無師独悟
禅にある言葉で、師匠の元につかず、独力で悟りを目指すという意味です。道元は、「悟りを得ようとする者はすべからく寺に入るべし」と言いました。たしかに寺に入れば俗世間の魅惑的なモノゴトや煩わしい人間関係に悩まされることもなく、毎日の規則正しい修行生活をするのは効率的でしょう。また仲間が居ることは、競い合う心も生まれ、修行の辛さにひるむ気持ちも支え合うでしょう。西嶋和夫師のように、一流会社の重職から寺に入った人もありますし、一般社会人から修行僧になった人も少なくありません。
しかし、大変気掛かりなこともあります。それは寺に入れば否応なしに先師の教えを受け、その寺の伝統にどっぷり浸かることになるからです。筆者がこのブログシリーズで繰り返してお話したように、近・現代の著名な禅師たちの禅の理解には誤りが実に多いのです。「そもそも五蘊の解釈が間違えているのだ」にも書きました。ある時ある人が誤った解釈をしたものが連綿と語り伝えられ、今日に至っていることがわかります。つまり、よほどのことでもない限り、その伝統から抜け出すのは容易ではなさそうです。良寛さんはその例外的な一人でしょう。村上光照師は「一所不在」つまり、いかなるお寺にも留まらず、弟子数人とともに修行を続けています。恐らく寺での修行に限界を感じたのでしょう。
橋田邦彦先生のことは以前お話しました。元東京大学医学部教授で、医学の研究と教育に携わりながら、生涯「正法眼蔵」の研究を続けた人です。重要なことは、橋田先生は、当時有名だった禅師たちの著作には、おそらく一顧だにされず、まったく独力で解明に取り組んまれたことです。すなわち、先生は道元の直弟子詮慧(せんね)の書いた解説書「正法眼蔵御抄(みしょう)」を大学図書館で見付け、それを唯一の手掛かりにして、20年掛けて解読されました。そして「今でも毎日解読を続けている」と著書にあります。
筆者には先生のお気持ちがよくわかります。近・現代の著名禅師や仏教研究者の著作をいろいろ読みましたが、さっぱりわかりませんでした。そのため禅の勉強から一時は離れていました。しかし、偶然橋田先生の「正法眼蔵釈意」に出合い、「これだ!」と思いました。橋田先生の著書でさえ筆者には難解でしたが、先生の真摯な態度に、同じ研究者として共感するところがあったのです。そこで橋田先生の著書に絞って必死に学びました。そしてようやくなにか「正法眼蔵」の主調のようなものがわかったのです。本当に嬉しいことでした。筆者が最初の著作に「橋田邦彦先生に」と献呈したのはこういうわけです。
一人だけで坐禅・瞑想を毎日きちんと続けるのは、なかなか大変です。筆者は欠かすことはありませんが、時として集中力が下がってしまうこともあります。この点、禅寺では仲間が居るだけお互いに励まされるでしょう。しかし、良寛さんは畑でも坐禅・瞑想したとか。要するにその人の意志次第です。