正木晃さんは筑波大学博士課程満期退学。純真短期大学教授を経て、現慶応大学文学部・立正大学仏教学部非常勤講師。他に「空論: 空から読み解く仏教」(春秋社)など。
以下、「知れば知るほど面白い般若心経」西東社(臨済宗鎌倉五山建長寺監修)の〈さわり〉の部分(p130~)をご紹介します。
色不異空:色形(いろかたち)あるもの、すなわち物質は空(くう)と異ならない(物質はからっぽ同然である)。世界もしくは森羅万象は「ある」ことは「ある」ものの、それは中身が「ない」こと(空は「からっぽ」、それに対し無は入れ物もないこと)。イメージ:風船。パンパンに膨らんで、存在感はあるが、その中は空虚で、中身がない。
空不異色:「空は、色形あるもの、すなわち物質と異ならない。つまり、空っぽであるものこそ、色形あるもの、すなわち物質だ」。イメージ:晴れて何もない空から雨雲が生まれ、雨が降る。結婚した夫婦から子供が生まれる。何もない土地から植物が育つ。
筆者のコメント:この解釈で納得できる人はいないでしょう。さらにこれらの〈イメージ〉は、いずれも色不異空、空不異色の意味とは「似て非なるもの」です。それにしても空不異色の解釈が〈 結婚した夫婦から子供が生まれる〉とは!
次いで正木さんは、
色即是空:色形(いろかたち)あるもの、すなわち物質は空(くう)である。物質はからっぽである。インド仏教が考える「空=からっぽ」にはさまざまな意味が秘められている。
1)存在があやふや
2)万物は常に変転していて、確固たる存在はない。逆にいうと、変転する存在は確かにある。
3)あるのは現象だけで、実在していない。
以上をまとめて、日本人が古来使っていた用語で表現すると、「無常」になる。
空即是色:空は形あるもの、すなわち物質そのものだ。からっぽであるものこそ、色形あるもの、すなわち物質そのものだ→空即是色であるなら、私も世界も空である。だから、すべてのものに執着する必要はない。
筆者のコメント:「物質はからっぽである」とか「空は形あるもの、すなわち物質そのものだ」「からっぽであるものこそ、色形あるもの」・・・これでは言葉そのままですね!これで納得できる人はいないと思いますが。
正木さんはさらに、「空(くう)には、無限のエネルギーが秘められている」。「ビッグバン理論と空(くう)の特性には、共通する要素が多々ある」と言う。すなわち、「ビッグバンの起こる前は、時間も空間も存在していない状態だった。(その状態は)エネルギーが充満しているが、力をおよぼす方向が定まっていない状態こそ、般若心経で語られる〈空〉なのだ」。
筆者のコメント:失礼かもしれませんが、正木さんはどこかで聞きかじって来たビッグバン理論を、自分でもわからない〈空〉の解釈に使ったとしか言いようがありません。
ちなみに正木さんは、「五蘊とは世界の構成要素である」と言っていますが、筆者は「五蘊とはモノゴトの観かただ」と解釈しています。この解釈の違いこそ重要だと思います。
当書は「建長寺に頼まれて書いたものだ」と言います。仮にも建長寺は鎌倉五山の一つと言われています。しかるに、「この臨済宗の〈名刹〉には一人も般若心経の解説ができる人がいないのか?」という、素朴な疑問を感じます。