死と向き合う

死と向き合う‐NHK「団塊の世代・誰にでも訪れる”死”-どう考える?」より

 キリスト教のシスターで、聖心女子大学教授鈴木秀子さんは、これまで千人以上の人の死を見送ってきました。その枕元で手を握りながら言います「死はいかなる人にも例外なくやって来ることをもう一度確認して下さい。人生の終わりというのは、この世を卒業して自分の意志で向こうの世に生まれ変わって行くすばらしいチャンスです」と。そして、「吐く息ごとに、不安や心配が一つひとつ出て行きます。過ぎ去ったことはすべて許されます(註1)」と話し掛けて、穏やかな死を迎えさせているとか。本当に尊い行為ですね。
鈴木さんご自身は以前、階段から落ちて4時間の臨死体験をした。時間のない、明るくてあたたかい世界だった。神の世界のすばらしさを実感した」と言っています(註2)。

 「神に対する深い信仰を持っている人の臨終は、そうでない人とは全く違い、最後まで平静を保って見事だ」と、ある長年ホスピ((終末期医療)に携わっていた人は言っています。以前このブログシリーズでも、「末期ガンの患者を見舞いに行ったらあまりにも平静だったので驚いた。その人はキリスト教信者だった」という友人の経験談を紹介しました。

 ただ、神や天国の存在を信じられない人たちにとってはこれらの話は説得力が弱いでしょう。「今まで神仏などまったく信じて来なかったのに、この期に及んで神仏に頼るのは・・・」と正直に告白する末期ガン患者もいました。

 鈴木秀子さんはさらに、「死を間近にした人の多くの人が『仲違いして疎遠になった人と和解したい』と言った」ことを紹介しています。また、あるガン患者の「残された家族のことが気掛かりです」に対して、「それはあなたの思い上がりです。人はちゃんと生きて行く力を神から与えられているのです」と答えています。味わい深い言葉ですね。

 全国で100か所以上開いて来た「ガン哲学外来」主宰の順天堂大学教授桶野興夫さんは言います。「今までの医療は高度は技術の施行者だった。医師は死を前にした人々に寄り添う気持ちが薄かった。その強い反省からこの「ガン哲学外来」と開いた」と言っています。樋野さんはまた、「ただ相談者の話を聞くだけではなく、対話するすることが大切だと気づいた。解決はできないけど解消はできる」とも言っています。この「外来」に集まったガン患者たちは「患者同士が、お互いの悩みを吐露し合って、気持ちがずっと楽になった」と話しています。
 樋野さんは死の不安におびえる相談者と30分から1時間かけてゆっくり対話し、「どうせ死ぬなら自分のことばかり考えないで、人の役に立つようなことを考えたらどうですか。死はあなたの最後の大仕事ですよ。頭を切り替えることが大切です」とアドバイスしているそうです。つまり、「悩みはあってもちょっと優先順位を変えさせ、本人が自ら変わるように手助けするのです」と。

 番組では、ある重いガン患者が、「今まで抗ガン剤の副作用に苦しんだ。またガンが再発し、医師から『前よりもう少し強い副作用があります』と言われ、もうあの抗ガン剤の苦しみは味わいたくない。それよりも残された毎日のささやかな時間を楽しみたい」と、治療を断った談話を紹介していました。たしかにそれも重要な選択肢ですね。

註1)「過ぎ去ったことはすべて許される」かどうかについては疑問です。筆者はこの問題についてさまざまな方向から調べたことがあるのです。たしかに神はすべての罪を許して下さいます。しかし、それには大切な条件があるのです。つまり、瀕死の人に向かって「そのままで許されます」と言うのは、有効かもしれませんが、疑いもあるのです。方便とは言え、間違ったことを言うのはいかがなものでしょう。

註2)アメリカなどには、臨死体験を真面目な科学として研究している人もたくさんいます。日本でそういう研究をすれば、周囲から強い反発があるはずです。国民性の違いでしょう。研究の結果、脳の特定の部分に弱い電気刺激をすると、被験者は体外離脱を体験することが確かめられています。さらに、「トンネルの向こうにまぶしいほどの光が見えた」とか、「すばらしい花園があった」というような臨死体験は、じつは人間の防御機構の一つとしてDNAの中に組み込まれており、死に瀕した時それが「幻想」として発現するのだと言う科学者もいます。つまり瀕死の人が見た風景がほんとうに天国だったのかどうか、疑問もあるのです。

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