悉有仏性(4)

 いかがでしょうか。仏教における重要な言葉、悉有仏性(しつうぶっしょうについて、道元は、それまでの仏教家とは異なる独自の解釈を示しました。しかし、筆者紹介した、道元の後継者であるはずの現代曹洞宗の僧侶たちの考えは、すべて誤りなのです。その理由をお話します。

 まず、もう一度道元禅師自身の言葉に戻りましょう。

「正法眼蔵・仏性」第2節、

 ・・・世尊道の一切衆生、悉有仏性は、その宗旨いかん。是什麼物恁麼来(是れ什麼物《なにもの》か恁麼《いんも》に来る)の道転法輪なり。あるいは衆生といひ、有情といひ、群生といひ、群類といふ。 悉有の言は衆生なり、群有也。すなはち悉有は仏性なり。悉有の一悉を衆生といふ。正当恁麼時は、衆生の内外すなはち仏性の悉有なり。単伝する皮肉骨髓のみにあらず、汝得吾皮肉骨髓なるがゆゑに・・・

言葉の意味とヒントだけお話します。

世尊道:ブッダの言葉

宗旨いかん:内容は何か

什麼物恁麼来(是れ什麼物か恁麼)に来る):「空」思想ですね。

道転法輪:ブッダの教え

正当恁麼時:まさにその時

 ・・・ブッダがおっしゃっている一切衆生悉有仏性の意味は何か(註3)。「あらゆるモノゴトの真実の姿は空(くう)である」ということだ。一切衆生とは、あるいは人々のことと言い、すべての生きとし生きるもののことと言い、(山川草木など)すべての存在のことと言う。「空」の思想こそ、ブッダ以来優れた師匠たちが連綿と伝えて来た仏教の本質である・・・。

 いかがでしょうか。道元は、悉有仏性を「悉有は仏性、つまり、すべてのものは仏の真理に従う」と言っているのです。道元の解釈がそれまでの仏教家、そして現代曹洞宗の僧侶とはまったく違っていることはおわかりでしょう。しかも、道元師が「仏性」を「空」と解釈しているのは、むしろ当然だと思います。

註3 釈迦が悟りを開かれた時、「我と大地と有情と同時に現成す、山川草木悉皆成仏」と感動の心で叫ばれたと伝えられています。つまり、「悟りを開いた目で見たら、すべてが空思想に従っていることがわかった」という意味です。その出典はわかりませんが、釈迦自身の言葉か、後代の禅思想家の言葉なのか興味あるところです。

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