魚川裕司さん(3)

魚川裕司師さん(3)輪廻 無我だからこそ輪廻する?

 輪廻転生の問題は、魚川氏の言う「無我」と深く関わっています。すなわち、「実体我」(魂のようなものですね:筆者)というものがなければ、ふつう言われる輪廻転生ということはありえないからです。ここで魚川氏は「無我だからこそ輪廻する(p92)」と重要なことを言っています。
 魚川氏:業(ごう)と輪廻の世界観とブッダの仏教が切っても切り離せないことは、文献的にも論理的にも非常にはっきりしたことだから、仏教の基本的立場は「無我なのになのに輪廻する」ではなくて、「無我だからこそ輪廻する」のだ。だから「ブッは輪廻を説かなかったはずだなどと主張する人がまだいるとしたら、仏教がわかっていないのだ・・・

筆者のコメント:魚川氏は「業(ごう)と輪廻の世界観とブッダの仏教が切っても切り離せない」と言っています。下記のように、魚川氏の言う輪廻は、この言葉と相容れないようです。

無我だからこそ輪廻する

 ここで魚川氏は木村泰賢元東大教授の説を引用しています。木村説では、
A‐A’-A”-・・・aのn乗B-B’-B”‐・・・bのn乗C-C’-(以下同じ)

魚川氏の解説:ここでAとかBとかCとは、木村氏の言う「五蘊所成の模型的生命」、私(魚川氏)の言う経験我のことだ。それらは誕生から死まで常に変化し続けていて、そこに固定的な実体はないのだが、これら経験我のまとまりを「太郎」と名付けておく。A‐A’-A”-とは、時々刻々と流動・変化を続ける様子を示す。ある時点(Aのn’)で死を迎える。そこで起こるのが転生である(図の・・・の部分)。そこでBという新しい経験我を得たとすると、その形は大いにAと相違しているようであるが、そこにはやはりaのn’というAの積み重ねてきた行為(業)の結果が、潜勢力として働いている。そしてBという新しい状態になる・・・以下これを続ける・・・

つまり、木村氏の言う転生とは私たちが考える「生まれ変わり」ではなく、現世における人間性の変化(たとえば「人が変わったように」と言いますね:筆者)を指すのです。木村氏はこれを蚕の変態に譬え、

 ・・・仏教のいわゆる輪廻はあたかも蚕の変化のごときものであろう。幼虫より蛹になり、蛹より蛾になるところ、外見的に言えば、全く違ったもののようであるけれども、所詮、同一虫の変化であって、しかも幼虫と蛾とを以て同とも言えず、異とも言えず、ただ変化であると言い得るのみと同般である・・・

魚川氏はこの説について「これはたいへんわかりやすい比喩である」と言っています。つまり同調しているのですね。

筆者のコメント:これで魚川氏が「無我だからこそ輪廻する」と言っている理由がおわかりいただけるでしょう。つまり、魚川氏や木村氏の言う「輪廻転生」とは、私たちの考える「生まれ変わり」のことではなく、一つの人生における大きな変化を指すのです。私たちの言う輪廻は「生まれ変わり」のこと。魚川氏や木村氏の言う輪廻は、この世で受ける「善因善果、悪因悪果」のことなのです。古来インドでは(今でも)「生まれ変わり」は当然のことと考えられていました。そのアンチテーゼとしてブッダが新たな思想を展開するなら別の語句を使うべきなのです。同じ言葉を使って別の思想を述べようとしたから後代の人たちは混乱したのです(註9)。

註9 実は中村元博士は「仏教語大辞典」で、(困惑しつつ:筆者の感想)、
 ・・・輪廻はサンスクリット語で「流れること」を意味する「サムサーラ」の訳であって、古い時代から、「世の中」あるいは「世界」という意味に使用されており、サムサーラをすべて「生まれ変わる」と解するのは間違っている(下線筆者)・・・
と述べています。魚川氏や木村氏の言う輪廻は前者、私たちが普通に考える輪廻は後者の意味ですね。「間違っている」と言うのは問題があると思いますが。つまり、魚川氏は最初にこの事情を明示すべきでした。そして、著書の中では、別の語句を使って説明すべきでした。

「無我だからこそ輪廻する」についての筆者の疑問

 魚川氏(そして木村氏)の言うこの論説には下記のような重要な矛盾があります。まず、
 1)木村氏の言う「Bという新しい経験我を得たとすると、その形は大いにAと相違しているようであるが、そこにはやはりaのn乗というAの積み重ねてきた行為(業)の結果が、潜勢力として働いている。そして「Bという新しい状態になる」は、ことさら理論として述べるほどのこともない当たり前のことです。なぜなら、私たちが現世で積み重ねた善因や善悪は、当然、現世で良くも悪くも報いを受けるからです。宗教的に問題なのは「現世で積み重ねた善因や悪因が、来世以降に報いを受けるかどうか」です。私たちが問題とする「業(ごう)」とはそういうものです。魚川氏は「Aは、ある時点(Aのn’の時点)で死を迎える。そこで起こるのが転生である(p93)」とはっきり言っています。この転生とは明らかに生まれ変わりを指すはずです。死とは文学的な死のことでしょうか。

