、
「・・・国家同士、民族、異なる宗教、宗派、さまざまな組織、家族間であれ、まず対立する一方が、自らの怒りや恐怖をはっきりと認識し、その上で慈愛をもって相手の言い分に耳を傾けようと言うのです。お互い、長い恨みの歴史があり、不信や疑心暗鬼も生じているはずです。また、話し合いの途中でも思わず暴言を吐き、相手の話を途中で遮ることも必ずあるでしょう。しかし、まず自分の心を見つめ直し、怒りや不信の根に「気づこう」と言うのです。その上で、相手の言葉尻に捉われることなく、最後まで相手の話を聞き、共感できるところは共感しようと言うのです・・・」
がおわかりいただけるでしょう。たしかに、怒り狂っている時、悲しみに沈んでいる時にはそのことに気づいていないのです。それに気づくことが怒りや悲しみを逃れ、正しい人の道へと戻る有効な方法だ、と言うのです。驚くべきことにハン師のフランスにある道場(プラムヴィレッジ:スモモの里)では、イスラエルとパレスチナの人々が一堂に集まって、このリトリート(癒し)を受けているのです。このような試みは他にはまったくないでしょう。アフリカや中東諸国、アフガニスタンやパキスタンで起こっている紛争を解決する最も有効な方法ではないでしょうか。公式な場で議論するよりはるかに現実的ですね。
 禅がどれほど大きな可能性を持っているかの例証でしょう。

禅は世界を救う(4)良寛さんの生き方
 
 良寛さん(1758-1831)は越後出雲崎の庄屋の家に生まれましたが、思うところあって18歳のとき備中(岡山県)玉島の曹洞宗圓通寺に入り、10年にわたる厳しい修行の後、印可(免許)を受けた人です。将来どこかの寺の住職にもなれる肩書ですが、その道へは進まず、以後10年間消息がわからなくなりました。おそらく厳しい修行を重ねつつ、各地の高僧を訪ね、教えを聞いたのでしょう。当時の禅僧たちの堕落振りに失望したとの詩が残っています。そして39歳のとき故郷に帰り、よく知られた「子供たちと手まりやかくれんぼをする生活」になりました。その生活は次の歌に表れています。
この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし
 村人から「お経も読まずに遊んでばかりいる」と咎められた時、「私はこういう人間です」と答えたと言います。しかし実際は生活そのものが修行だったのです。筆者は良寛さんは道元以来の禅を極めた人だと考えています。それは、残された漢詩や短歌から窺い知れるのです。
 
 生涯、身を立つるに懶く 立身だの出世だのに心を労するのがいやで
 騰々、天真に任す    すべて天のなすままに任せて来た。
 嚢中、三升の米     この頭陀袋の中には乞食でもらって来た米が三升あるだけ。 炉辺、一束の薪     炉辺には一束の薪のみ。
 誰か問わん、迷悟の跡 迷いだの悟りだのということは知らん
 何ぞ知らん、名利の塵 まして名声だの利得などは問題ではない。
 夜雨、草庵の裡(うち) 夜の雨がしとしとと降る草庵にあって、
 双脚、等間に伸ばす 二本の脚をのびのびと伸ばし、それだけで満ち足りている。

すなわち、立派な地位にも付かなくても、美味しいものも食べず、きれいな衣服を着なくても、十分充実した人生を送れることを体現した人なのです。

 わが国の、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は年間300-500万トンにも上ると言います。見過ごせないのはその半分が家庭から出ることです。まさに「飽食の時代」ですね。世界の貧しい国々の食糧事情を考えればとても許されないことでしょう。

 私たちは良寛さんのような生きる原点に戻らなければならないのではないでしょうか。これが禅の心なのです。