原始仏教‐スッタニパータ(1)
以前のブログで、仏教とキリスト教の大きな違いについてお話しました。キリスト教徒が聖書を唯一絶対の教えとしてに連綿といるの続いているのに対し、仏教は釈迦の元々の教えがどいうものかわからないほど、拡大されて来ました(増広と言います)。考えればとても不思議なことです。その理由について、東京大学名誉教授の中村元博士は興味ある考えを述べておられます。
いわゆる大乗経典類が釈迦の教えとはずいぶん離れたものであることは、今では定説になっています。にもかかわらず、今だにさまざまな新興宗教が、「私たちの根本経典は、釈尊が悟りを開かれて最初に説かれたものだ(初転法輪)とか、「涅槃に入られる前、最後に説かれたもっとも重要なものです」などと言っているのは理解に苦しみますね。釈迦の教えがその後大きく増広したことは、原始仏教の経典と大乗仏教の経典類を読んで比較してみれば一目瞭然です。筆者は、大乗仏教にはすばらしいものがあると考えていますが、なんといっても釈迦自身の思想を知りたいものですね。それが伝えられていると考えられるものを原始仏教経典類と称し、ふつうパーリ仏典と言います。
その中でも最も古いと言われているものが「スッタニパータ(経典類の意味)」です。そこには釈迦自身が弟子に語った言葉も含まれているようです。そのパーリ仏典ですら、釈迦の死後数百年間はもっぱら口伝で伝えられました。「それなのに釈迦の言葉がそのまま伝えられていると言うのは!」との疑問もあるでしょう。しかし筆者は、口伝によって伝えられたということはかなり正確に伝わっているのではないかと思うのです。その良い例が日本のお経です。お経の文句はおそらく作られて数百年間ほとんど誤りなく伝えられているからです
大乗経典は釈迦の思想とは無関係であると言ったのは、江戸時代の学者富永仲基です。富永がどのような理由をもってそう断じたのかはよくわかりませんが、仏教研究に革命を興した理論でした。筆者もさまざまな大乗経典を学び、そして「スッタニパータ」を読んでみて、まさしく富永の言う通りだったと思います。
註1パーリ仏典の一つ「ダンマパダ」は漢訳「法句経」としてわが国へも伝えられていましたが、その後ほとんど無視され、「浄土三部経」や「法華経」「阿弥陀経」「涅槃経」などの大乗経典類が広まりました。「スッタニパータ」五章のうち第四章だけは「義足経」として漢訳されていました。しかし、全体としては漢訳されていず、日本の仏教にはほとんど影響を与えなかったと思われます。したがって中村博士の「ブッダのことば」は、「スッタニパータ」の全文がわが国で初めて紹介された重要な書物です。「ブッダのことば」には詳細な注釈も付けられた親切なもので、まさに中村博士の学識の面目躍如たるものがありましょう。
原始仏教‐スッタニパータ(2)
「スッタニパータ」は韻文(詩句)と散文に分かれ、中村博士によると、後者は後に解説として付け加えられたものです。そして、全体として教理というべきものがありません。すなわち、釈迦の教えは「対機説法」と言って、それぞれの人、それぞれの場合に応じて内容を変えていたのです。教えというものは、それぞれの人のためのものでしょうから、統一的な教理としてまとめられるようなものではないのは当然ですね。釈迦は「教えは大河を渡るのに使った筏のようなものであり、その人がその教えによって救われたら捨てるべきだ」とおっしゃるのです。いわゆる「筏のたとえ」です。
以下、「スッタニパータ」の内容について、中村元博士訳の「ブッダのことば」(岩波文庫)を基にお話します。
第一章 第七節「賤しい人」
〇足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々のひと(人)の家で貪(むさ)ぼることがない。
〇他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない・・・(以下略)
〇何ひと(人)も他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
〇あたかも、母が己が独り子を命を賭けても守るように、その一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)心を起こすべし。
第二章 第四節「こよなき幸せ」
