魚川裕司さん(1)

魚川裕司師(1)

 前回の「読者コメント」ご紹介した臨済宗系のある寺院の住職の方から、
・・・魚川祐司著「仏教思想のゼロポイント:悟りとは何か」(新潮社)に対する所見もお願いいたします。蘊処界を各自の認知内容とする著者の所見が、貴師の所見に似ていると思ったので・・・
とのご希望も寄せられました。早速精読してみたところ、大変興味ある内容で、読者のみなさんの参考になると思いますので、同住職にお断りの上、以下に筆者の読後感をお話します。

 同書を読んだ感想は、「魚川さんは、いわゆる上座部仏教(南伝仏教:註1)、ことにテーラワーダ仏教(ミャンマーやタイで発達した上座部仏教)が依拠している初期仏典類(パーリ語仏典)を深く読み、ミャンマーにある瞑想センター(寺院)で長年にわたって修行を行った、正統な実践者だ」ということです同書は初期仏典類に基づく釈迦の思想を要領よくまとめてあります。さすがに西洋哲学も学んだ「学者」ゆえでしょう。
 筆者は、上座部仏教については、わが国在住のスリランカ僧アルボムッレ・スマラサーナ師や、ベトナム僧テイクナット・ハン師の言葉や活動、そしてパーリ語仏典「スッタニパータ」「大パリニバーナ」の学習、そして「気付きの瞑想」などを通じて一通りの知識はあります。その筆者にとって同書の内容は参考になりました。特に「無我」「輪廻」「悟り・涅槃」などについて、読者の皆さんと一緒に考えることはとても意味のあることだと思います。そこで、これらの述語を中心に、魚川氏の考えと筆者の解釈との(主として)違いについて、新たなシリーズとしてお話していきます。

 同書の内容について検討する前にまず予備知識として理解して置かねばならないのは、釈迦(ブゴータマ・ブッダ、以下釈迦またはブッダ)仏教以前からインドで広く信じられてていたヴェーダ信仰についてです。その思想はウパニシャッド哲学としてまとめられています。ヴェーダ信仰の基本は、人間には「我(個我、アートマン)」と呼ばれる本体(魂)があって、死後も残り、輪廻転生をくり返す。その過程を通じて魂の質の向上を図り、最終的には「神(ブラフマン)」と一致することを目指すというものです(註2)。釈迦仏教はヴェーダ信仰のアンチテーゼ(対立命題)として生まれたものです。したがってヴェーダの言うアートマンとブラフマンとの一体化(梵我一体)や輪廻転生思想などは否定しています(註3)。そのことを念頭に置いていただいた上で筆者の感想をお聞きください。ヴェーダ信仰はバラモン教となり、釈迦仏教がインドで忘れ去られた後も存続し、現代でも少し変容してヒンヅー教として繁栄しています。

註1 チベット、西域、中国、朝鮮、日本へと伝わったのが大乗経典類に則った北伝仏教です。この系統にもパーリ仏典の一つ「ダンマパダ」が法句経として漢訳され、わが国へも伝わっています。ただ、その後わが国では忘れ去られました。おそらく日本人の心としっくり合わなかったのでしょう。
註2 キリスト教やイスラム教などを除き、古来あらゆる国のあらゆる民族の宗教では、神との一体化を目指して来ました。シャーマンが忘我(トランス)状態になるのもそのためで、ごく自然な人間の想いでしょう。
註3 実は否定しているのではなく、「無記」、つまり「考えない」としているのです。これが後代の仏教徒や学者に大きな混乱を生む原因となりました。魚川氏の同書の内容もそのことと深く関わってます。

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