霊的世界はある(その6)
加山雄三さんの体験
「神秘世界のことを目の前で見せてくれたら信仰する」と言う人は少なくありません。その気持ちはわからないでもありませんが、じつは神の世界への道とは正反対の態度なのです。キリスト教では、「叩けよさらば開かれん」という言葉があります。この言葉には深い意味があるのですが、信者の中にもその意味がよくわかっていない人が多いのです。長い間生きて行く問題で苦しんだ挙句、この言葉の真意がわかって回心した人を知っています。その詳しいお話しはいずれします。
筆者の古い教え子の一人も「神秘世界のことを目の前で見せてくれたら信仰する」の一人でした。卒業後10年ほどしてから、ふらりと筆者の研究室を訪れ、ニコニコしながら「手かざしで果物が傷まなくなるのを見せてくれ」と言います。筆者が以前、なにか神秘現象について、その人に話したことがあったのでしょう。たしかに「手かざし」で病気を治したりする新興宗教の一派があったようですが、筆者には関わりがありません。しばらく雑談をして帰りましたが、何か様子が気にかかり、数ヶ月後、実家へ電話をしてみました。聞くと、事業に失敗して今は行方不明だとか。あの時のニコニコ顔の裏には深刻な事情があり、「神を信じたいがその証拠が欲しい」と、筆者を訪れたのでしょう。もっとゆっくりと話を聞いてあげていたらと悔やまれました。
加山さんの神秘体験(1)
このブログシリーズでは、「閑話休題」という形で、この重要な問題について、少しでも多くの人々の切実な願いに応えらればと、さまざまな神秘体験についてお話してきました。そのさい、「できるだけ客観的に」と、筆者自身の体験(たくさんあります)は避けて、ちゃんとした新聞やテレビの真面目な報道について紹介してきました。今回は、加山雄三さんの体験談についてお話します。
加山雄三さんはご存知のように、俳優で歌手で、明るい都会的センスを持った人ですね。加山さんがある日のテレビで、昔こんな体験をしたと言っていました。友人達と田舎へ行った時のこと、裏山の木立の中に小さな祠があった。ふと見ると祠の扉付近から一筋の光がスーッと前に向かって差しているのを見つけたのです。驚いて騒ぎ、祠の中をのぞいても、後ろへも回ってみても、別に何にも仕掛けはなかったそうです。それどころか後ろの板壁の間からは向こう側にいる仲間たちの姿がチラチラ動いているのが見えた ・・・。
と、加山さんはあの調子で、別に「すごい体験をした」などというのではなく、サバサバと語っていました。
加山さんの神秘体験(2)
加山さんはあるテレビ番組で自分が見た予知夢の話をしていました。
・・・ある時奇妙な夢を見た。夢の中で友人と電話で、海で消息を絶った仲間の安否について話している内容だったそうです。このときなぜか、「あいつは救出されたようだよ」と答えてしまった。
その夢から三週間後、現実にその友人と電話で、遭難した仲間の安否について話していた。「夢の場面と同じだなあ」と思っていたところ、目の前のテレビで仲間が救出されたという臨時ニュースが流れたそうです。そのため思わず「あいつは救出されたようだよ」と言ってしまった。なんと、セリフまで夢と同じだった・・・。
加山さんは霊的に敏感な人のようです。
霊的世界はある(その7)
前回もお話したように、「神(仏)が実在する証拠を見せてくれたら信仰する」と言う人は少なくありません。信仰とは正反対の気持ちですが、話を進めます。繰り返しますが、筆者は10年間神道系教団に属し、「霊感修行」をしました。40代から50代にかけてのことです。その間にさまざまな霊的現象を見聞きし、自分でも体験しました。もちろんそのことは職場でも、家族にも一切話しませんでした。そんなことをすれば研究者としての資質が疑われたはずです。
筆者は、「霊が実在する」ことを確信しています。今回は、そのうちの一つをご紹介します。それは15年くらい前、筆者が国際学会でベルギーへ行った時のことです。現地でのツアーバスで、九州のある大学の先生と隣席になりました。ご専門は神経内科で、長年大学病院で診療に当たった来られた人です。たまたま「拒食症」のことに話が及びますと、ある興味ある症例について話してくださいました。ちなみに極端な食事制限を続けると、脳の中の食欲中枢がマヒして、体の要求量のはるかに下でも『これだけでいいのだ』と適応してしまうことがわかっています。
その患者さんは食事の時、食器に直接口を突けて、そう、まるで犬や猫のように食べるというのです。先生は不思議に思って「どうしてそんなことをするのか」と聞いてみました。すると、「私の中にもう一人の『私』がいて、普通に茶碗と箸を持って食べようとすると、ビシッと止められるのです。ですから食べようという姿勢をその何者かに悟られないようにしてるのです」と答えたとか。どうも、食事を拒否することを続けていると、何者かが「この人間は死ぬのだ」と考えて、体の中に入ってくるらしいのです。そして「死なしてやろう」と思うらしいのです。それが何者かは、患者自身にも先生にも筆者にもわかりません。
もう一つ、このブログでもお話しましたが、筆者が目の前で聞いた話をご紹介します。筆者が所属していた神道系教団の若い女性会員が、ある時友人を連れて来ました。「どうも様子がおかしい」と言うのです。教祖が話を聞いていますと、「〇〇ちゃんがいない。〇ち〇ゃんがいない」としきりに言うのです。霊視しますと、その人には心中した娘の霊が憑いており、「〇〇ちゃん」とはその相手の男のことで、向こうの世界で別かれわかれになってしまったと言うのです。大切なのは、これからお話しすることです。
相談に来た若い女性は看護師をしていましたが、いわゆるホスピス病棟担当でした。ホスピス病棟とは、ガンの末期患者など、もう治る見込みのない人たちの世話をする場所です。その看護師さんは「治る見込みがあってこそ、看護師としてやりがいが出るのであり、ホスピス病棟担当になってすっかり希望を失ってしまった」と言うのです。まことにもっともなことですね。つまりその人は自分を見失ってしまったのです。そうするとその隙に他人の霊が入り込んでしまったのです。これは、人間というものを考えるのにとても重要なことです。このことはまず、肉体と本体(筆者の言う本当の我は別々であることを示します。そして自分を見失ってしまうと他の霊的存在が入ってしまうということです。
どうか読者の皆さんもよく記憶しておいてください。
元女子大学生が「殺してみたかったから殺した」という異常な事件の公判が始まりました。名古屋大学理学部生でしたから相当優秀だったはずです。その人が起こしたのが猟奇的事件であることもショックですが、大切なことが見落とされています。彼女はいわゆる発達障害で、自分を見失ってしまっていた。そこへ邪霊が入り込んだに違いないのです。それを除く方法はあります。そこを考えなければ、この事件の真の解決はありません。