最短時間で悟りに至った人

 アルボムッレ・スマナサーラ著「パティパダー巻頭法話 No.35(1998年1月)」
より。スマナサーラさんはスリランカ上座部仏教(テーラワーダ仏教)の長老であり、日本テーラワーダ仏教教会会長でもあります。スマナサーラ師のお話を聞いたことがありますが、日本語がとてもお上手です。スリランカは日本仏教が大乗仏教であることと対照的に、初期の上座部仏教が伝わって現在に続いています。筆者もスリランカ中部のキャンデイの寺院で短期間瞑想修行をしたことがあり、共感するところが多いのです。エピソードの内容は、

 ・・・自分は「悟った人」と思っていた元インドの商人バーヒヤが友人に「君は聖者でもなく、聖者たる者はどのような人かということの一かけらさえ知りません」と友人は言われ、非常にショックを受け、我に返った。そこで彼は「どうか私に聖者になる道(悟りへの道)を教えてください」と友達に懇願しました。すると友達は言いました。「私はその道は知りません。人間の間に今、仏陀が現れています。彼が伝道して多くの人々を悟りへ導いています。その釈迦牟尼仏陀に会って指導を受けてください」バーヒヤは、その話を聞いてすぐすべてを捨てて立ち上がったのです。何カ月もの日々をかけて仏陀のおられる北の方へ旅をし、托鉢中の釈迦に会いました。

 仏陀は「食事の後教えますから、待ちなさい」とおっしゃいましたが、バーヒヤは引き下がりませんでした。「人は生きていれば、いつでも食べられます。ですが人間はいつ死ぬかわかりません。その前に清らかな心を作ることこそが最優先の目的ではないでしょうか」この言葉には、釈迦尊も何も言うことがありませんでした。そこで釈尊は立ったまま説法を始めました。


「バーヒヤ、見るものは見ただけで、聞くものは聞いただけで、感じたものは感じただけ、考えたことは考えただけでとどまりなさい。そのときあなたは、外にはいない(対象にわれない)。内にもいない(心の中にも執着が生まれない)。外にも、内にもいないあなたはどちらにもいない。それは一切の苦しみの終わりである」

 この言葉を聞いただけでバーヒヤは完全に悟りを開いて、阿羅漢になりました。瞬間のできごとでした。彼は後に釈迦の弟子の一人として認められました。

筆者のコメント:あらゆるモノゴトを認識(見た、聞いた、嗅いだ、味わった、触れた)したときに一切の判断を入れないという、「空の観かたで観たモノゴトの認識」こそ、悟りへの最短距離だと言っているのですね。ただし、頭で理解しただけではダメです。全身で体験しなければ。

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