心と魂(1)養老孟子さん玄侑宗久さん(2)

養老:細胞はまさにシステムなんです。じゃあ、その細胞っていうシステムがどうやって出来たかっていうと、科学はわかんねえって言うしかないんですね。

筆者のコメント:それではこの討論は終わってしまいますね。筆者は「魂」とか「いのち」という要素を入れても科学に反するとは思いません。たんに未解決であるだけなのです。そんな例は科学にはめずらしくありません。あのニュートンでさえ、ニュートン物理学だけでは説明できない現象(素粒子の世界)があることに気付いていたのです。

玄侑:私も、今仏教が認められつつある中でも、やっぱりここは言ったらまずいかなと思ってるとこなんですよね。現在の仏教各宗派も、ほとんどこの問題については触れないようにしている。いわば科学と同じスタンスをとろうとしてるわけです。そこに新興宗教が起こってくる最大の穴があるんだと思います。初期仏教はこの問題を避けてはいないんですが。

筆者のコメント:玄侑さんは、「システムを作って働かせているのは魂です」と言いたいのかもしれません。ブッダが魂というものがあるかどうかについては答えなかったのは、仏教各宗派の基本的了解事項です。玄侑さんも日本仏教の僧侶としてはそう言わざるを得ないでしょう。筆者も仏教を学んでいますが、別にブッダの考えには執われていません。むしろ魂というものをを認める、それ以前のヴェーダ信仰に共感を覚えます。

玄侑:よく、「魂ってあるのか ないのか」って訊かれたりするわけですよね。お釈迦様は訊かれても答えなかったわけですね。仏教は、「ある」とも「ない」とも考えていないんですよ。どう考えるかっていうと、観測者と、観測される対象と、その周辺の無数の縁による相互関係的な出来事だというわけですね。だから、「ある」ということが起こることもあるし、起こらないこともあるのであって、「ある」か「ない」かということではないと。すべては出来事というふうに考える。
筆者のコメント:玄侑さんは、「仏教では(すべてのものやことは)縁によって生じていると考えるから、魂も「ものではなくてことだ」と言っているのですね。例の「縁起説」です。しかし、ブッダはそもそも「魂というものについて考えるな」と言っているのですから、縁起のものであろうとなかろうと魂については触れていないのです。玄侑さんの拡大解釈でしょう。

養老:それはまさに、私が言ったシステム論です。多数の要素が複雑に絡み合って、ある動きをしている。それは一定であると思えば一定だし、絶えず変化してると思えば変化してるしね。そんなこと言ったら何も言ってることにならないって、近代科学は言うんだ。なんだ禅問答かって・・・(中略)・・・
玄侑:先生のおっしゃる「生きているシステム」は、仏教で言う「空」なんですね。「空」っていうのは実際、概念化することが不可能なものですから、なかなか難しいんですけど。そして科学が相手にするのが「色」ですよね・・・量子が粒子であり、波であることは、もうすでに「色」では収まらないんです。
養老:もう「色」の世界を外れちゃってますよね。むしろ「空」になっちゃったなあ。

筆者のコメント:玄侑さんの、「生きているシステムは、仏教で言う空なんですね」には驚きます。筆者は空思想ははっきりと概念化できると、このブログシリーズで繰り返しお話しています。さらに、量子が粒子であり波であろうと「色」は「色」です。というより、「色」とは対象のモノではなく、見る自分と、見られるモノとの関係、つまり「空理論」とは別の認識論ですから。さらに以前、NHKテレビ「100分で名著・般若心経」で、司会者が「『空』の意味が(玄侑さんの説明を聞いても)わからない」と言ったところ、玄侑さんは「般若心経で大切なのは、意識しなくても読める状態です」と言っていました。つまり、「空とは忘我の状態を指す」と言うのでしょう。違うと思います。司会者も不満足そうでした。

まとめ
 結局、養老さんは「脳はシステムであり、それ以上はわからない」、つまり、脳と心は対応するかどうかわからないと言っています。一方、玄侑さんは仏教僧侶として「魂がある」とは言えないのです。要するにこの会談の目的に対する回答は得られなかったのです。
 

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