誇り高い人生、誇り高い死

 先日、筆者の集合住宅の上の階のお年寄りAさん(89歳)が亡くなられました。40年来、家族ぐるみで親しくお付き合いさせていただいた人です。20年ほど前に奥様を亡くされてから、近所に住む息子さんが同じマンションに別の部屋を購入したにもかかわらず、「住み慣れたところが良いから」と、一人暮らしをしてこられました。

 長く公務員をしていた人で、おだやかで良識ある紳士でした。文字通り隣人ですし、筆者の家内は地区委員をしていますので、ことに注意を払ってきました。地区委員の業務には厳しい規制があり、相手の方の部屋に入ることはできません。しかし、たとえば先日の「給付金の手続きの仕方がわからない」時など、部屋に入らざるを得ません。そのためいつも筆者が同行し、ご近所として、お手伝いをしてきました。そんなときにも「1時間○○円の契約で」とおっしゃるのです。「ゴミくらい一緒に出しますから」と言ってもあくまでご自分で出しに行かれました。「誰か、一日○○円で手伝ってくれる人はいないだろうか」などなど。このように人の厚意に甘えるということが一切ない、誇り高い人でした。

 毎週2回ケアマネージャーさんが、来られ、看護師の方も見回りに来ていました。さらに、土曜日にはデイサービスに行き、一日楽しく過ごすなど、日常生活には一応支障はなかったようです。もちろんそれらは有料です。ただ、何分高齢のため、身体的にも衰えが目立ち、ことに、先日お話した時には「朝と、夕方の区別がつかないことがあった」とか、「エアコンの操作の仕方がわからない」など、認知症の症状も出始めたと自覚していらっしゃいました。

 先日のその日は、突然ケアマネージャーさんが我が家の「ピンポーン」をされました。「Aさんの呼び鈴を鳴らしても応答がない」と。家内と相談の上、息子さんに連絡してドアを開けてみたところ・・・。1日前に看護師さんが来て「どこにも異常はない」との報告でしたから、まさに大往生と言うべきでしょう。何しろ入院さえしたことはなかった人ですから。

 このように、Aさんはまことに爽やかに、人の情けにすがることなく、自分の人生を生き切った人だと思います。家内とも話しましたが、「あの誇り高い生き方が、あのすばらしい死に方につながった」と思います。どんな死に方になるかは天命に従うしかありませんが、どんな生き方をするかは私たちも見習うことができますね。

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