安楽死?それでも医師を支持します(2)

 前回ご紹介した、スイスで安楽死を選んだKさんの闘病生活や安楽死に至るまでの思いを克明につづったNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」について、「精神病者集団」から次のような抗議が寄せられました(紙面の制限により一部割愛させていただきます)。

 ・・・番組中では、安楽死が肯定的に表現され、死に様までもが克明に放送されたことは私たち障害者にとってたいへん衝撃的でした。この「重度障害者になるくらいなら死んだ方がマシ」という考え方は、相模原市における障害者施設で発生した連続殺傷事件の被告の優生思想につらなるものであり、平然と公共放送で流されている状況は看過できないです。相模原事件の被告につらなる「重度障害者になるくらいなら死んだ方がマシ」という考え方は、つまるところ障害者の生を否定するものであり、私たち全障害者に向けられた殺意そのものです・・・。

筆者のコメント:かなり激烈な表現ですね。ことに「『重度障害者になるくらいなら死んだ方がマシ』という考え方は、つまるところ障害者の生を否定するものであり、私たち全障害者に向けられた殺意そのものです」の発言には、疑問があります。まず、相模原事件とKさんの問題はまったく別です。相模原事件は異常な偏見を持った人間による殺人事件です。一方、NHKの番組は、Kさんの「私には、生きる権利と同時に死ぬ権利も欲しい」という願いと経過を冷静に追ったものです。筆者も強い感動を得ました。「殺意そのもの」という感情的表現は、これからなされるべき真摯な話し合いを妨げるもので、大勢の人の反発を招きかねないと思います。

 一方、今回のAさん(実際はHさん)の安楽死事件について、ALS当事者で医師の竹田主子さん(50)は、

 ・・・私は7年前に発症しました。ALSとの診断をされ、大きなショックを受けました。自分が無力で価値のないものに思えます。ALSのようにどんどん身体が動かなくなるのは恐怖ですし、治らないとなると人生に絶望し、死にたくなります。でも今は24時間介護を受けて、視線入力パソコンを使い、医療コンサルタントの他、生命倫理や終末期医療について学会や大学で講義を行っています。病気で療養している、という自覚は消えて、たぶん、健康な皆さんと同じ感覚で生活しています。そんな私から見ると、この事件は二つの要素があります。一つ目は自殺願望の人間の呼びかけに応じて、ゆがんだ思想を持った医師が、金銭目的で殺人を行ったこと。二つ目は病気を苦に、自殺したい人がいることです。この二つは分けて考えなければいけません。報道で見る限り、2容疑者は、高齢者蔑視の発言をしたり、医学的知識を悪用して完全犯罪をもくろみ、「死なせたい“老人”」の殺害方法を書いたり、その目的を達成するために患者さんの意向をでっち上げることをほのめかしたりと、もはや医者の皮を被った凶悪犯罪の容疑者としか思えません。問われるべきは医師の倫理です。他に被害者がいないことを祈るばかりですが、こうした明らかに倫理観が欠如した医師を生み出さないシステムを考えないといけないと思います・・・今回の事件のような、健康問題を抱える人と自殺したいほど悩んでいる人を、全員法律で自殺可能にしていいのでしょうか?

筆者のコメント:竹田さんのように、病気を受け入れ、ネットなどを通じて社会とかかわりを持ち、「生きがいである仕事もして、プライベートも充実して、何事もなかったかのように生活している」人はまことに結構だと思います。しかしここでもKさんやAさんの状況とはまったく違うのです。24時間途切れることのない激烈な痛みに苛まれ、将来、人工呼吸器を付け、栄養も排泄も他人に頼らざるを得ず、植物状態にもなりかねない人たちの必死の訴えなのです。「全員法律で自殺可能にしていいのでしょうか?」 の言葉もこれからなされるべき真摯な議論に水を差すものです。精神難病についての研究をしていていた筆者がそう思うのです。さらに、竹田さんの「健康な皆さんと同じ感覚で生活しています 」は嘘です。

 安倍首相はじめ政権はこの件にタッチせず。立憲の枝野代表に至っては「安楽死事件ではない」と述べてこの事件を安楽死や尊厳死に関連付けて議論すべきではないとの認識を示した。ただ維新だけが「尊厳死の法整備の議論をすべき」と言っています。その通りだと思います。

追記: 石原慎太郎元東京都知事が「武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ」とTwitterで発信しました。やや乱暴な言葉ですが、事の本質は突いているようです。

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