神の心を忘れた戦争行為(1,2)

神を忘れた戦争行為(1)

 先日、4夜にわたって、NHK特集「東京裁判」が放映されました。NHKが8年間、裁判を担当したアメリカ、中国、イギリス、フランス、オランダ、ソ連、ニュージーランド、オーストラリア、インド、フィリピン、カナダの判事たちが残した日記や書簡などを詳細に調査し、それらに基づいてドラマ仕立てにしたものです。文字通り力作で、深い感銘を受けました。

 起訴された28人の戦犯容疑者について、キーナン検事たちや、清瀬などの弁護人とのやり取り、証人たちの証言などが適宜盛り込んてありましたが、11人の判事たち同士の激しい議論が中心でした。
 罪状は1)平和に対する罪(侵略罪 註1)、2)人道に対する罪(註2)、そして3)戦争犯罪(軍紀に反した行為)の罪に分かれ、それぞれについて有罪か無罪かを審理するものでした。まず念頭に置かねばならないのは、これらの判事や裁判長の人選を含め、マッカーサー元帥の意向が強く働いていた点です。ただ、マッカーサー元帥は、審議の内容については、直接介入していたわけではないようでした。

 判事たちの間でいちばん意見が分かれたのは、これらの被告たちが1)の平和に対する罪(侵略罪)に該当するかどうかについてでした。「該当しない」との意見は、オランダのレーリング判事と、インドのパル判事でした。あとの9人はすべて「該当する」でした。レーリング判事とパル判事の「該当しない」の理由は、それは「事後法」だというものでした。「事後法」とは「罪の不遡及」とも言い、「当時それらの行為を禁止する法律がなければ、無罪である」という、法学の大原則です。たとえば、最近わが国でもIT関連のさまざまな犯罪行為が増えてきましたが、将来、重大な問題となると思われる行為について、次々に法律が制定されていることから分かります。つまり、同じ行為についても、その法律が成立する以前の案件については、遡って訴追してはならないのです。
 レーリングやパルの主張に対して、残りの9か国は「侵略を禁止したパリ不戦条約があるじゃないか」と反論しました(註1)。

 東京裁判の判決の前に、旧ドイツの戦犯についてのニュルンベルグ裁判があり、すでに刑は決定していました。ドイツが始めた戦争も、日本が始めた戦争も、外国への侵略がきっかけでしたから、当然、「侵略罪」が成立しそうです。しかし、ここに重大な問題が出てきます。それらの侵略行為は、それ以前に行われたロシア帝国による近隣諸国の占領、イギリス、フランス、ベルギーなどによるインドやアフリカ諸国の植民地化は、ドイツや日本の行為となんら変わるところがないからです。東京裁判における外国人弁護士が「私は、広島長崎への原爆投下を指令した人間を名指すことができる」と言ったのには説得力がありますね。

 「事後法」は、「一事不再理の原則(一度確定した無罪判決については、後で覆されない)とともに法律の大原則ですから、レーリング判事やパル判事の主張はまったく正当なのです。「事後法」になることを十分承知していた他の判事たちが、それでも強硬に「有罪」を主張したのは、ニュルンベルグ裁判の判決を覆してはいけないという大前提とともに、日本が始めた戦争により、中国やフィリピンの非戦闘員の死者があまりにも多かったためです。ちなみに、第2次世界大戦による死者総数6500万人の内、4000万人が非戦闘員、つまり一般市民だったという事実を斟酌しならないからでした。それは断じて戦争による犯罪、つまり上記2)や3)の戦争犯罪に該当するとは言えません。たとえばドイツによるユダヤ人の虐殺は600万人と言われていますが、ヒットラーの「アーリア人純血主義」と言う狂気の思想によるものです。決して戦争犯罪とは言えませんね。それでもあまりの犠牲者の多さに、たとえ原則を捻じ曲げてでも、ドイツの戦争犯罪人を罪に問わねばならなかったのでしょう。

註1 1928年に制定された不戦条約ですが、いわゆるザル法で、イギリスやアメリカは「国境の外で、国益にかかわることで軍事力を行使しても、それは侵略ではない」との驚くべき留保を行いました。

