早川一光医師‐在宅医療、自宅で死ぬ

 早川一光(かずてる)医師(1924-2018)は、在宅医療地域医療の先駆けとなった人です。その持論は、ほとんど一世を風靡したといっていいでしょう。講演も多く、その一部はCDにもなって、筆者も持っています。以下はNHK「あの人に会いたい」から引用させていただきました。

 早川さんいわく、

 ・・・病と付き合う。老いと付き合う。老いというものは円熟。熟していくんだという風にモノを見る見方。積極的、ポジティブ、陽性にモノを見るというのが大事。死もまた、迎えがいつ来てもいいというモノの考え方、人生観。人間の死は非常に個性的であるべき、その人でないと演じられない独演。見事な死にざまを演じようと思った時には、見事な一日一日を生きて欲しい。死ぬ時だけうまいことをやりましょうなんていかない。私は往診こそ最高の医療と思っています。なぜかというと、病院で診たら臓物の故障はわかりますが、暮らしの故障はわからない。行ってみて初めて、おっ!こんな家でこんな人たちがおって、やっぱり家を治す病を治すんじゃなくて、家族関係を治す。そして人間の心を治していく、これが本当の本来の医療じゃないか。畳の上での大往生。「おじいちゃんやっぱり死ぬときは家で死ぬのかな。病院で死ぬのかな」。「それはやっぱり家の方がいいやろね」「家の方がいいか。やっぱり。この住み慣れた家がいいか。おばあちゃんがそばにおって。心の医療というものの表現のしかたは、やっぱり畳の上で死ねるような暮らし方・・・そういう人間関係の中で、家族との人間関係、地域との人間関係の中で息を引き取れて行く。そういう息の引き取り方をさせたい。孫、ひ孫に囲まれながらね。「おばあちゃん死なないで」という、そういう言葉を耳に挟みながら、最後の人息をふっと詰めて行く・・・。

どの言葉も納得できる良い言葉ですね。ところが問題はここからです。 しかし、問題はここからなのです。

 以下はETV特集「こんなはずじゃなかった」(H29)より、

 しかし、ご自身が90歳で白血病になり、この人生観が根底から揺らいだ。「こんなはずじゃなかった。おれは何をしてきたんだろう。「在宅は天国や」と言ってみんなを煽って来たけど、それ天国なんか?

 まったく「それはないでしょう」ですね。早川さんが長年標榜し、実践してきた在宅医療が、じつは家族のとても大きな負担となることもわかり、自らも死の恐怖に苛まれるようになったのです・・・

 早川さん自身の担当医に「入院したら帰って来れないかもしれない。その時はどうしましょう」と聞かれて(当然な質問ですね。入院は本人の医師としての信念に反します。しかし入院すれば高度の医療も受けられます:筆者)

早川さんの答え「先生、難しいなあ先生」

担当医「そこを決めとかないとどこで最後を迎えるかということだから」

早川「苦しみを受容するか拒否するか。難しい」

担当医「難しいですよ」

早川「永遠のテーマかもしれませんよ」

早川「こんなはずじゃなかった」

・・・お気の毒ですが「私の人生は何だったのか」と思われたのですね。

 その後、早川さんは「最後まで僕が失ってならないものは、生きて行くしんどさをしみじみ噛み締めて・・・」と言っていますが、負け惜しみの自己弁護としか思えません。読者の皆さんはどう思いますか。

けっきょく、早川さんは自宅で家族に看取られながら94歳で亡くなられました。

 筆者の母親は、結局1年ほど入院したでしょうか、あるとき医師から「もうこれ以上ここで治療しても改善する見込みはないので、自宅療養してください」と言われました。追い出されたのです。15年前のことで、今はどうかわかりませんが、胃管を通して栄養補給しなければならなくなりました。素人が毎日、毎晩できることではありません。下手をするとチュ-ブが肺に入り誤嚥性肺炎という重大な事故を引き起こすこともあるのです。

風呂にも入れなければなりません。母は人に迷惑を掛けることがとても嫌いな人でした。状況がわかったのでしょう。あっと言う間に逝ってしまいました。

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