為末大さんと禅

 スポーツ選手が心の鍛錬として禅に興味を持つことはよく知られています。王貞治選手は参禅しましたし、川上哲治さんは、とくに監督になってから選手の育成に禅を取り入れ、「球禅一致」という言葉を残しました。

 為末大さんは、ハードルの選手として過去オリンピックに3回出場し、世界陸上競技選手権では2度メダルを獲得した人です。400mハードルの日本記録保持者であり、今もその記録は破られていない。輝かしい実績の裏で、禅をひとつの手掛かりとして、記録の伸ばすのはどうしたらいいかを考えてきたと言う。

 為末さんは、NHK「心の時代・瞑想でたどる仏教・・・心と身体の観察」で東京大学教授箕輪顕量さんと、「アスリートと禅」に関して話していました。番組を視聴して、為末さんは謙虚な人だと感じました。運動競技に禅が役に立つのではないかと考えているいる人で、「禅とハードル」(KKサンガ)という著書もありますが。しかし、けっしてそれを大上段に振りかざすのではなく、「仲間と、記録を伸ばす方法の一つとして禅を学ぶのは有効ではないかと話し合っているが、よくわかりません」と言っていたからです。

 同番組でアナウンサーの「運動競技には極度の集中が必要ではないですか」との質問に対し、「集中がうまく行くとゾーンと呼んでいる心の状態に入る。スタンドの声が小さくなり、体が動いているのを心が追いかけているような気がする。ゾーンの状態になると成績が上がる。しかし、その状態を科学的に表現するのはむつかしい」と。つまり「この状態は瞑想と関係があるのではないか」と言っているのですね。興味ある指摘だと思います。

 しかし、筆者は為末さんのその考えには疑問があります。というのも、筆者は中学生の運動会でまったく同じような体験をしているからです。クラブ対抗リレーで、筆者もバレー部員として参加しました。走り始めてすぐ、ただ観衆の「ワーン」とい声だけが聞こえ、視野はボーっとして、周囲だけに夕焼けの明るさが見えたのです。自分がどの辺を走っているのか、前の走者との距離はどうかなど、まったくわかりません。もちろん完走したのですからコースも把握してちゃんと走ったのは間違いないのですが・・・。終わってから後輩が「もう少しで追い抜くところだった」と言っていたのを聞いて不思議な気がしたほどです。

 あの桜門外の変でも、警護に当たった彦根藩士が同じような体験を書き残しています。「戦い始めると周りがただボーっとしてわからなくなった」と。他の藩士も同様だったようで、事実、同士討ちもあったようです。

 お話したように、筆者がその体験をしたのは中学3年生の時で、もちろん禅など聞いたこともなく、瞑想を体験していたわけでもありません。恐らくこれらの精神状態は、人間が強い緊張状態になった時の共通のものなのでしょう。つまり、為末さんの「ゾーン」を瞑想と結び付けるのは無理があるようです。一流選手と言うものは、走っている時は文字通り無我夢中の「ゾーン状態」で、自分が走っていることを意識しているようでは、とてもオリンピック選手にはなれないでしょう。

 もちろん筆者はスポーツと禅について否定するものではありません。おそらく、スポーツで禅が生きるのは、山岡鉄舟が言っているように、日常的な心の状態が問題になる剣道や弓道などでしょう。為末さんの言うような「その時ゾーンに入れるかどうか」は禅とは関係ないと思います。

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