禅は世界を救う(1)資本主義の終焉
水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)がベストセラーになっています。水野氏はあのリーマンショックを予言した人として知られています。同書に書かれた水野氏の指摘はまことにもっともで、改めて18世紀以来の資本主義・競争社会がもうどうしようもなくなっていることを実感します。
水野氏の指摘、すなわち、資本主義が破綻しかかっている理由は以下の二つです。
1)ゼロ金利:資本主義の基幹は投資による金利(水野氏の言う利潤率。以下同じ)の獲得ですが、ゼロ金利ではそれが成り立たない。10年国債の利回りはアメリカ、日本、イギリス、ドイツ、フランスなどの先進国はすべて2%台またはそれ以下です(アメリカ2.11、イギリス1.78、フランス0.87、ドイツ0.50、日本はわずか0.234、2016年1月現在)。つまり資本主義そのものが破綻に瀕しているのです。
2)市場の縮小:もう一つの資本主義の基幹であるモノを作って売るための市場が消滅しかかっていることです。これまでは富を開発途上国(周辺国)から中心国へ集める方式(蒐集:搾取ですね)で成り立っていました。植民地政策や、戦争を伴う帝国主義政策がその代表的な手段でした。それにより先進国の15%の人々が、残りの85%から資源を安く輸入して、その利益を享受してきたのです。ところが最近インド、ブラジル、南アフリカ、インドネシアなど、かっての周辺国の発展ぶりには目を見張ります。今、中国などが最後に残された周辺国アフリカへの進出に躍起になっています。しかしそれもやがて行き着くところへ行って終わるでしょう。以上、周辺国が急速に減少し、富を中心国へ集める方式は終ります。
つまり、資本主義はもう拡大する余地がないのです。なのに無理を重ねて経済成長を目指す(アベノミクス政策はまさにそれです)ことにより、富が一部の富裕層に集中し、中間層(私たち一般市民)が没落する形で民主主義が破壊され、未来世代が受け取るべき利益もエネルギーもことごとく食いつぶし、巨大な債務とともに、エネルギー危機や環境危機という人類の存続を脅かす負債も残そうとしていると言うのです。
きわめて説得力がある説ですね。「では資本主義の終焉、つまり世界の危機を回避する方法はあるのか」との質問に対して水野氏は「わからない」と答えています。水野氏は解決の可能性は「多くの富の否定」、「搾取の廃絶」、「政府の政策による市場のコントロール」と言っています。しかし、近代資本主義思想で凝り固まった人間社会で、前の二つが達成できるはずがありません。水野氏が「わからない」と言うのはもっともなのです。しかし産業革命以来300年近く続いて来た政治・経済、そして思想の根本、大潮流が消えて無くなろうとしている時、「わからない」で済むはずがありませんね。
是が非でも世界の人間の価値観が変わらなければならないのです。そして禅こそ世界を救う価値観なのだ、と筆者は考えます。
禅は世界を救う(2)憎しみからの解放
このブログでは、最初から禅中心のお話を進めるのではなく、浄土の教えなど、他の大乗仏教、そして観念論哲学、スピリチュアリズム、さらには現代の世界情勢から経済問題など、さまざまな方面から筆者の考えをお伝えして行くつもりです。それらを収斂させて行き、力の及ぶ限り、「禅思想の要諦とはなにか」についてお話したいと思っています。そして最後に、なぜ禅思想が世界を救う次世代の価値観となるか、人間を苦しみから救う指針となり得るのかについて論究したいと考えておりました。しかし、現代社会はゆっくりしてはいられないほどの危機に直面しているようです。そこで順序を変更して、なぜ禅が世界を救う次世代の価値観となるかを先にお話したいと思います。その第一項が「禅は世界を救う(1)」でした。今回はその続編です。
今回のテーマは「憎しみからの解放」です。
