霊魂ーベルクソン・小林秀雄(2)

 ベルクソンは、失語症(言葉を忘れてしまう脳疾患)などの脳に障害のある患者(註3)の観察から、「記憶のありかは脳ではない。脳は記憶を引き出す働きを持つだけだ」と結論しました(註4)。

 ベルクソンや小林秀雄は「『あらゆるものはどこかになければいけない』という考えは、現代科学の欠点だ。すなわち、それは唯物論的考えであり、たかだかここ300年か400年来のものだ」と言うのです。唯物思考とはイギリスやドイツで1700年代から始まった産業革命の発展にともなって出てきた考え方で、「モノこそ大切だ」という思想です。マルクスやエンゲルスを経て、現代にも続いています。「現代人は唯物思考の奴隷だ」とも小林は言っています:筆者、註5,6)。さらにベルクソンは「なんでも数字で判断するところ、つまり、99%まちがいでも1%の真実まで否定するという考え方もいけない」と言うのです。統計学的方法の欠点ですね(註7)。それは「まったく予想に反してトランプが大統領になった」現実によく表れています。さらに、「すぐに正しいとか間違っていると区別する考え方も唯物論の弊害だ」と言うのです。

 もちろんベルクソンや小林秀雄は唯物論を基盤とする現代科学技術を否定しているわけではありません。その成果により、人類は月にまで行けるようになったのですから。ただ、「あまりにも唯物論が偏重される世になったのが誤りだ」と言っているのです。今のモノ重視の世界が、もうどうしようもなくなっていることは、心ある人ならだれでも知っていますね。それゆえ、東洋的思考である禅に世界から強い関心が寄せられているのです。

註3 たとえば、病気治療の目的で脳の一部(海馬)を取り除く手術を受けたある青年は、手術以降の生活を記憶する長期記憶を持てなくなってしまった。しかし今の瞬間自分がしていることの短期記憶(筆者註:日常のどんな行動するためにも、一瞬の記憶が連続しなければならない)は異常なかったので日常の生活は支障なくできるが、昨日のことはまったく覚えていないという事態になった。つまり海馬はものごとを記憶するのに関係している組織です。ただ、ベルクソンは「記憶自体は海馬にはない」と言っているのです。

註4 ベルクソンは「運動習慣(たとえば赤ちゃんの時に記憶した「歩き方」)の記憶は脳ではなく体(現在では小脳と脊髄)に蓄えられている」と言っています。

註5 それどころかマルクスと同時代のカント(1724-1804)やヘーゲル(1770-1831)は、「真の実在はモノではなく、私が見た(聞いた・・・)直接経験にこそある」と言っているのです。「あなたが見た(聞いた・・・)経験」は関係ありません。あくまで「私が・・・」です。あまりに唯物思考が「流行った」ため、カントやヘーゲルの思想は忘れ去られたのです。

註6「宇宙は数学という言語で書かれている」と言ったのは近代物理学の創始者ガリレオです(世界の最先端の宇宙物理学者が集まる東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構のホールの柱には、イタリア語でその言葉が書かれています)。ベルクソンが見たらどう思うでしょう。

註7 よく、「唯物論と対比される考え方は観念論だ」と言いますが、それは正しくありません。小林秀雄は、そういうグループ分けをとても嫌います。あくまで「私個人の直接経験が重要だ」と言うのですから。当然ですね。 

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