ひろさちや(増原良彦)さん(1936~東京大学文学部印度哲学科卒)広範な執筆・講演活動で仏教哲学の啓蒙家として知られていますね。「ひろさちやの般若心経88講」(新潮社)など著書多数。
「般若心経」 ひろさちやさん訳:
観自在菩薩がかつてほとけの智慧の完成を実践されたとき、肉体も精神もすべてが空であることを照見され、あらゆる苦悩を克服されました。
舎利子よ。存在は空にほかならず、空が存在にほかなりません。存在がすなわち空で、
空がすなわち存在です。感じたり、知ったり、意欲したり、判断したりする精神のはたらきも、これまた空です。舎利子よ。このように存在と精神のすべてが空でありますから、生じたり滅したりすることなく、きれいも汚いもなく、増えもせず減りもしません。
そして、小乗仏教においては、現象世界を五蘊(ごうん)・十二処・十八界
といったふうに、あれこれ分析的に捉えていますが、すべては空なのですから、
そんなものはいっさいありません。また、小乗仏教は、十二縁起や四諦といった
煩雑な教理を説きますが、すべては空ですから、そんなものはありません。
そしてまた、分別もなければ悟りもありません。大乗仏教では、悟りを開いても、
その悟りにこだわらないからです。
大乗仏教の菩薩は、ほとけの智慧を完成していますから、その心にはこだわりが
なく、こだわりがないので恐怖におびえることなく、事物をさかさに捉えることなく、
妄想に悩まされることなく、心は徹底して平安であります。また、三世の諸仏は、
ほとけの智慧を完成することによって、この上ない正しい完全な悟りを開かれました。
それ故、ほとけの智慧の完成はすばらしい霊力のある真言であり、すぐれた真言であり、無上の真言であり、無比の真言であることが知られます。それはあらゆる苦しみを取り除いてくれます。真実にして虚妄ならざるものです。そこで、ほとけの智慧の完成の真言を説きます。すなわち、これが真言です。
「わかった、わかった、ほとけのこころ。
すっかりわかった、ほとけのこころ。
ほとけさま、ありがとう」
筆者のコメント:ひろさんは長年、仏教をわかりやすい言葉で解説している人とされ、よく知られていますね。しかし、この般若心経の解釈は、全文を通じて安易すぎると思います。まず、ひろさんは、「空」を実体のないものと理解されているようです。すなわち、
・・・存在は空にほかならず、空が存在にほかなりません。存在がすなわち空で、空がすなわち存在です・・・
が「色即是空 空即是色」の部分でしょう。しかし、そもそも肝心の「なぜ存在が空か」の説明すらありません。これではどうしようもないですね。さらに、仏教を大乗仏教と小乗仏教に分けることは、現在では心ある宗教者によって否定されています。その上、最後の真言の部分は、呪文であって原文を音読することに意味があり、ひろさんのように解釈するものではないことも、誰もが認めていることなのです。
ひろさんの解釈は、「わかりやすく」というより、安易過ぎるように思われます。言うまでもなく、わかりやすいということは「どうでもいい」ということではありません。釈尊の直説が多く残っていると言われている原始仏教の経典、たとえば「スッタニパータ」はとてもわかりやすいのです。おそらく釈尊はわかりやすく、卑俗てなく、高尚な教えを説くことができた稀有の人なのでしょう。
ひろさちやさんの「般若心経」は、「五蘊」を「肉体と精神」、「色」を「存在」と訳しているので、「空」も誤解していると思います。