禅とはなんだろう

        中野禅塾 (2015/9/15)

禅とはなんだろう(1)

 ブログを読んでくださった方から、「もっと初心者の方にもわかりやすい記事を」とのアドバイスをいただきました。そこで、シリーズを一休みして、「なんのために禅を学ぶのか」についてお話しさせていただきます。もちろん、禅を学ぶ目的は人さまざまです。

 最初の著書「禅を正しく、わかりやすく」(株式会社パレード)にも書きましたように、筆者は6年ほど前、大変苦しい状況に陥りました。その時、是が非でも自分を支える思想を必要としました。「一度落ち込むと、負のスパイラルに入る」ことだけは感覚的に承知していたからです。筆者は昔から、さまざまな本を読んで「これはいいな」と思われる語句をノートに記録してきました。将来困った時、自分を支えるものになるだろうと考えたからです。6年前のその頃、2-3冊になったノートを必死になって読み返しました。しかし、残念ながら力にはなってくれませんでした。

 そこで、「禅を本格的に学び直そう」と決心しました。なぜ禅に思いが行ったのか、今ではよく思い出せません。たしかに何十年も前から禅に興味を持っていてたのですが、いろいろな本を読んでもどうもよく分からなかったのです。今振り返ると、どうも、それらの解説書を書いた人自身がよく分かっていなかったからだろうと思われます。そこで、解説書ではなく、自分自身で、原典である道元の「正法眼蔵」に取り組むことにしました。図書館で検索してみますと、橋田邦彦先生の「正法眼蔵釈意」(山喜房沸書林)が見つかりました。橋田先生は、元東京大学医学部生理学教授で、近衛内閣の文部大臣をされた人です。惜しくも終戦直後、戦犯にされるのを嫌って自死されました。橋田先生の「正法眼蔵釈意」は戦時中の出版で、紙質が悪く、破れかけているのを慎重にコピーしました。

 橋田先生の文章も筆者には非常に難しかったのですが、いかにも学者らしい、誠実な人柄が偲ばれ、同じ学者として共感が持てました。必死になって読み進みますと、やはり橋田先生こそ「本当に禅が分かった人だ」と思いました。橋田先生は、近・現代のいかなる僧侶や仏教解説者達の助けを借りることなく、独力で「正法眼蔵」の解釈に挑戦されました。先生の本を読みますと、「禅が分からない」と言う人達に、「君達は中学・高校・大学と何年も勉強して、医学のことが少し分かるようになったのではないか。2年や3年で禅が分かるはずがない」と言っておられたそうです。驚くべきことに、先生は当時、医学部のセミナーとして、毎週一回「正法眼蔵」についてお話しされていたそうです。

 全3冊を読み進んだ頃、いろいろな幸運も重なって、筆者は苦境を脱出することができました。今では、何か人生の「核」ができたように、心強く思っています。

 次回は、禅の精神を世界平和のために生かすための活動をしていらっしゃるベトナム出身のテイク・ナット・ハン師についてお話しさせていただきます。

禅とは何だろう(2)

テイクナットハン師の活動
テイクナットハン師(1926~)はベトナム出身の禅僧です。フランスとのインドシナ戦争、アメリカとの戦い、そして南北ベトナム戦争と、長い間「明日の命もわからない」渦中にあった人です。しかし常にどちらの勢力にも属さず、非暴力を訴え続けました。そのため、北ベトナムによる統一後も国を追われ、現在はフランスの農村にプラムビレッジ(すももの里)と呼ばれる修養の場を開きました。今では毎年、世界中から多くの人が修行とリトリート(自分を見つめ直す)を受けに訪れています。驚くべきことに、そこではイスラエルとパレスチナの人々も一堂に会しているのです。ハン師は「行動する仏教」運動を実践しています。

 あの東日本大震災の時、多くのわが国の仏教僧たちが現地を訪れ、被災者に対する誠実な傾聴活動を行ったことはよく知られています。しかし、そのほとんどが挫折したのです。ある有名寺院の布教教化委員であるエリート青年僧が、自分の無力さを感じ涙を流していたと、NHKテレビで放映されていました。僧達の気持ちが純粋であっただけに、見る者の胸を打ちました。筆者にはどうしてもわが国の仏教、ことに大乗仏教が衰退してしまったためと思わざるを得ません。