〇諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人を尊敬すること・・・これがこよなき幸せである(以下同じ)
〇適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずから正しい誓願を起こしていること・・・
〇深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、言葉がみごとであること・・・
〇父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり、混乱せぬこと・・・
第三章 第八節「矢」
子供を亡くしてなげき悲しみ、7日間も食事をしない人を気遣って釈迦は、
〇この世における人々の命は、定まった姿なく、どれだけ生きるか解らない。惨(いた)ましく、短くて、苦悩をともなっている。
〇生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。
〇たとえば陶工のつくった土の器が終にはすべて破壊されてしまうように、人々の命もまたそのとおりである。
〇このように世間の人々は死と老いとによって害(そこな)われる。それゆえに賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。
〇迷妄にとらわれ自己を害なっている人が、もし泣き悲しんで何らかの利を得ることをことがあるならば、賢者もそうするがよかろう。
筆者のコメント:いかがでしょうか。「親しい人を亡くして悲嘆するのは、亡くしたことと嘆き悲しむことの二重の苦しみを味わっているのだ。賢者は命の道理を知っているから、少なくとも嘆き悲しむことはしないないのだ」と言うのですね。このように、釈迦の教えはこのようにおよそ教理と言ったものではなく、大衆一人ひとりの現実に即した生き方の指針を示しているのです。それにしても、これらの教えが、東日本大震災で大切な人を失った人たちにも通じるかどうかには疑問が残りますが。
原始仏教‐スッタニパータ(3)大乗経典との接点
「大乗経典は釈迦の思想とは無関係だ」と言ったのは作家の司馬遼太郎さんです。司馬さんは江戸時代の学者富永仲基の説を引用したのですが、正確ではありません。なぜなら、富永は著書「出定後悟」で、「およそ新思想というものは以前の思想に新たなものを加えたものだ」と言ったのです。富永の言葉「加上説」がよくそれを表しています。前の思想を完全に否定したのではないのです。つまり、大乗経典類には釈迦の思想の一部が残っていると考えるべきなのです。
「スッタニパータは釈迦の思想に近いものだ」というのが中村元博士の説ですが、じつはよくわからないのです。筆者は「釈迦の思想の一部を伝えている」と想像しています。その前提に立って、以下、「スッタニパータと大乗経典類を結ぶものは?」について、検討を加えてみました。もちろん、初期仏典(パーリ仏典)は15あり、「スッタニパータ」はその1つですから、「スッタニパータ」だけについて検討するのは乱暴すぎますが、まあご容赦ください。
まず、釈迦の思想と大乗経典類の思想と共通する部分を考えてみますと、縁起の法則・無常の法則・「空」の法則だと思います(じつはそれもよくわからないのですが)。それぞれについて「スッタニパータ」の内容を調べてみました(下記の章句番号は中村元訳「スッタニパータ」(岩波文庫)の章句に基づきます)。
縁起の法則
第三章 大いなる章 第十二節「二種の観察」
〇およそ苦しみが生ずるのは、すべて潜在的形成力を縁(原因)として起こるのである。諸々の潜在的形成力が消滅するならば、もはや苦しみが生ずることもない。 〇「苦しみは潜在的形成力の縁から起こるのである」と、この災いを知って、一切の潜在的形成力が消滅し、(欲などの)想を止めたならば、苦しみは消滅する。このことを如実に知って・・・(以下略)
筆者のコメント:人は原因もはっきりわからないまま苦しんでいることがよくあります。「すべての苦しみには原因がある」と喝破したのは、やはり釈迦の卓見だと思います(筆者はこれこそ釈迦の言った言葉だと考えています)。
無常の法則
第三章 大いなる章 第八節「矢」
〇この世における人々の命は、定まった姿なく、どれだけ生きるか解らない。惨(いた)ましく、短くて、苦悩をともなっている。
