立花隆さん「死後の世界」(4)

 意識とは何か

 意識とは「私であることの自覚」です。喜びも悲しみも、そして「バカにされた」と感じるのも意識あってのことでしょう。動物にも部分的にはあるようです。長年「人間の意識をつかさどるのは脳のどの部分か」の追及が行われましたが、結局特定できませんでした。

 ウスコンシン大学ジュリオ・トノーニ教授は、睡眠時と覚醒時の脳の活動の差を調べたところ、眠っている時になくて、起きている時にあった脳の神経活動は、情報と情報をつなぐ「つながり」だったとか。「嬉しい(感情)、まぶしい(感覚)、誕生日(記憶)、食べる(行動)などのつながりであり、これらを線でつないでいくと蜘蛛の巣のようになった。生物が進化していくと複雑性が増す。その複雑性がある限度を越えると意識が生まれる。犬や猫にも意識がある。鳥や昆虫になるとそのレベルが小さくなっていく・・・単細胞にも意識がありうることになる」と言っています(註3この考えは、実験事実から大きく飛躍した「観念」にすぎないと思います:筆者)。

 一方、意識には顕在意識と、神につながる「魂」の意識があるという考えもあります。ふだんは顕在意識が主ですが、「創造的活動をするときに「パッ」とひらめくのは、魂(そして神)とつながったため」だと言うのです。筆者もこの考えですが、立花さんの言う「信念」かもしれませんね。「モーツアルトの音楽は神のメッセージである」とはあの小澤征爾さんの言葉です。

 体外離脱

 立花さんはさらに「体外離脱」は、「魂」が肉体から離れたのではなく、肉体感覚の錯覚であることを、自らを被検者にして体感しています。すなわち、脳に微弱な電流を流すと錯覚を起こしやすくなると言うのです。

 その場面を視聴して筆者は、子供の時の遊びを思い出しました。

 ・・・手のひら同志を合わせて両手の指を組み、くるりと反転させます。別の人が「この指動かしてごらん」と言っても、自分の思いどうりの指を動かすことができない・・・。つまり、意識と肉体感覚が解離してしまうのですね。体外離脱はそれなのかもしれません。

まとめ

 立花さんが詳細な聞き取りによって、「臨死体験は、人間の霊魂が体から離れ、死後の世界を垣間見たとか、大いなる存在(神)に出会ったのではなく、脳の神経活動であること、体外離脱が、意識と肉体感覚が離れてしまったため起こることを立証したのは(正確には、それを明らかにした研究者の成果を紹介したのですが)、すばらしいと思います。それらの研究はさらに重ねなければなりませんが、現時点でも十分に説得力のある科学的証拠になります。立花さんが「科学的・哲学的無宗教だ」というのもよくわかりますね。立花さんは「死後の世界が存在するかどうかは、僕にとっては解決済みの議論だ」と言っています。ここが霊魂が存在することを何度も体感した筆者とは、決定的な違いです。

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