無窓国師「夢中問答」(2)

「夢中問答」が始まったのは直義37歳、夢想国師68歳でした。それから4年間続き1342年に終わりました。問答は1‐93まであります。そのうち筆者の目に留まったいくつかについてご紹介します。文章が長いため一部簡約し、わかりやすくするために言い回しを変えました。数字は問答の番号です。

 32)公案の意義

 直義:福徳とか、智慧を求めることを(禅では)ことごとく嫌っているのに、禅宗を学ぶ学者が公案を「さとし」として悟りを求めるのは、差し支えないか。

 国師:古人が「心を持って悟りを求めてはならない」と言っている。もしも悟りを求める心があれば、公案を「さとし」とする人とは言えない・・・公案を与えるというのも、決して宗師(師家)の本意ではないのだ。たとえ情けを掛けて、一くだりの公案を与えたとしても、それは仏の名号を唱えて、往生極楽を求め、陀羅尼(呪文)を誦し、経を読んで功徳を求めるのと同じではない。つまり、宗師が弟子たちに公案を与えることは、極楽浄土に往生するためでもなく、成仏得道を求めるためでもない。すべて情識(囚われた考え)の届かないところである。それゆえに公案と名付けたのだ。

 53)覿面(てきめん)提持の疑・不疑

 直義:公案を看(み)る(考察する)のについて、疑ってみよというのと、疑ってはならぬというのと両論ある。どちらを本(もと)としたらよいでしょうか。

 国師:宗師のやり方には決まった道筋はない。そのつど石を撃った火花のごとくであり、雷電のひらめく光のようである。ある時は疑ってみよと示し、ある時は疑うなと言う。皆これは、学ぶ者に向かい合った時に直接に教えを垂れる詞(ことば)である。善知識(優れた師匠)の胸の中に、かねて蓄えて置いた説法ではない。それ故にこれを覿面(てきめん)提持(目の前で出して見せる)と名付けている。もしこれが悟った宗師ならば、疑えと言って示し、疑うなと言っても何ら差し支えない。

 55)古則着語の公案

 直義:大慧普覚禅師など多くの優れた師匠が、唐の趙州の「無」字の公案を与えられたのは、皆もとの古則のままに挙げて、「これを見よ」と言って示されている。しかるに、近来、唐土の優れた宗師なる中峰和尚が、本(もと)の古則の上に語(ことば)を付け加えて、「趙州はどうしてこの無の字を言ったのか」と公案を示された。その意味はどうでしょうか。

 国師:昔の修行者は、仏道のために発心することが一通りではなかった。そのため身の苦しみを忘れ、路の遠いのをものともせず、諸方へ赴いて、善智識(優れた師匠)の下へ参じた・・・優れた禅師はこれを気の毒に思って、一言半句の公案を示した。みなそれは本分(教えの本質)を直(じか)に指示したものだ。その意(こころ)は、言句の表面にあるのではない。それ故に、利発な修行者は、言外にその本旨を悟った。どうして、さらに他の言句の上で、とかくの論に及ぶ必要があろうか。たとい愚鈍であって、暫時、言句のもとに足踏みしている人でも、自分勝手な考えで推し量ることはしない・・・こうして、あるいは一両日を経て、あるいは一両月、さらには十年・二十年たった後に解けた人もあった。しかし、一生の内についに解けないと言う人はなかった。こういうわけで、昔は善智識の方から、自分の語(ことば)を公案にして、めざめよと勧めたこともない。疑ってはならぬともまた言わない。

 一方、近来の修行者は、求道心がますます薄くなったために、寝る間も食べる間も思案を続けるということがなくなった。さらに師匠も形式的に公案指導と名付けて、明かし暮らしているだけだ・・・そのため中峰和尚は、親切心から「趙州はどうしてこの無の字を言ったのか」とわざわざ注意を喚起したのだ。

 筆者のコメント:現今の臨済宗では(曹洞宗でも)公案の提示は、必要不可欠とされています。しかも筆者がその様子を拝見したところ、両宗派ともほとんど形式的なものになっていました。この夢想国師の言葉は、今の師匠たちには耳の痛い言葉でしょう。

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