作家。秋川雅史さんの歌「千の風になって」の訳者、作曲家。新井さんは般若心経に興味を持ち、その意味についていろいろな本を読んだり、人に聞いてみたが納得が得られず、けっきょく10年かけて自分なりの解釈(自由訳)をしたと言います。「自由訳 般若心経」(朝日新聞社)について、なんといっても般若心経の要諦は「色不異空・空不異色 色即是空 空即是色」ですから、その部分について新井氏の訳を引用しますと、
・・・この世に存在する形あるものはすべて、
空(くう)にほかならないのだよ。
そして、
空であるからこそ、
すべてのものが、
この世に生じてくるのだよ
・・・この世に存在する形あるものとは、
喩えて言えば、見なさい、
あの大空に浮かんだ雲のようなものなのだ。
雲は刻々とその姿を変える。そうして、
いつの間にか消えてなくなってしまう。
雲がいつまでも同じ形のまま浮かんでいる
などということがありえないように、
この世に存在する形あるものすべてに、
永遠不変などといことはありえないのだ。
すべては固定的でなく、流動的なのだ。
自立的ではなく、相互依存的なのだ。
絶対的ではなく、相対的なのだ。
今そこにあっても、またたくうちに滅び去ってしまう。
そうであるならば、そんなつかのまの存在に対してあれこれと、
こだわったり思い悩んだりするのは、
ばかばかしいことだとは思わないかね
・・・面白いことに、こうも言えるのだよ。
この世に存在する形あるものすべてがつかの
まであるからこそ、
ついさっきまで存在していたものが滅び去っ
た次の瞬間、
またぞろ様々なものが、
この世に生じてくるのだよ。
あたかも何もなかったあの大空に、
再び様々な雲が、
湧き出てくるようにね・・・
筆者のコメント:筆者はもちろん、自由訳を否定するものではありません。ただし、原文んの趣旨を取り違えなければ。新井氏は明らかに「色即是空 空即是色」を正しく理解していません。新井氏の解釈は、釈迦の教えの基本とされる(じつはそうではないのですが)縁起の法則(あらゆるモノゴトには原因がある)と無常(あらゆるものは常に変化している)の法則や華厳経の重々無尽(あらゆるものは相互に無限の関係をもって互いに作用し合っている)を援用して「色即是空」を解釈しようとしています。そして「教訓」として、・・・そんなつかのまの存在に対してあれこれと、こだわったり思い悩んだりするのは、ばかばかしいことだとは思わないかね・・・と。以前お話した松原泰道さんとすべて同じパターンですね。他にもこういう解釈する人が多いのです。しかも、次の「空即是色」も一体として解釈しなければなりませんから、・・・ついさっきまで存在していたものが滅び去った次の瞬間、またぞろ様々なものが、この世に生じてくるのだよ・・・と続けています。明らかに飛躍があり、こじつけです。そうせざるをえなかったのでしょう。
新井氏は10年かけて般若心経を解釈したそうですが、これでは新規の独自解釈とはなりません。「禅はわかったか、わからないかの世界である」とは、こういうことなのです。
・・・・
ちなみに新井氏が訳詞・作曲した、
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
は霊的に言って間違いです。(2020-1)