尊厳死?嘱託殺人?(3)

  昨年11月、重度のALS(筋萎縮性側索硬化症)の林優里さん(51)がSNSで知り合った二人の医師によって安楽死を遂げた。この問題について、スイスで合法的に安楽死を遂げた小島ミーナさんのケースと合わせて、2回にわたってこのブログで筆者の意見を述べました。最近、NHKでさらに2回にわたって特別番組が放映されました。林さんのブログを初め、同じALS患者、他の神経難病患者の考えに加え、生命倫理の専門家や一般女性の意見も述べられていました。きわめて大切な問題ですから再度筆者の意見を述べます。

 それを視聴して印象的だったのは、まず林さんの「言葉も話せなくなり、死にたいと思っても自分ではどうしようもなくなった時の恐怖」と「その前に安楽死も選べるんだとわかったとき、とても安心した」という言葉です。その他の人たちのコメントは、いつもどこかに論旨のすり替えがあったことです。以下、それらの言葉と筆者の感想です。

 生命倫理の専門家:あの状態を安楽死と呼べるのか。

 筆者の感想:小島ミーナさんは、自ら致死量の麻酔薬チューブを開けました。死に至る数分間、苦痛が取れたでしょう。そして「これで終われる」と安堵したはずです。林さんも麻酔薬によって亡くなりました。

 ALS患者(Oさん-1:安楽死の問題が議論されることが、私たちに圧力になってしまうことを知ってほしい。生死の問題は当人と家族だけが発言する権利があると思います。

筆者の感想:そのとおりですね。十分な配慮を持って議論されなければなりません。しかし、9年間も介護作業をしてきた女性が、「私の腕に爪を立てて『死なせてほしい』と何人の患者から頼まれたかわかりません」と言っているのをどう思いますか。その人たちのために議論しているのです。「当人と家族だけが発言する権利がある」と言っても、法の整備が行われない限り、安楽死を望む人の希望に応えることができません。そのためにも、十分な議論が必要なのです。第一、「これ以上誇りを捨ててまでして生きたくない」といているのはご本人なのです。

ALS患者(Oさん-2:自殺は人間だけの誇り高い特権だと言うのですか。自殺が可能なことで人間の尊厳が守られるということでしょうか。もし体が動かないことが尊厳を失うことなら、私は尊厳を失った人間です。

 筆者の感想:そんなことは誰も言っていません。あなたは生きたいと思っているのですから、それも尊いことです。国や周囲の最大限の援助を受けて生きてください。しかし、あなたは人間の尊厳という言葉をすり替えています。「安楽死により人間の尊厳を保ちたい」と言っている人は、「排泄さえも他人の世話にならなければならない生を送ることで人間としての尊厳を保てるのか」と考えているのです。そういう人たちが安楽死できる法を作ってあげるべきだと思うのです。小島ミーナさんは進行した同じ病気の患者が呼吸も、食事も排泄もできず、意思も伝達できずに生きているのを見て、安楽死を決断したのです。

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 難病の息子を持つ女性の言葉:安楽死が認められているオランダの医師(自らも法案の通過に協力した)は、「安楽死の対象疾患が広がってしまってとても後悔している。後から続く国々はこの轍を踏まないでほしい」

 筆者の感想:そのとおりですね。判断は慎重の上にも慎重になされなくてはなりません。スイスでの判断は複数の医師の合議によってなされます。さらに、最後の申し出があってからさらに「今からでも気持ちを変えられますよ」と、さらに2日間の猶予をあたえました。

 2人の医師は、嘱託殺人事件犯人として起訴されました。安楽死が認められていない日本ではそれ以外の方法はなかったのです。筆者には彼らは犯罪者とは思えません。

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