荒了寛さん 般若心経(1,2)

 1)荒了寛さん(1928-2019)は大正大学大学院で天台学専攻修了。天台宗米国ハワイ開教総長としてハワイに在住。天台宗大僧正。ハワイ及びアメリカ本土で布教活動に従事。その傍ら、ハワイ美術院、ハワイ学院日本語学校などを設立、日本文化の紹介、普及に務めていた。「空即是色花ざかり」(里文社)など。

 「般若心経で救われるか」(里文出版)で、太田保世さん(1936~郡山市・太田総合病院理事長2010年当時)、玄侑宗久さんらと鼎談。荒さんは当書で他のお二人に繰り返し「空わかればが苦がなくなるか」と尋ねています。それは当書のタイトルにも従うのですが、じつは荒さんには過去に苦い経験があったためだとか。すなわち、荒さんは、

 ・・・30代の頃、ある友人が、名門の高校に入ったばかりの一人娘さんに自死されてしまった(註1)。まず奥さんが精神的におかしくなった。友人は奥さんが娘の後を追いはしないかと見守りながら、なんとか会社に出ていました。時々私に電話をしてきて、会社の帰りに駅前の飲み屋で待っているからということで、飲みながら語り合ていたのですが、ある時彼は、真剣な顔で「人は死んだらどこへ行くのかなあ」と、聞くんですね。私は瞬間大いに戸惑いましたが、かれは大学で高分子化学を専攻して、日本の最大手の石油化学工業会社の開発部の課長をしていたほどの人物でしたから、うかつなことは言えないと思い。とっさに「色即是空だなあ」と言ってしまったのです。すると彼は険しい顔で「何だそれは」と聞いてきたので、私はあわてて「空とは・・・、色とは・・・」と説明しようとしたのですが、「あんたそれでも坊主か。ぼくら夫婦は、今ごろ娘は無事に極楽に行ったとか、それともまだ三途の川の手前の花畑あたりで花を摘みながら、時々こっちをみて、『お父さん、お母さん』と言っていると思いながら生きているのだ。そう思わなければわれわれ夫婦は一日も生きて行けないんだよ。僧侶なのにもっとましなことが言えないのか」と怒鳴るように言う。私としては科学者なら、特に石油化学の最先端で仕事をしている人なら理解できると思って「色即是空」などと言ったのですが、こんな時に言うべきではなかったと大いに反省したけど、遅かった。娘さんの一周忌を済ませると、友人夫妻は、娘さんが亡くなった部屋で、二人して後を追っていったのです。必ずしも私の一言でそうなったとは限らないかもしれませんが、あの時、極楽浄土の話(註2)とか、仏教の常識的なイメージが浮かぶような話をして、この夫婦をはげますことができれば、この夫婦の生き方も変わっていたかもしれないかと思うと、今でもやり切れないのです・・・

筆者のコメント:これが当書で荒さんが他のお二人に「空がわかればが苦がなくなるか」と繰り返し尋ねている理由(註3)なのですね。荒さんは20歳のころから高神覚昇さんの「般若心経講義」などを通じて、般若心経の内容を知り、・・・「空即是色は花ざかり」と言う言葉を見付けた時「あっ空(くう)とはこういうことか」と感動したことを今でも般若心経を読むたびに生き生きとよみがえってくる・・・と言っています。しかし、80歳の、大久保さんや玄侑さんとの鼎談の時でも「空」の意味はわかっていないのです。それは「般若心経で救われるか」や自著の「空即是色花ざかり」を読めばよくわかります。自分がわかっていないことを根拠にして生死のことで人を勇気付けられるはずがありません。

 それにしても荒さんはその友人に何とバカなことを言ったものでしょう。「大いに反省したけど、遅かった」と言っていますが、決して遅くはなかったはず。話を変えればよかったのです。おまけに日本の最大手の石油化学工業会社の課長までやっている人に極楽浄土のことを聞いて「なるほど」と思うはずがないでしょう。僧侶をしてる人なら、こういう時適切なアドバイスができるよう心掛けているのは当然でしょう。

