地獄を見た人は神に出会う(1,2)

地獄を見た人は神に出会う(1)

 「神の存在を信じられるかどうか」が、信仰の一つの分かれ目になっているようです。「神も仏もあるものか」と、大病のあまりのつらさに叫んだ瀬戸内寂聴さん、東日本大震災の惨禍を目撃した釜石の僧侶芝崎恵應さんは論外です。ただちに仏の道を説くのを止めるべきでしょう。そんな資格はありません。
 筆者がここでお話しているのは、もっと真摯に神仏を求めている人たちのことです。「神が実在することが実感できないから、今一つ信仰の道へは入れない」とか、「神仏が実在することを証明してくれたら信仰に入る」と言う人は少なくありません。筆者もある人から直接そう言われたことがあります。その人たちの気持ちはよくわかります。現代でさえ、いわゆる淫祠邪教はいくらもあるからです。財産をすべて剥ぎ取られ、その団体の雑役夫になっている人は数限りなくいます。もちろんこれらも今回のお話の論外です。

 しかし、死ぬほどの苦しみに出会った人は、じつは神のすぐそばに居ることに気が付かなければなりません。願ってもないチャンスなのです。瀬戸内寂聴さんや芝崎恵應さんは、この貴重なチャンスを自ら放棄してしまったのです。筆者はある人が、長い苦しみの果てに信仰の真髄を得たことを知っています。その間の心の遍歴を書いたお手紙を読んで感動しました。キリスト教を通じてでした。
 キリスト教や仏教がなぜ現代の日本人にすなおに受け入れられないのか。仏教に関しては、これまでその病根についてなんどもお話してきました。キリスト教についても、ほとんどの人はたんなる生活習慣の一部になっているに過ぎないでしょう。浄土の教えやキリスト教はすばらしいのですが、そのほんとうの良さがわかっていない人が大部分なのです。

 佐藤初女さんをご存知でしょうか。弘前市で自宅を開放し、重い病気や家庭内の不和、事業や受験の失敗など、さまざまな悩みを抱えている人たちを受け入れ、心のこもった食事を提供して来た人です。自殺を考えている時、知人から「だまされたと思って行きなさい」と諭され、訪れた人もいるそうです。後に多くの支援者の協力により、車で一時間の岩木山の麓に「森のイスキア」という施設を建て、悩める人たちの心の支えになりました。佐藤さんは敬虔なキリスト教信者で、信仰に裏付けられた活動でした。「でした」と過去形で書きましたのは、惜しくもつい先月亡くなられたからです。94歳でしたからその人生の尊さは十分果たされたでしょう。

 佐藤さんは17歳のとき結核に掛かり、じつに17年間もの闘病生活を送りました。青春のすべてが病苦との戦いだった、と言ってもいいでしょう。しかし佐藤さんは、「神も仏もあるものか」の方向へは行かず、一生掛けてキリストの教えを体現したのです。「地獄を見て神に出会った」のですね。
 ここに真の信仰者のすごさがあります。この佐藤さんの活動を聞いて、「神が存在する証拠を見せてくれたら信仰する」と言う人たちはどう感じるでしょう。佐藤さんの生きてこられた道のりは、神は見えなくても聞こえなくても実在されることの、なによりの証拠ではないでしょうか。

地獄を見た人は神に出会う(2)
 前回お話した佐藤初女(さとうはつめ)さんは、17歳のときからじつに17年間も結核を患った人です。青春の大切な時期すべてと言ってもいいでしょうね。その佐藤さんは「私は死を恐れるとか、恐れないとか、そのような気持ちはありません。現在刻まれている一瞬一瞬を真摯に受け止めることが死の準備となると考えています」とおっしゃっていました。次は「おむすびの祈り」(PHP出版)に書かれた言葉です。
 佐藤さんは40年以上、悩みを持つ人を受け入れ、食事を共にし、お話を聞いてきた人です。夜中に電話があるかもしれないからと、枕元に電話機を置いて寝たとか。突然夜半に玄関の戸をたたかれ、「こわかったけど、その人には切羽詰まった事情があるのだろう。もし神様だったら受け入れるだろう」と、扉を開けたそうです。「つらいと思ったことはありませんか」との質問に対し、しばらくためらったあと、恩師であるカナダ人神父の言葉、
 ・・・奉仕のない人生には意味がない。奉仕には犠牲が伴う、犠牲の伴わない奉仕は秦の奉仕ではない・・・
が心に深く残っているとおっしゃっていました。40年以上も人のために奉仕を続けることがどれほど大変なことか、察するに余りありますね。佐藤さんは、17年もの闘病の間に信仰が深化し、この奉仕活動につながったのだと思います。筆者はこのお話を聞いて、「人生にはムダはない。神さまはムダはなされない」と思いました。
 佐藤さんは病を押して、友人のためになろうと向かう電車の中で出会った不思議な体験について書いていらっしゃいます。
・・・そのとき座っていた向かいの窓のあたりに濃い白い霧のようなものが流れるのを見ました。何か書いてありますので目を凝らしますと『友のために命を捨てるこ。とほど尊いものはない』とありました。しばらくして恩師から手紙をいただきましたが、その中になんと同じ言葉があるではないですか・・・
というものです。もちろん筆者はこの佐藤さんの神秘体験を信じます。

 同じく、敬虔なキリスト教信者であり、「長崎の鐘」や「この子を残して」(中央出版社)の著者永井隆博士(1908-1951) は、原爆に被曝する前から、長崎医大の放射線医学教授として、X線やラジウム照射医療従事者として勤務していました。そしてその深刻な職業病である、慢性骨髄性白血病や悪性貧血の症状が重くなり、余命3年と診断されました。永井博士は、その夜すぐに夫人にすべてを打ち明けたとか。ともに敬虔なクリスチャンであった夫人は、「生きるも死ぬるも神様のみ栄えのためにね」と答えたと言います。その夫人は原爆で二人の幼い子供を残して、わずか数片の骨になってしまいました。
 
 次は筆者の知人から聞いた話です。知人の娘さんの義父も熱心なキリスト教者だったそうです。がんに侵され、余命1ヶ月と言われた時に見舞いに行くと、淡々と読書をしていたのを見て驚いたそうです。

 ご紹介したお話はいずれも、本物のキリスト者ならではの言葉ですね。筆者が「キリスト教はすばらしい教えだ」と思っているのはこういうエピソードからです。神様が実在されることのなによりの証拠ではないでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です