 さらに、木村氏は「仏教のいわゆる輪廻はあたかも蚕の変化のごときものであろう・・・ 同一虫の変化であって、しかも幼虫と蛾とを以て同とも言えず、異とも言えず、ただ変化であると言い得るのみと同般である」と言っていますが、生物学の初歩から言ってもナンセンスです。幼虫が蛹になろうと蛾になろうと、その個体特有の遺伝子は厳密に保たれているからです。これこそ「個」でしょう。木村氏が「同とも言えず異とも言えず」とはどういうことでしょう?

 2)魚川氏はさらに「業の自作と他作の問題」については、本人が為して本人が受けるのか、他人が為して本人が受けるのか(魚川氏は「他人が為して他人が受けるのか」と言っています(p94)が、それではあたりまえのことで設問にはなりません)」についてブッダは「業を作る人と、その結果を受け入れる人とは、縁起の法則によって実体我が存在しない以上、同じであるとも異なるとも言えない」と引用しています。しかし我の実体があろうと無かろうと(経験我だけであっても)、他人が作った業を自分が受けてはたまったものではありませんね。
同書で「生まれ変わりがある」と言っている

3)魚川氏は同書でパーリ仏典の一つのダンマパダ(法句経)から、
 ・・・数多の生にわたって、私は輪廻を経巡ってきた・・・を引用しています(p79)。これは明らかにブッダの生まれ変わりを指しています。さらに、仏教には「七仏偈」という思想があります。すなわち、ブッダは過去何回もそれぞれ別の名前で生まれ変わっていることを前提とした話です。

4)魚川氏は私たちが考えるところの「輪廻転生はない」と言いながら、
・・・ブッダの「悟り」の内容は「三明(さんみょう註8」であると言われているが・・・(中略)・・・残りの二つは、自分の数多の過去生を思い出し衆生の死と再生をありのままに知るという、輪廻転生に関わる智だ(p137)・・・
と言っています。これは明らかに私たちが考える輪廻転生(生まれ変わり)を指していますね。魚川氏は「輪廻とはこの世での因果のことだ」と言ったばかりではないですか。ブッダは「生まれ変わり」について「無記(沈黙)」で応じているのに。

註8 今回は、文脈とは直接関連がないので、その内容については省略します。

5)魚川氏は「ブッダが否定したのは、無常の世界(現世で起こるモノゴト:筆者)の中のどこかに、固定的・実体的な我が存在していると思い込み、そしてその虚構の実体我に執着して、苦の原因を作ることであった」と言っています(p91)。しかし、筆者は「人間には、魚川氏の言う経験我と魂(魚川氏の言う実体我)が共存しており、経験我の言動は魂に影響を与え、その一方で魂は経験我にも影響を与える」と考えています。
ことほどさように、魚川氏の「無我だからこそ輪廻する」の論述には矛盾が多いのです。前述のように、釈迦の思想は、初期仏典のごく一部にしか伝わっていません。にもかかわらず、それら全体として論理を組み立てるとこうなってしまうのでしょう。

もしも「生まれ変わり」がなかったら
 6)「悟り」とは、「経験我の体験を苦しみにつなげることがなくなった状態」ですね。もしも「生まれ変わり」ということがなかったとします。ある人は50歳で悟って85歳で死に、ある人は悟りに至らずに同じ85歳で死んだとします。とすれば苦しんだ期間は35年多くなっただけです。しかも別にその間のたうち回ったていたわけではありません。大部分の人が「色々あったけど」で終わっています。なんだか「悟りの意味は?」と思いたくなりますね。これでおわかりでしょう。「悟ったか悟らなかったか」が問題になるのは、生まれ変わった次の人生なのです。そこにこそ「業」の大小となって残るのです。輪廻転生とはこのことだと思います。

 ブッダが悟りに至った時「これが最後の生であり、もはや再生することはない」と自覚したといいます。有名な言葉ですね。ある人たちは、人間は生まれ変わりを繰り返して現世で心を向上させることが人間の生きる意義だと考ています。そして悟りに至った人はもうこのサイクルから離脱すると言います。私たちがこれまで教えられてきたのは、「ブッダはもうこの世へ生まれ変わることはない」ということでした。しかし、ブッダの言うサイクルからの離脱とは、この世ではもう因果は起こらないと意味でしょう。明らかに違いますね。

ここまで考えてきますと、ブッダはなぜ輪廻転生を「無記」としたのか、筆者にはわかりません。もちろん弟子たちには「そんなよくわからないことを考慮に入れるな」との意図だったでしょう。しかし、筆者がこれまでに述べてきたように、「無記」とすれば、ブッダの教えが論理的におかしくなると思われますし、後世に(魚川氏も含めて)大きな混乱をもたらしているのです。

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