ベルクソン(1)

 H.-L.ベルクソン(1859-1941フランスの哲学者。著書に「時間と自由」「物質と記憶-身体と精神の関係についての試論(ちくま文芸文庫)」など)は霊魂の存在を信じています。以前ブログでもその思想の一端を紹介しました。一部を再録しますと、彼が出席していたある世界的な会議で、同席したフランスの名高い医学者がある夫人の体験談を紹介したと言います。
 ・・・この前の戦争(第一次世界大戦:筆者)の時、士官である夫が遠い戦場で戦死しました。私は、夫が塹壕で倒れた光景を白日夢で見ました。それはきわめてリアルで、戦後私のところへ夫の死の模様を知らせに来てくれた人たちの顔は、白日夢で見た倒れた夫の元へ駆けつけた戦友たちの姿と一致しました・・・
 その医者は、「あなたのおっしゃることはよくわかります。しかし、そのような予知夢には誤りであるケースも多いのです。ですから残念ながらあなたの体験が真実だと結論することはできませんと答えた」と言う。ベルクソンはそれを聞いていたが、その会議の場にもう一人若い娘さんがいて、ベルクソンに「わたしは先ほどのお医者さまの考え方は間違っているように思います。あの考え方のどこが違っているのかわかりませんけれども、間違いがあるはずです」と言った。ベルクソンもその女性の意見に賛成したという。
 
 小林秀雄(1902‐1983)は日本を代表する評論家。早くからベルクソンに傾倒し、「感想(ベルクソンについて)」を著わしています 小林は上記のベルクソンの体験について、・・・ベルクソンの言うように、たとえそのような神秘体験の99%が間違いであっても、残る1%まで否定してしまってはいけないのではないか・・・と言っています。
 ベルクソンはさらに「心」についても言及し、・・・心は生物学的脳とは別の場所にある。『ないところにある』と言ってもなんら問題はない・・・と。小林秀雄もその考えに共鳴しています。脳と心の関係はあのデカルト以来の課題で、ベルクソンはそれを精密に論証したのです。現代になって、神経科学が発展してきますとこの問題は再燃し、「生まれてから神経ネットワークの発達につれて、やがて心が出来上がる」という意見が出てきました(それについては以前のブログでお話しました)。
 筆者はベルクソンや小林のこれらの考えに同感です。霊魂は存在すると信じていますし、どれほど脳の分子機構が明らかにされても心の解明にはならないと考えるからです。霊魂の存在や心は唯物論では説明できないものなのです。それでも何の問題もありません。筆者は長年生命科学の研究に携わってきました。もちそんその基盤は唯物的思考です。すなわち、あくまで生命現象を物質レベルで現象を解明しようとするものです。そうでなければ学界に受け入れられるはずがありません。
 それでも神や霊魂の存在を信じても何の問題もないと思っています。「生命は神が造られた」と直感したのも、遺伝子DNA構造を眺めていた時です。神経科学を研究していましたが、心(深層心)が脳神経とは別のところにあっても違和感はありません。欧米の最先端の科学者で、神を信じない人はいないでしょう。「神の恩寵に応えるために研究をする」と言う人もいるのですから。そもそも唯物思考が盛んになったのはたかだかここ数百年に過ぎません。それも一つの考え方に過ぎないのです。ちなみに、カント以来の観念論哲学は西田哲学も含め、現代に続いています。

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