鈴木大拙博士の「般若心経」についての解釈には、筆者の知る限り英文のものしかありません。おそらく鈴木博士は、長年米国に滞在し、英語に熟達していたからでしょう。ちなみに現在私が眼にする鈴木博士の著作はすべて英語で書かれたものを日本人が翻訳したものです。筆者は何度も鈴木博士の著作を読もうとしましたが、いつも最初の1ページで止めてしまいます。さっぱりわからないからです。たぶん日本人訳者が鈴木博士の真意を理解しないまま、日本語に置き換えたためと思います。なぜなら、テープで聞く博士の講演はとてもよく理解できるからです。
鈴木博士の「般若心経」解釈は以下の通りです。紙幅の都合上、「さわり」の部分だけ紹介します。
漢語で言う、
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
(日本語読み:観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず、色は即ち是空、空は即ち是色なり。受・想・行・識も亦復是の如し)。
の太字の部分です。鈴木博士の英文は、
”O Sariptra. form is here emptiness. emptiness is form; form is no other than emptiness, emptiness is no other than form; what is form that is emptiness, what is emptiness that is form. The same can be said of sensation. thought, confection, and consciousness.
このまま素直に訳せば、
・・・物質(形あるもの)とは「空(から)」であり、「から」とは「形あるもの」である。「形あるもの」は「空(から)」以外の何ものでもなく。「空(から」とは「形あるもの」以外の何ものでもない。「感覚」、「思考」、「(意味不明:筆者)」、「意識」についても同様である。
emptiness について鈴木博士は、脚注で次のように説明しています(筆者抄訳)。
・・・Emptyは大乗仏教でもっとも重要で、同時に、仏教徒でない者には理解するのが難しい言葉です。Emptinessは、(よく言われているような)縁起(relativity)とも無(nothingness)とも違います。さらに、虚無(nihilistic view)とも違います。かといってたんなる論理的思考の産物ではなく、究極の現実(reality)です。言うなれば絶対(Absolute)でしょう・・・。
筆者のコメント:要するに鈴木大拙博士も「空(くう)」の意味をわかっていないのです