今、シリア、イラク、リビア、エジプト、アフガニスタン、フィリピン、インドネシア、そしてアフリカのさまざまな国で、宗教や信条の違いによる憎しみが蔓延しています。憎しみが憎しみを呼ぶ恐ろしい時代ですね。是が非でも何とかしなければなりません。一番の被害者は宗教とも信条とも関わりのない一般大衆や子供たちだからです。なんとしても「別の価値観があるのだ。それは禅思想だ」ということを世界中の人々が知らなければならないと思います。
以前のブログ「禅とは何か」の中でテイクナットハン師の活動についてご紹介しました。テイクナットハン師(1926~)はベトナム出身の禅僧です。ハン師の思想と実践はマインドフルネス(気づき)です。マインドフルネスとは、
・・・国家同士、民族、異なる宗教、宗派、さまざまな組織、家族間であれ、まず対立する一方が、自らの怒りや恐怖をはっきりと認識し、その上で慈愛をもって相手の言い分に耳を傾けよう。お互い、長い恨みの歴史があり、不信や疑心暗鬼も生じているはず。また、話し合いの途中でも思わず暴言を吐き、相手の話を途中で遮ることも必ずあるでしょう。しかし、まず自分の心を見つめ直し、怒りや不信の根に「気付こう」・・・
と言うのです。
ハン師はアメリカでのリトリート(癒しの場)で、ベトナム戦争に従軍し、自ら犯した罪の大きさに苦しんでいるアメリカ軍元兵士の相談を受けました。その元兵士は「ベトナム兵の待ち伏せ攻撃に会い、眼の前で仲間を殺された。その仕返しにサンドイッチに毒を仕込んで村の入り口に置いておいた。隠れて見ていたら子供たちが喜んで食べ、苦しんで死んでしまった」と言うのです。ハン師の母国の子供たちなのです。しかしハン師は静かに言ったそうです「これからの人生を、人のために尽くしなさい」と。なんとすごいことではありませんか。
前述のように、ハン師は禅僧です。禅の心でその兵士にアドバイスしたのです。ハン師の思想と実践は、いわゆる南伝仏教(註1)の「気付き」を基本とします。それについてはいずれお話します。
註1 インドでは仏教はスリランカからタイ、ビルマ、ベトナムなどへと伝わった、いわゆる南伝仏教と、西域から中国、朝鮮を通ってわが国に広まった北伝仏教に分かれます
禅は世界を救う(3)テイクナットハン師の実践(2)
以前のブログ「禅とは何か(3)」でヴェトナム出身の禅僧テイクナットハン師の思想と実践についてお話しました。
今回はハン師の思想の原点である南伝仏教についてもう少し詳しくお話します。中国やチベット、日本へ伝わった北伝仏教が、釈迦の教えから大きく変貌した、いわゆる大乗仏教であるのに対し、スリランカや、タイ、ミャンマー、ヴェトナムへと伝わった南伝仏教は、釈迦の教えを色濃く残しているとされています。釈迦の死後、初期仏教教団は上座部と大衆(だいじゅ)部に分裂し、そのうちの上座部が現在の南伝仏教へと続いています。テーラワーダ仏教とも言います。その根本経典はいわゆるパーリ仏典です。釈迦の教えが死後まもなく高弟たちによって整理されたものです。成文化されたのは数百年後ですが、その間の口伝の途中で変化することはほとんどなかったと思われます。口伝は覚えやすいように詩形式でしたから、ちょうど現代の大乗仏教の僧侶たちが多くの経典を正確に伝えていることからも推定されます。
南伝仏教の基本は気づきにあります。気づきを一言で言いますと、「いま自分は何を考えているか、何をしているか」に気づくことです。どんな人でも普通、自分の考えていること、していることなどに気づかないものです。しかしそれぞれに注意を払えと言うのです。釈迦は「それを積み重ねることによって涅槃に達することができる」と教えています。
気づきを修法としたものが気づきの瞑想、ヴィッパサナー瞑想です。
この修行法は禅の瞑想法とはまったく異なります。 簡単に言いますと、
私は幸せでありますように・・・から始まって、
私の親しい人々が幸せでありますように・・・
生きとし生けるものが幸せでありますように・・・
私の嫌いな人々も幸せでありますように・・・
私を嫌っている人々も幸せでありますように・・・
