死んだらどうなるか

         中野禅塾だより (2015/11/16)

死んだらどうなるか(1)

 死後の世界はあるのか。前回ご紹介した「小説の神様」志賀直哉は、
 ・・・人生は、ナイル川の水の一滴と同じだ。雨のしずくがナイル川に落ち、流れ、最後は海に出る。霊になることも、再生することもない。一方通行だ・・・
と言っています(志賀直哉は88歳で亡くなり、都立青山霊園にある「志賀直哉墓」と書かれた墓の下で眠っている、かどうかわかりません)。
 前著「禅を生活に生かす」でもご紹介した、岸本英夫博士(元東京大学教授1903-1964)はアメリカ滞在中、突然悪性のガン(黒色腫、メラノーマ)の宣告を受けて動揺し、苦しんだ赤裸々な気持を、著書「死を見つめる心」の中で告白しています。
 ・・・よほど気持をしっかり押さえつけていないと、ジッとしていられないような緊迫感であった。われ知らず、叫び声でもあげてしまいそうである。いつも変わらない窓の外の暗闇が、今夜は、得体のしれないかたまりになって、私の上に襲いかかってきそうな気がした・・・
宗教学者である岸本博士は、歴史の中で宗教が天国や浄土といった死後の世界を作り出し、人間の生命が死後も続くと信じることによって、死の恐怖を和らげてきた過程を熟知していました(下線筆者)。しかし、
 ・・・私自身はそうしたことは信じることはできない・・・私の心の中の知性は、そう考える。私の心は生への執着で張り裂けそうだった。もし自分が死後の理想世界を信じることができればどれほど楽だろうかと思った・・・しかし、私の中にある知性は、私に鋭く呼びかけてきた。そんな妥協でお前は納得するのか・・・私は、自分の知性の強靭さに心密かな誇りを感じた・・・
と述べています(結局、岸本博士は「死とは別れである」と納得して亡くなりました)。

 そんなものは知性でも何でもない、と筆者は考えます。なによりもまず、宗教学者であるにもかかわらず、岸本博士がキリスト教、仏教、神道など、いずれの信仰も持たなかったことに、同じ研究者として少なからず疑問を感じるのです。信仰という実践なくして、どうして宗教学者と言えるのか、という素朴な疑問を持つからです。これらの宗教のすべてを10年以上真摯に学んできた筆者は、霊的体験を何度もしています。

  死んだらどうなるか(2)

 前回、宗教学者の岸本英夫博士の言葉「歴史の中で宗教が天国や浄土といった死後の世界を作り出し、人間の生命が死後も続くと信じることによって、死の恐怖を和らげてきた」を紹介しました。筆者自身にはその辺のところはどうもピンと来ませんが、神道系の教団に属していたとき、霊とはしょっちゅうコンタクトしていました。
 すなわち、前著「正・続 禅を正しくわかりやすく」でもお話したように、40代から50代にかけて、ほぼ10年間、前後二つの神道系教団の会員として、いわゆる霊感修行を受けていました。そこではさまざまな霊的体験をしましたが、今回は「死んだらどうなるか」シリーズの一環として、霊と出会った経験について触れます。それは死後も魂が残ることの啓示だったのかもしれません。ただ筆者の霊的体験は、けっしてそれが目的ではなく、必然的結果だったのです。世の中には霊が見えたり、体感できるようになって喜ぶ人がいるようですが(職業にしている人もいます)、筆者は別に嬉しくとも何ともなく、ただ辛かっただけです。そのことをまずおわかりいただいた上で、以下をお読みください。
 たしかに岸本博士の言うように、人間は死後も霊(魂)として残り、再生すると言う信仰(信念?)は、死の不安から逃れるための大きな拠り所となるように思います。そこで筆者の体験を少しお話させていただきます。
 霊とのコンタクトについては、美輪明宏さん、江原啓之さん、佐藤愛子さんなど、さまざまな人たちの体験が、著書やテレビ報道を通してよく知られていますね。筆者の体験を含めて、それらは結局、「経験した人にしかわからない」としか言いようがないでしょう。いくら具体的に話したつもりでも、議論は平行線になり、せいぜい「そういうこともあるかもしれない」になってしまうはずです。
 それでもこのシリーズのために、少しでも説得力があるようなお話をします。筆者は人間の霊から龍神まで何度も憑依されたことがあります。ただし、それが人間の霊だったか、龍神だったかは筆者自身がわかったのではなく、教祖や霊感修行を積んだ人にその場で教えていただいたのです。筆者にとって憑依されたとわかるのは、その時の独特の不快感です。「何とかこの感じを表現できないか」とその最中に必死に考えた結果が、「タンクの中に入れられて強く減圧された感じ」です。ひどい時は、勤務中辛くなって教祖のところへ駆けつけ、除霊をしていただいて帰ってくるとまた・・・という有さまでした。
 その種不快感を感じたことは、その前にも後にもまったくありませんでしたから、やはり特異なものだったと思います。ちなみにその教団では、霊があるかないかなど話題にもならない、ごく当たり前のことだったことを付け加えておきます。

  死んだらどうなるか(3)

 前回筆者の直接体験した霊とのコンタクトについてお話しました。今回は、傍で目の当たりにした、死後も霊が残るケースを2つご紹介します。
 その1)Aさんは20代前半の女性です。筆者が属していた神道系教団の会員だった友人に紹介されて来ました。幻想に悩まされていたと言うのです。「〇〇ちゃんがいない。〇〇ちゃんがいない」と本人さえ知らない名前を口走るのです。教祖がくわしく聞いて見ますと、〇〇ちゃんとは、心中した相手だったのです。「心中しても一緒になれる」というのは甘い考えで、向こうの世界では離ればなれになってしまい、相手を探していたのです。
 その女性は真面目な看護師をしていましたが、ずっと治る見込みのない重症患者ばかり担当し、その無力感からすっかり自分を見失っていたのです。このことは非常に重要ですから、ぜひ記憶しておいてください。自分を見失うほど落ち込むと、他人の霊体が入り込むことがあるのです
 その2)Bさんは20代後半の男性。同族会社で中小企業ではありますが発展しており、次期社長になりうる人でした。ところがある夜、車で帰宅中大事故に遭ってしまったのです。何日も意識が戻らないため、教祖が呼ばれ、母親の涙ながらの訴えにより「御魂戻し」が行われました。筆者は何度も教祖のそのしぐさを見たことがありますが、体から離れて少し上に浮かんでいる「霊魂」(周りの人には見えません)をつかんで体の中へ戻す修法です。Bさんは無事全治し、教団へも顔を出すようになりました。まずは一件落着なのですが、じつはそうではなかったのです。たしかにBさんの体と顔は元のままでした。しかしどうも人柄というか雰囲気が変わってしまったのです。「おかしいな」と腑に落ちない筆者に教祖がそっと「Bさんとは別の魂が入ってしまった」とおっしゃったのです。
 これらのケースを読者の皆さんはどう思いますか。

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