釈迦仏教の変化

 NHK「心の時代 禅の知恵に学ぶ」で、岐阜県美濃加茂市臨済宗正眼寺での僧たちの真摯な修行生活が紹介されていました。その中で山川宗玄師が、典座が食事の支度をする厨房に祀られている韋駄天のお話をされていました。

 ・・・韋駄天はもともとインドのヒンドゥー教の神様であり、お釈迦様がそれを取り入れられた・・・

と。しかしそれは誤りです。私たちはインド=仏教と考えがちですがじつはインドでは古来、多くの国民がヒンドゥー教を信仰しているのです。起源をヴェーダ信仰に持ち、バラモン教として受け継がれ、さらにヒンドゥー教となったのです。成立したのは釈迦より千年も前のことです。すなわち、インドの古くからの民族宗教であり、業(カルマ)や輪廻の思想、さらに最高神ブラフマンと個我(アートマン)との一体化を理想にします。釈迦仏教はヒンドゥー教に対するアンチテーゼ(対立命題)として成立しましたから、当然これらの思想に対して否定的でした。ヒンドゥー教の神々を受け入れるはずがありません。釈迦の教えはその後大いに発展しましたが、インドでは輪廻転生の民俗信仰や、ヒンドゥー教に従ったカーストの身分制度が根強く(現代でも)、仏教は徐々に圧迫されていったのです。

 そこで仏教は何とか勢力を盛り返そうと、ヒンドゥー教の神々を取り入れて、民衆の気持ちに合わせようとしたのです。その神々こそ、韋駄天や多聞天、毘沙門天、持国天、弁財天など「天」の付く神々なのです。そういった改革の努力にもかかわらず、紀元4-5世紀には仏教はインドから駆逐されてしまいました。その後はスリランカやタイなどの、いわゆる南伝仏教、西域や中国、そして朝鮮や日本などへ伝わった北伝仏教となって現在に伝わったのです。達磨大師がインドからはるばる中国へ来たのは、インドで衰退した仏教を広める新天地を求めてのことだったのでしょう。禅は後期仏教(大乗仏教ですね)の一つですから、ヒンドゥー教の神々も取り入れたのだと思います。

 これで、釈迦が韋駄天や多聞天、毘沙門天を取り入れるはずはないことがおわかりただけるでしょう。「細かいこと」と言わないでください。こういう仏教のとらえ方はとても大切だと、筆者は思っています。

 こういう例はよくあることで、以前にもお話しましたが、日本では仏教が古来の山岳神道と一緒になった金峯山寺(吉野)や、熊野の那智大社がそうです。とくに後者は、神宮寺として青岸渡寺があり、その副住職は山伏と、もうムチャクチャで(筆者の個人的感想です)、唖然とするばかりです。

2 thoughts on “釈迦仏教の変化”

  1. となると、真言密教などは邪道級の産物ですね。
    釈迦は、加持祈祷や占いなども明確に否定してますよね。
    なぜ空海は、こんなに日本で評価が高いのでしょうか?
    やはり現世利益でしょうかね。
    いま、引き寄せだの願望実現だのがブームになっているのと似てる気がします。

    1. 秀峰さま
       真言密教については、その名の通り秘法がたくさんありますから、筆者にはよくわかりません。ただ、以前若い女性から「高野山で復縁祈願をしていただいたがご利益はなかった」との投稿がありました。
      「高野山はちゃんとした寺院ですが、そうなことをする(末寺でしょう)のはカルトです」とお答えしまでぃた。

秀峰 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です