良寛さん法華転・法華讃(3)

 竹村牧男さん「良寛さまと読む法華経」(1)
  
 前回、「法華経の重要さは、諸法実相(自然のすべてはそのまま仏の声や姿の表れである)ことと、人にはすべて仏としての本性があることの二つの重要な思想を説いていることにある」とお話しました。今回は、竹村牧男さん(1948-)のお考えをご紹介します(「良寛さまと読む法華経」大東出版社)。まず、「諸法実相」に関して、

「薬草喩品」に対する良寛さんの讃:
 習風昨夜煙雨を吹き
 山河大地共に一新す
 東公意無く恩沢を布(し)き
 資(もたら)し始(はじ)む千草万樹の春

竹村さんの訳:春風は昨夜、けぶるような雨をそよがせ、今日は山河大地すべてが面目を一新した。春を司る君公ははからいなくすべてに恵みをもたらし、ありとあらゆる草木が春らしい粧(よそお)いとなった(仏の大悲は、差別なく一切のものに働き、各々が各々の生命を輝かしていく。p79)。
竹村さんの解釈:如来(釈尊:筆者)の説法は、皆、悉(ことごと)く、人々に一切智地、すなわち仏地に到達することを実現せしめるものだ、ということです・・・法華経には一切智についての説明はありませんが、一切智(一切法:筆者)とは、まず真如・法性(宇宙の最高の真理:筆者)に通達して一切の存在に行き渡る本質・本性を体証する智慧でしょう・・・(筆者の責任において少し言葉の前後を変えましたp71)。「一切智についての説明はない・・・」これこそ江戸時代の平田篤胤が「(法華経は)効能書きばかりで中身のない丸薬」と言う理由でしょう。

 そして竹村さんは、「薬草喩品」の一節、
如來は是れ一相一味の法なりと知れり。所謂(いうところは)、解脱相・離相・滅相・究竟涅槃・常寂の滅相にして、終(つい)に空に歸す。
を引用して、「一切法は空(くう)である。その一味こそが、如来の説法の核心だと言うのです。もっとも、空は無ではありません。空ということの中に、仏智の世界もあります。生き生きとした生命のはたらきの世界があります。ここが誤解されると、ニヒリストに陥ったりしますから、この真理を説くは用心が必要です・・・」と言っています。
 この竹村さんの「空」の解釈は筆者とは異なります。何よりの証拠は「空」は「無」と対比すべき概念ではないからです。

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