平気で生きていること
俳人の正岡子規は、重い結核にかかり、最後には寝たきりになりました。著書「病床六尺」の中で、
・・・・「予は今迄、禅宗の所謂(いわゆる)悟りというものを誤解していた。悟りという事はいかなる場合でも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事はいかなる場合でも平気で生きている事であった」・・・・と言っています。それまで正岡子規は、脊椎カリエスのあまりの痛さに「病床六尺、これがわが世界である・・・・蒲団の外へまで足を延ばしてくつろぐこともできない。甚だしい時は、極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体を動けないときもある・・・・苦痛、煩悶、号泣・・・・麻痺剤にわずかに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢(はか)なさ・・・・
このように子規にとっては生きていることが苦痛そのものだったのです。一時は自死も考えました。「以前は近所を歩くことができた。少し前は家の中で用を足すことができた」のですが、最後はこのように病床六尺だけの天地になってしまったのですね。
しかし、その中にあって子規は「歌よみに与たふる書」など、俳句や短歌の革新活動をし、書き言葉と話し言葉を融合させた人です。つまり、現代日本語を創り出したのですね。「平気で生きていた」のです。
くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる
瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上に とどかざりけり
いちはつの花咲き出でて わが目には 今年ばかりの 春行かんとす
人も来ず 春行く庭の水の上に こぼれてたまる 山吹の花
いくたびも 雪の深さを 尋ねけり
夏嵐 机上の白紙 飛びつくす
へちま咲いて 痰のつまりし 仏かな (以下は絶筆三句)
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひのへちまの水も取らざりき
どれも病床六尺で生まれた傑作ですね。「平気で生きていた」ことの表われでしょう。