相川圭子さんの般若心経

 相川圭子さん(1945-)は、ヒマラヤで厳しい修行を重ね、女性として初めて究極の悟り「サマディ」に達した、ヒマラヤ大聖者と言われる人です。その相川さんが「般若心経」について解説しています(「愛の般若心経」さくら舎2016)。

 ・・・「色即是空・空即是色」とは、

見えて形のあるものは、本当の姿は、何もないのですよ。

何もないところから、形のあるものが現れるのです。

それ故に、見える形のあるものは、空なのです。

つまり消えてなくなるものであり、

何もない、空から、見えて形のあるものが現れるのです・・・。

 相川さんはこの考えをヒマラヤヨガの秘教に基いて得たようです。(以下、言い回しは「です調」から「である調」に替えました:筆者)。

 ・・・ヒマラヤ秘教では、物質の最小のもとは「プラクテイ」と言う。それと究極の純粋な存在、「プルシャ」のエネルギーが「プラクテイー」と感応して、宇宙の創造が展開してゆく。見えない世界から形の見える宇宙が現れてくる。そのことをデイセンデイング(descending下がって行く:筆者)と言う。それらの形あるものはやがて、また消えていく。それら形のあるものは、見えない存在になっていく。それをアセンデイング(ascending上がって行く)と言う。そのようにすべてのものは消滅を繰り返している。瞑想をして、この小宇宙の肉体をとおして、それを体験して行く。そして創造の源のところへ戻って行く。そうして次に生まれることを理解する。

 つまり物には形があり、それに「色」という言葉を当てている。そして、そうした形のあるものは変化するものであり、何もない、実体がないものだ。般若心経はこれを「空」と言った。さらにその「空」のなかから、また現象が生ずる。また「空」であっても、その中にはすべての現象を創り出す力がある。その形のないものになったそこには、永遠の存在があり、そこには生み出す力がある。すべての減少は、そこから生まれる。・・・創造の源をヒマラヤ秘教では、真理と言う。人はそれを「神」と呼ぶ。インド哲学ではブラフマンと言う。それを大乗仏教では「空」と言った・・・。

筆者のコメント:もちろん筆者はヒマラヤ秘教を否定するものではありません。「プルシャのエネルギーがプラクテイーと感応して、宇宙の創造が展開してゆく」かどうかについても「そういうものか」と思うだけです。しかし、ヒマラヤ秘教の考えに基づいて般若心経を解釈しようとする相川さんの考えには無理があります。たんに、ヒマラヤ秘教の考えが頭にあって、般若心経を表面的に解釈したに過ぎないでしょう。こういう人は多いのです。柳沢桂子さんの般若心経解釈もそうでした。

 さらに、「形のあるものは変化するものであり、実体がない」という考えは、従来のわが国の仏教研究者たちの考えとなんら変わるところがありません。相川さんの「ブラフマンは大乗仏教では空と言う」の言葉は、ヒンズー教の人々からも、仏教側の人々からも異議が出るはずです。釈迦の思想は、ブラフマン(神)とアートマン(個我)との一致を理想とするヴェーダ信仰(ヒンズー教)の対立命題として成立したのですから。そしてなによりも「空」は「神」ではありません。「神の眼で見たモノゴトの真実の姿」です。

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