〇生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。
筆者のコメント:これの釈迦の言葉は「あたりまえのこと」ばかりですね。しかし考えてみれば、高尚な教理が、現に苦しんでいる大衆の心に染みわたることなどありえません。釈迦にはそのことが十分にわかっていたのでしょう。
空の思想(註1)
第五章 彼岸に至る道の章 第十六節「学生モーガラジャの質問」
〇「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、(死の王は)見ることができない。
第四章 八つの詩句の章 第十五節「武器を執ること」
〇古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引するもの(妄執)にとらわれてはならない。
筆者のコメント:筆者は、たしかに釈迦は傑出した思想家でしたが、インドには多くのすぐれた哲学者がそれ以降も何人も出たのだと思います。彼らは釈迦の言葉を深く掘り下げ、思想という鉱脈に至った。それが大乗仏典類だと思います。
註1 前にもお話したように、「空」の思想はその後変容し、あの龍樹の「空思想」ともちがいますし、禅の「空」ともちがいます。
原始仏教‐スッタニパータ(4)仏教とキリスト教の相違
前にお話したように、釈迦の教えはそれを聞いたそれぞれの人がさまざまに受け止めていたのです。そうならば、受け止めた人がそれぞれ独自の解釈で発展させ、いわゆる大乗経典類という多くの思想としてまとめられたのももっともでしょう(註2)。これで、なぜ仏教はキリスト教と異なり、教祖の教えの増広が行われたのかよくわかりますね。
註2 原始仏典や、後の大乗経典類の冒頭には必ず「如是我聞(私はこのように聞いた)」とあります。
筆者はキリスト教はすばらしい宗教だと思っています。ただ、なにかと言えば「〇〇伝第〇章第〇節」と出てくるのは気になっていました。ある人に何か問題が起こったとき、辞書を引くのと同じ要領でそれらの章句を検索するような気がするのです。経験を積んだ指導者は、それらの章句の多くを諳んじており、信者の相談を聞いてただちにそれらを示すのでしょうか。「それはおかしい」と以前のブログでお話しました。同じような相談に見えてもその内容は人さまざまでしょうし、時代により、国によってとても一律に考えることはできないと思うからです。釈迦が教義というものを否定した理由がよくわかりますね。
原始仏典が後の大乗経典類とはほとんど別のものであることは、これまでにご紹介した「スッタニパータ」の一端からもご想像いただけるでしょう。すなわち、後者のどれもが整然とした文章の思想書であるのに対し、「スッタニパータ」ではごく日常的な話言葉で書かれているのです。それらの原始仏典のどの部分から後世の大乗仏典のさまざまな思想が生まれたのかを調べるのはあまり意味があることとは思えません。おそらく後代のインドの、今は名も知れぬ哲学者たちの努力の成果でしょう(註3)。筆者など、彼らが自らの思想なのに、わざわざ「如是我聞」と釈迦の思想に託した理由を測りかねます。
註3 わずかに唯識思想をまとめた人としてインドの無着・世親によることが知られています。
中村元博士はさらに重要なことを述べておられます。それは「教理としてまとめられると、しばしば他人をそれに従わせようと強制する。それに従わなければ時に弾圧する」と言うのです。前にもお話したように、キリスト教とユダヤ教、そしてイスラム教はもともと根は一つなのです。つまり、人類で初めて神の声を伝えたのがキリストであり、500年後にもムハンマドが神の声を聞いたのですから。それなのに、世界の歴史は「これらの宗教間の争い」と言ってもいいのです。それどころか、同じイスラム教シーヤ派とスンニ派が、恐らく教義の解釈の重点が異なるだけで、シリアや、イラン、イラクで深刻な争いを続けているのは皆さんご存知の通りです。それに対し、仏教国ではこれまでどこの国でも、ただの一度も宗教戦争が起こったことがないのです(註4)。
註4 わが国の法華一揆や一向一揆は、それぞれの宗派を旗印にした権力に対する闘いです。島原の乱でも同じで、キリスト教信者ばかりでなく、多くの百姓が加わっていました。
中村博士は「強固な教義としてまとめられると、その言葉がしばしばスローガンになって他宗や他宗派の人々を攻撃する」と言います。それは現代でも起こっていますね。こわいことです。