筆者が禅の道に戻った理由

 筆者は20歳代の頃から「どうも生きにくい」と感じていました。周りとの関係がギクシャクすることが多かったのです(それには霊的な理由があることが後年わかりました)。そこで筆者はキリスト教の教会に通いました。しかし、どうもしっくりいきません。そこで禅の本を読みました。たまたま手にしたのが松原泰道さんの「般若心経入門」です。30歳の頃でした。しかし、松原さんが「あらゆるモノには実体がない」という考えにどうしても納得が行きませんでした。その失望から禅から離れました。まちがったことを書くことの罪は大きいのです。その判断は今でも変わらずこのブログシリーズでも書きました。もちろん今度は、「なんかおかしい」ではなく、「ここがおかしい」との根拠も明示しました。

 40歳代初めに個人的にとても困ったことが起こり、どうしても解決できない苦しみの中で、たまたま書店である神道系教団の教祖の著書を見付けました。さっそく隣県にあるその教会を訪れ、感じるところがありましたので、入会しました。そこでは「霊能開発修行」を主旨にしておりましたが、そのことは入会してから知ったたのです。月に1回、1日3回ずつ「霊感修行」があり、神前で座り、後ろで導師が祝詞を奏上するという型式でした。最初から強く感応したので驚きました。1回の修行ごとに修行帖に判を押してくれます。5年ほどで300回に達しました。修行が進むと神占法、神伝治療法(病気の治療)、邪霊払いなどができるようになります。今考えればその修行は「悟りへの道」だったと思います。その後別の教団へ移り、さらに5年間、同じような修行を積みました。そこで筆者が「なぜ生きにくいか」の霊的意味もわかりました。もともとある程度の素質もあったのでしょう。霊能開発は進み、ついに「あと一歩で霊能者になるところまで達しました(教祖の言葉)」。世の中には霊能者になるのを目指している人も少なくありませんね。しかし、霊能者になれば大きな責任が生じます(それをわかっていない人が実に多いのですが)。趣味として、あるいは仕事の片手間でやることではないのです。筆者には大学での研究と教育という重要な責務がありました。そこで教祖と相談し、霊能者への道を閉じていただきました。今でも正しい判断だったと思います。けっきょく、いろいろな事情があって筆者はその教団をやめました。その理由の一つは、修行が受け身だったことです。やはり、信仰とは、なにより自ら積極的に学ぶことだと思ったからです。このブログを書き始めたのは、すべての公職を終えてからです。

 以上、筆者の信仰も仏教に始まり、キリスト教から神道系教団と変化しましたが、結局、「禅こそ」との考えに至りました。その途上で神智学や、カントや西田哲学も学びました。南伝仏教の拠点スリランカの道場でも瞑想修行をしました。今考えてもこれらの遍歴は決して無駄ではなかったと思います。というより、「何かに導かれてここまで来たのではないか」とさえ考えています。なにより大切な気づきは、命は神によって造られたことに「ハッ」と気付いたことです。霊の存在もいやというほど体験しましたが、それも貴重な経験だったと思います。

 人間的にもずいぶん変わったと思います。大学の教え子に「人見知りする」と言ったところ「先生は明るくて、気さくで話好きな方だと思っていました」と驚かれました。生命は神によって造られたとの思いは、自ずと他の人に対する見方がやさしくなったのは当然でしょう。そして「少しでも世の中のために」と始めた一人ボランテイア活動が地域の人の目に留まり、最近、思いがけなく市から表彰されました。

 そして、こうして禅に関するブログを書き続けていることは、大きな生きがいになっています。

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