良寛さん法華転・法華讃(2)

道元・良寛さん・賢治と法華経(2)

2)人間の本性が仏であること(法華経の比喩)

 法華経の教えはたとえ話をよく使って説かれているのが特徴です。すなわち、

①火宅の喩(たと)え(譬喩品)
②窮子(ぐうじ)の喩え(信解品)
③薬草の喩え(薬草喩品)
④他城(けじょう)の喩え(化城喩品)
⑤衣珠の喩え(授記品)
⑥髻珠(けいしゅ)の喩え(安楽行品)
⑦医子の喩え(寿量品)
の七つです。ちなみに〇〇品とは法華経の章のことです。

火宅の喩(たと)えとは、
 家に火がついて大変なのに、中で子供たちは遊びに夢中になっている。外から父が「こっちには羊の引く車があるから出てこい」と言っても子供らは聞かず、「鹿の引く車がある」と言っても聞かなかった。そこで最後に「(最高級)の白牛が引く車がある」と言ったら、それに惹かれて子供たちが出てきた、という話です。子供たちとは、二流(二乗)の教えや三流(三乗)の教えを信奉している修行僧たちのこと。そして白牛の車とは、最高(一乗)の教え、つまり法華経を指し、「早くこの尊い教えに乗り換えろ」と父は言うのです。

窮子(ぐうじ)の喩えとは、
 長者の息子でありながら家を飛び出し、数十年後乞食となって放浪するある日、豪奢な家の前に立った。父親はすぐに息子とわかったが、息子はすっかり忘れていた。そこで父親は息子を便所の掃除人として雇い、だんだんさまざまな仕事を与えた。ようやくその行いや精神が正しくなったと認めた時、初めて我が子であると明かし、長者の家を相続させたという譬え話です。つまり、「本来人間には仏としての本質があるのにそれを知らずにいる。早くそれに気付きなさい」という教えです。

衣珠の喩(たと)えとは、
 友人を訪ねて酒をふるまわれた貧困の男が酔いつぶれているうちに、友人は所用のために出かけることになり、男の着物の中に名宝を縫い付けておいた。男は後に友人からその話を聞き、貧困から脱することができた。

 他に、誰に対しても、どんなに悪罵されようとも、「あなたは仏になれる人です」と礼拝した常不軽(じょうふきょう)菩薩についても「道友である」と言っています(法華讃・偈頌第五十六)。宮沢賢治が「雨ニモ負ケズ」の詩で「みんなにデクノボウと呼ばれ(るような人になりたい」と言っている僧です。

 しかし、良寛さんは、
昔日の三車(羊車、鹿車、白牛車)名のみ空しくあり
今日の一乗実も亦(また)休す・・・
(今では三車の譬えなどの法華経の教えも単なる物語として受け取られて形骸化し、一乗の教えも口にされなくなってしまった・・・)
と嘆いています(法華讃・偈第二十四)。そして、
 「(今では)坊さんが金襴の袈裟を着けて法座に上り、形ばかりの法要、説法に終始している。「嘆ずべきかなこの末世の仏法」と悲しんでいます(法華転・偈第七十五)」

 良寛さんも道元と同じように法華経が最高の教えであると言っています(法華転・偈第一)。すなわち、

口を開くも法華を謗(そし)り
口を閉じるも法華を謗る
法華 法華 如何にか讃(たた)えん
焼香・合掌して曰(いわ)く
南無妙法華・・・
(法華経を説明することも、説明しないことも法華経を謗ることになる。ではどのように法華経を讃ずるべきか。ただ焼香・合掌して「南無妙法華」と言うだけだ・・・)

道元は「正法眼蔵・法華転巻」で、禅の六祖慧能の言葉、
「心迷えば法華に転ぜられ(真理を離れ)、心悟れば法華を転ずる(真理と一つになる)」を引用しています。

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