註1 娘さんが入学したのは荒さんが個人的縁故で紹介した入学が難しい有名な私立高校でした。お父さんは、第一学期の成績表を見て「こんなことじゃいかんね。もっと勉強しなさい」と言ったそうです。もともと成績が良く、深刻なショックだったのですね。

註2 わが国の「地獄極楽思想」は、天台宗の源信(942-1017)が「往生要集」の中で初めて説き、後の法然や親鸞の浄土思想に大きな影響を与えました。しかし法然自身は地獄や極楽の存在など少しも信じていず、単に大衆を導く方便だったと思っています。筆者は、以前のブログで「釈迦も驚く地獄極楽思想」を書きました。ちなみに源信も天台宗の僧侶です。

註3 荒さんが大久保さんや玄侑さんに「空がわかればが苦がなくなりますか」と何度尋ねても、話は噛み合いませんでした。いつも変な方へ行ってしまったのです。当然でしょう。二人とも般若心経はわかっていなかったのですから。

2) 荒了寛さんが感動した高神覚昇(1894-1948)さんの「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)には、

 ・・・因縁(太字:筆者)より生ずる一切すべての法のものは、ことごとく空です。空なる状態にあるのです・・・雪ふりしきる厳冬のさ中に、花を尋ねても、花はどこにもありませぬ。これがとりも直さず「色即すなわち是れ空」です。しかし、霞たなびく春が訪れると、いつとはなしに、枯れたとみえる桜の梢には、花がニッコリ微笑ほほえんでおります。これがすなわち「空即ち是れ色」です。何事によらず、いつまでもあると思うのもむろん間違いですがまた空だといって何物もないと思うのももとより誤りです・・・とあります。

 「ブルータスお前もか!」ですね。荒さんが40年後でも・・・「(あの時)あっ空(くう)とはこういうことか」 と感動したことを今でも「般若心経」を読むたびに生き生きとよみがえってくる・・・と言っているのが、まだ「空」がわかっていなかった何よりの証拠でしょう(註1)。

 筆者なら「死後の世界は必ずあります・・・」と言ったでしょう。大切な人を亡くした人にとって、それが一つの大きな慰めになることを承知していればこそ、このブログシリーズで、あの東日本大震災後に起こったさまざまな霊的現象を紹介したり、筆者自身の霊的体験をお話しているのです。それもできるだけ控えめに! 

 筆者がこのブログシリーズを書いている大きな目的は、震災や事故の遺族たちの少しでも支えになればと思っているからです。東日本大震災の時、現地に入った有名寺院の僧侶たちが「いかに無力だったか」と涙ながらに語っていました。

 荒さんは最終的には天台宗大僧正の位だったとか。「神も仏もあるものか」と言い放った瀬戸内寂聴も天台宗です。大僧正などという時代離れした大仰な階級こそ布教には不適切でしょう。筆者は、天台宗は過去の宗教と考えています。そんなものがハワイやアメリカで布教できるとは思えません。

註1 荒さんの「羅漢さんの絵説法(2)- 般若心経 空即是色花ざかり」(里文出版)の「色不異空・空不異色」については、・・・若木の花のみずみずしさ 老木の花の気品・・・「色即是空・空即是色」については、・・・咲く時は渾身の力で咲け 輝く時は命がけ輝け 人間の一生は短い・・・と書かれています。さらに荒さんがハワイの天台宗別院のセミナーで使っていたテキストには、

・・・「色即不異空・空不異色」はThe form does not differ from emptiness, nor emptiness from form・・・、「色即是空・空即是色」は、The form is emptiness, the emptiness is form.・・・とあります。こんなものをテキストにされたら、受講者はたまったものではないでしょう。

 筆者註 荒さんは2019年1月に亡くなられましたので、筆者のこのコメントに対する反論ができません。代わってどなたにでも反論していただいて構いません。

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