中国の仏教ブーム:禅とは何だろう(4)

 先日のNHKクローズアップ現代+で、中国で仏教大ブームと報じられていました。現代の中国が抱える厳しい現実が人びとを仏教へと向かわせるのです。そこで紹介されたケースは、

 1)かなり有名だった音楽プロデユーサーが、仕事も家族も投げ捨てて仏教の修行僧になったケース。それまでの経済至上主義政策の結果、激しい競争をを引き起こし、それに負けないようにと、かなり悪どい裏取引をしていたとか。彼の良心がそれに耐えきれなくなったため、出家の道を選んだと、涙ながらに懺悔の祈りをしている姿が印象的でした。

 2)仏教セミナーに参加する中小企業の経営者たちのケース。中国では企業の寿命は3年と言われ、それらの経営者たちは激しい競争に疲れ切って、仏教に救いを求めに来ると言っていました。あるコンサルタント会社経営の男性は「急速な成長を求め競争が激しくなり人びとは落ち着きがなくなりました。私も業績を上げることばかり考えていました。そうした考えを改めなければならないのです。毎日仕事の前にここ(寺)に来ます。ここへ来て不安が焦りが少なくなりました。今では仕事中にも般若心経を持ち歩き、イライラした時それを読むと心が鎮まる」と言っていました。

 3)また若者の間にも仏教がブームになり、ある大学を卒業したばかりの21歳の女性は、「働いても働いても豊かにならない両親を見ていて、将来に希望が持てなくなりましたから、この寺にやって来ました。私も楽になれる境地を探したいのです。なんとか今の状況から抜け出したいのです」と言って坐禅をしていました。

 4)社会は家族とのつながりを絶ち、出家する若者も後を絶たないとか。北京大学や精華大学などの将来を期待されたエリート学生たちが仏の教えにすがろうと出家している。得度後、それぞれの若者が次々に「コネがモノを言う不公平な社会、汚職も蔓延しています(摘発される公務員は年間5万人にも達すると言う)」「お金は一時的な楽しさしかもたらさないのです。権力に執着し投獄された人もいます。金に目がくらみ人格が変わった人がどれだけいるでしょう」。「勉強も頑張り親の期待にも応えました。それでも楽しくないのはなぜでしょう。どこへ向かえばいいのか分かりません。お父さん、お母さん私は旅立ちます」などと告白していました。

 とくに最後の告白は胸を打ちますね。これらのケースを見ていると、なぜ人間が宗教に向かうか、何を求めているのかがよくわかりますね。今や、仏教人口は3億人にも達すると言います。

 この世情に対し、習主席は「仏教は中国の特徴ある文化であり、宗教心や考え方、文化や宗教心に大きな影響を与えました」と演説し、文化大革命で破壊された仏教寺院の復興に予算援助するなど、仏教を奨励しています。これには驚きました。なにしろ文化大革命の時にはすべての宗教を否定し、寺や仏像を破壊したからです。この動きに対し、ある中国の宗教学者は「中国では今さまざまな問題があり、人びとの心は動揺しています。指導者は人々の心を安定させるために、仏教を文化として人々の生活に復活させるべきだと考えている」と言っていました。つまり、中国は政策の都合で、人間の心の問題であるはずの宗教の事情が、がらりと変わってしまうのです。

 ことほどさような中国の仏教ブームで、「さもありなん」と思います。ただ、報道で見る限り、変化のスピードが早すぎるように思われました。筆者の主観では、もう少しよく見極めてから信仰の道に入る方が良いような気がします。白い上下を着て修行している人たちの姿を見て、あのオーム真理教を思い出さずにはいられず、少し異様な感じがしました。けばけばしい仏像や仏像まがいの造形も気になりました。番組へのTwitterでも紹介されていましたが、ブームの背後にはやはり便乗商法の匂いもしました。

 筆者は、中国の仏教はすでに衰退してしまったと思っています。もともと道教の伝統があり、中国人の現世利益志向と相まって変質してしまったからです。仏教本来のあり方を取り戻すのは容易なことではないでしょう。それゆえ、怪しげな「仏教」が、悩む人たちに対応している現実は、しかたがないのかも知れません。いや、しかたがないではすまされないと思います。なにしろ人間にとって最も重要な心の問題ですから。
 
 中国にはすばらしい仏教の伝統がありますから、もっと落ち着いて仏教の指導者がそれらを学び直してから門戸を開いた方が、よほど稔りがあるように思えました。いずれにしましても、中国で仏教に関心を持つ人が増えるのは当然でしょうし、大切なことだと思います。

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