聖なる巡礼路を行く

 NHK(7・24)「聖なる巡礼路を行く」を見ましたか?フランス中部の聖地ル・ピュイ・アン・ヴィレイからスペイン北西部の聖地サンチアゴ・デ・コンポステーラ寺院までの、実に1500キロを徒歩で目指すものです。サンチアゴはキリストの弟子パウロのスペイン語名です。キリスト亡きあと、第一の弟子として活躍を期待されていた人ですが、その声望を恐れたユダヤ王によって殺されました。遺体は弟子たちによって船で運ばれ、密かに埋葬されました。その場所は長く不明でしたが、800年後、星に導かれた羊飼いによって見付けられました。そのに建てられたのがサンチアゴ・デ・コンポステーラ寺院です。12世紀には巡礼者は年間50万人に達したとか。しかし、その後途絶え、今世紀になってふたたび盛んになりました。現代の巡礼者たちは1日約20キロ、2か月半を掛けて辿るのです。巡礼路のところどころには、専用の宿泊施設もあります。1500キロは、奇しくもわが国の四国88か所巡りと同じ距離です。筆者は以前から、四国遍路に強い関心をいだき、ブログにも書きました。今回もこの番組を見て強い感銘を受けましたのでご紹介します。

 巡礼者たちの動機はさまざまでした。さまざまな国から、そしてさまざまな年齢層(中には80歳代の人も)の男女が参加していました。とくに印象的だった例は、

 1)46歳男性。スイス国境に近いフランスの町でレストランのオーナーシェフでした。21歳で結婚してから、家族のために働きづめに働いた結果、半年前に心筋梗塞で倒れた。「ある日突然私の心臓は止まったのです。そこで初めて気付いたのです。私は自分を癒す時間を取らなかったことを。それが最も必要なことで、常に私が求めていたことを。ゆっくり人生を考える時間はありませんでした。子供が大きくなったらゆっくり休もうと思いながら。結局ずっと働き続けました」。この危機を契機にそれを問い直すため、レストランを売ってこの巡礼に参加した。巡礼の途中で出会った教会には必ず立ち寄り、祈りを捧げた。「追い越されたり抜いたりしているうちに、自然に一つの集まりになったのです。それがとても心地よいことだと気づいたのです。そのうち自分が小さな幸せの中にいることに気づくのです。今までと違う視点でものごとを考えることができるようになりました。抱えてきたストレスが消え、心がとても静かになりました」。

 2)46歳フランス人女性。夫の家庭内暴力に長い間苦しめられ、最後には全財産を持って出て行かれた。おまけに娘まで家出をしてしまった・・・。「なぜ巡礼路に向かったのか思い出せないくらい混乱していました」「歩いてみると私のために祈ってくれる人がいたのです。自分が独りぼっちではないと気が付いたのです・・・」。 取材の今、2回目を歩いています。

 3)17歳アメリカ人少女。母親と一緒に。「高校を卒業して、大学に入る前1年間休みを取ることにしました。本当の自分の進むべき道は何なのかを知りたい。巡礼することで世界の人々とつながりを持てるし、どんな人生を送るべきかその答えも見つかるかもしれません」と参加。

 フランス―スペインの国境にあるピレネー山脈越えが最大の難所で、頂上は氷点下にまで下がり、最初の9キロはひたすら上りが続く。このため、登り口には、わざわざ巡礼者にその大変さと覚悟を確認するための案内所があるほど。とくに印象的だったのはスペインに入って150キロ続く丘陵地帯を歩く。山も川も木々さえまれな道のため、意識はひたすら自分の内部に向けられる。四国巡礼にも同じような遍路道があり、巡礼者に大きな実りをもたらす一方、そこで挫折する人も少なくないと言います。

  巡礼者たちは歌います。

 ・・・毎朝われわれは道を行く行く、毎朝もっと遠くへと。巡礼路がわれわれを呼ぶ。それはコンポステーラの声。もっともっと遠くへ。もっと高みへ。神よ導き給え・・・

 目的地に達した人たちの満足感は測り知れないでしょう。

 ・・・とても良い話ですね。これらの話を聞いて、筆者には忸怩たるものがあります。例に挙げたオーナーシェフ以上の人生を送って来たからです。70歳で仕事をやめ、自分を見つめる生活に入りました。幸いにもそれまで倒れることはありませんでした。それから10年、禅を学び続けています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です