 これに対し、ハン師の「行動する仏教」は、具体的で、はるかに説得力があるように思えます。ハン師の実践は、いわゆる南伝仏教(註)の「気付き」を基本とします。国家同士、民族、異なる宗教、宗派、さまざまな組織、家族間であれ、まず対立する一方が、自らの怒りや恐怖をはっきりと認識し、その上で慈愛をもって相手の言い分に耳を傾けようと言うのです。お互い、長い恨みの歴史があり、不信や疑心暗鬼も生じているはずです。また、話し合いの途中でも思わず暴言を吐き、相手の話を途中で遮ることも必ずあるでしょう。しかし、まず自分の心を見つめ直し、怒りや不信の根に「気付こう」と言うのです。その上で、相手の言葉尻に捉われることなく、最後まで相手の話を聞き、共感できるところは共感しようと言うのです。これらのハン師の平和主義は、世界中の人々の共感を呼び、さまざまな国でリトリートを行い、アメリカ連邦議会や、フランスのユネスコにも招かれ、講演を行っています。
 ハン師の活動は、まさに禅の教えを世の中のために生かしている好例でしょう。

註 釈迦によって始められた仏教は、その後チベットや西域、中国、朝鮮、日本などに伝わりました。  北伝仏教と称します。一方、スリランカ、ミャンマー、タイなどに伝わったものを南伝仏教と
  言います。北伝仏教が、いわゆる大乗仏教であるのに対し、南伝仏教は初期仏教の影響を色濃く 
  残しています。ハン師の言う「気付き」は南伝仏教で重視される修法です。ちなみにインドで
  はその後、仏教は衰退し、ヒンズー教が主流を占めています。

禅とは何だろう(3)

 禅は東洋独特のモノゴトの観かたです。西洋の哲学や科学の特徴は、モノゴトを区別し、分析し、比較することにあります。筆者も長年生命科学の研究をして来ましたから、それがよくわかります。この思考方法が科学研究の基本として使われてきたたため、皆さんご存知のすばらしい医療技術や工業技術の発展をもたらしました。

 しかし、一方、このモノゴトの見かたが政治や経済の哲学としても使われたため、国家や宗教間の深刻な対立を生み出しました。第二次大戦中のドイツは、「異教徒」としてユダヤ人の大量虐殺を行いましたし、現在では、キリスト教徒とイスラム教徒の対立は激しさを増す一方です。しかし、キリスト教とユダヤ教やイスラム教は、歴史的に言って、ごく近い教えなのです。しかもイラン、シリア、イラクやアフガニスタンなどの人びとの間の対立は、同じイスラム教のシーア派とスンニ派同士の争いなのです。私たち日本人には信じられないことですね。

 宗教派閥の間ばかりではありません。社会主義系のロシアや中国と、自由主義系のアメリカやイギリス、フランス、ドイツなどとの争いは、朝鮮半島やベトナム、さらには中東での代理戦争から、経済問題にまで及んでいます。これらはすべて西洋的モノゴトの考え方、つまり区別と分析と比較に基づくものです。今、世界では、投機が経済を引っ張り回し、円やドル、ユーロなどのわずかな変動で、さまざまな国の経済が浮沈しています。マネーゲームですね。そのため、真面目なモノづくりや貿易活動など、あっという間に吹っ飛んでしまうことが、日常的に繰り返されています。わずか7年前のリーマンショックが世界経済を激震しました。しかし最近、アメリカの金利値上げが現実になってみると、もう、リーマンショックの震源地だったアメリカで、マンションや住宅などの不動産投機が盛んになっているのです。「人間は歴史を教訓とする」など、まったくの誤りですね。
 政治や経済問題ばかりではありません。この考えは日本にも深く浸透し、会社間の競争が激化し、過労死や、うつ病患者を増やしています。さらに受験戦争をとおして、子供たちの心を大きく蝕んでいます。人びとは心休まるときがないのです。

 世界の心ある人たちには、世界はもうどうしようもないところまで来ていると思えるのです。

 これに対し、そもそも禅には対立や、比較して優劣を評価する思想がまったくないのです。また、人間同士はもちろん、人間と自然とは一体なのです。禅ではよく、「父母未生以前の自己如何」と言います。「父や母すら生まれる前のお前はどうか」という意味です。つまり、他人との比較というような、相対的な自分というものを離れた、絶対・普遍的な本来の自分を考えなさい」というわけですね。いかにこれまでの西洋的モノゴトの見かたと違うか、よくお分かりでしょう。そのため、この東洋独自の思想のすばらしさに気付いた西洋の有識者たちは、今こぞって、禅に強い関心を持つようになっているのです。禅の目的は、穏やかで、心豊かな人生を送るためのものなのです。

 禅こそ、世界を救う大きなカギなのです。

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