と念ずるのです(詳しくはヴィッパサナー瞑想でお調べください)。筆者が下線で示したように、私が嫌いな人にでも、私を嫌っている人に対しても、その幸せを祈るのです。それゆえ「慈悲の瞑想」とも称します。これで、前回お話した、ハン師の実践、
「・・・国家同士、民族、異なる宗教、宗派、さまざまな組織、家族間であれ、まず対立する一方が、自らの怒りや恐怖をはっきりと認識し、その上で慈愛をもって相手の言い分に耳を傾けようと言うのです。お互い、長い恨みの歴史があり、不信や疑心暗鬼も生じているはずです。また、話し合いの途中でも思わず暴言を吐き、相手の話を途中で遮ることも必ずあるでしょう。しかし、まず自分の心を見つめ直し、怒りや不信の根に「気づこう」と言うのです。その上で、相手の言葉尻に捉われることなく、最後まで相手の話を聞き、共感できるところは共感しようと言うのです・・・」
がおわかりいただけるでしょう。たしかに、怒り狂っている時、悲しみに沈んでいる時にはそのことに気づいていないのです。それに気づくことが怒りや悲しみを逃れ、正しい人の道へと戻る有効な方法だ、と言うのです。驚くべきことにハン師のフランスにある道場(プラムヴィレッジ:スモモの里)では、イスラエルとパレスチナの人々が一堂に集まって、このリトリート(癒し)を受けているのです。このような試みは他にはまったくないでしょう。アフリカや中東諸国、アフガニスタンやパキスタンで起こっている紛争を解決する最も有効な方法ではないでしょうか。公式な場で議論するよりはるかに現実的ですね。
禅がどれほど大きな可能性を持っているかの例証でしょう。
禅は世界を救う(4)良寛さんの生き方
良寛さん(1758-1831)は越後出雲崎の庄屋の家に生まれましたが、思うところあって18歳のとき備中(岡山県)玉島の曹洞宗圓通寺に入り、10年にわたる厳しい修行の後、印可(免許)を受けた人です。将来どこかの寺の住職にもなれる肩書ですが、その道へは進まず、以後10年間消息がわからなくなりました。おそらく厳しい修行を重ねつつ、各地の高僧を訪ね、教えを聞いたのでしょう。当時の禅僧たちの堕落振りに失望したとの詩が残っています。そして39歳のとき故郷に帰り、よく知られた「子供たちと手まりやかくれんぼをする生活」になりました。その生活は次の歌に表れています。
この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし
村人から「お経も読まずに遊んでばかりいる」と咎められた時、「私はこういう人間です」と答えたと言います。しかし実際は生活そのものが修行だったのです。筆者は良寛さんは道元以来の禅を極めた人だと考えています。それは、残された漢詩や短歌から窺い知れるのです。
生涯、身を立つるに懶く 立身だの出世だのに心を労するのがいやで
騰々、天真に任す すべて天のなすままに任せて来た。
嚢中、三升の米 この頭陀袋の中には乞食でもらって来た米が三升あるだけ。 炉辺、一束の薪 炉辺には一束の薪のみ。
誰か問わん、迷悟の跡 迷いだの悟りだのということは知らん
何ぞ知らん、名利の塵 まして名声だの利得などは問題ではない。
夜雨、草庵の裡(うち) 夜の雨がしとしとと降る草庵にあって、
双脚、等間に伸ばす 二本の脚をのびのびと伸ばし、それだけで満ち足りている。
すなわち、立派な地位にも付かなくても、美味しいものも食べず、きれいな衣服を着なくても、十分充実した人生を送れることを体現した人なのです。
わが国の、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は年間300-500万トンにも上ると言います。見過ごせないのはその半分が家庭から出ることです。まさに「飽食の時代」ですね。世界の貧しい国々の食糧事情を考えればとても許されないことでしょう。
私たちは良寛さんのような生きる原点に戻らなければならないのではないでしょうか。これが禅の心なのです。