註2 ドイツがユダヤ人に行ったホロコーストのように、一民族を根絶やしにする戦争行為。ニュルンベルグ裁判で「制定」された、明らかな事後法でした。たとえそうであっても、ドイツの蛮行を何がなんでも裁きたかったのでしょう。筆者もよく理解できます。それが実際に日本の戦犯に適用されました。
 たしかに、日本についても同様で、中国やフィリピン判事の主張する「犠牲者一千万人以上」はとても無視することはできませんね。

神の心を忘れた戦争行為(2)

 わが国でも、「東京裁判は勝者による一方的なものだ」と言う人が今もよくいます。さらに「広田弘毅元首相などは、強引に有罪とされた」と言う人が当時からいました。
 筆者がこれらの「東京裁判シリーズ」を懸命になって視聴し、学習した感想は、「東京裁判は決して勝者による一方的なものだと決めつけてはいけない」でした。もちろん、広田弘毅が死刑になったことについては気の毒に思います。それでも「連合国の検事や判事たちは、かなり正当な判決をした」と思うのです。ではなぜ筆者がそう考えるのか。それは別の理由からです。

 すなわち、この番組は前述のように力作ですが、重要な視点が抜けているように思います。それは、日本やドイツの自国民の犠牲者のことです。太平洋戦争による日本の犠牲者は軍人が250万人、一般人80万人と言われます(ちなみにドイツの戦死者325万人、一般人335万人)。

 日本はなぜ、あんなに無謀で悲惨な戦争を起こしてしまったのか。筆者はその理由を30年以上にわたって調べてきました。読んだ資料は100冊を下らないでしょう。絶対に戦争責任者を突き止めなければなりません。そういう意味で東京裁判の意義はとても大きいのです。裁判開始の頃、ウエッブ裁判長は「半年くらいで決着するだろう」と言っていました。しかし、実際には2年半もかかったのです。「どうしてそんなに長引くのですか」という記者の質問に、「あまりにも調査する資料が多いからだ」と答えていました。
 
 もし、「東京裁判は連合軍による勝者の裁判」と言うのなら、戦争を引き起こした人間たちをだれが裁けたのでしょう。亡くなった兵士の大部分すら一般市民だったのです。兵士たちはもちろん、一般大衆は戦争を引き起こした人間も、あんなに悲惨な結果に終わった理由もほとんどわからずに死んだのでしょう。戦死者の4割は餓死でした。残りの6割の内3割は、「極限的な栄養失調によるマラリヤや赤痢などの感染による死」と言います。さらに、残された遺族たちの苦しみや悲しみの大きさは、想像もできません。それはドイツとて同じでしょう。初めはヒトラーに煽られた興奮状態だった出でしょう。しかし、結果は合わせて700万人の兵士と市民の犠牲者だったのです。ああいうことは日本人やドイツ人の体質も原因の一つかもしれません。両国の戦争の責任者を、なにがなんでも突き止めて、二度と起きないようにしなければなりません。

 では連合国ではなくて、当時のわが国やドイツのだれが戦争責任を追及できたでしょうか。あの状況では、まったく不可能だったとしか言いようがありません。膨大な資料の収集、2年半もかけた徹底的な審理によって、戦争犯罪の全貌がわかったのです。私たちは連合国の関係者に感謝しなければならないのです。もし時機を逸していたら、あんなことはできるはずがありません。「勝者による裁判」などと、どうして言えるのでしょうか。
 
 柳条湖事件をひき起こした石原莞爾、インパール作戦の首謀者牟田口廉也中将、「最後の一機で私も突入する」と言って実行しなかった陸軍の特攻作戦の最高責任者の菅原道大中将や、「最後の一機で敵前逃亡した」富永恭次各中将など当然重罪にすべきでした「潜行三千里」で連合軍の訴追を免れた辻正信など論外でしょう。海外でろくな裁判も受けずに処刑されたBC級先般は1000人以上(5000人以上とも)と言われています。

 これが東京裁判に関する筆者の思いです。
 戦争に至る経過や推移を見ていますと、当時の軍人はもちろん、政治家や一般国民に至るまで、神の心などまったく忘れた狂騒状態だったとしか言いようがありません。日本人はともかく、ドイツ人はみんな敬虔なキリスト教信者だったはずです。

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