龍樹の「空」と禅の「空」とは異なる

龍樹の「空」と禅の「空」とは異なる(1)

 読者から質問がありました。かいつまんで言いますと、
 ・・・M師は臨済宗の著名な禅師です。M師やHさんが、禅の基本思想である色即是空の意味を、「あらゆるモノは変化し、他のモノと関係し合っているから実体はない、とする解釈はおかしい」との、あなた(筆者のこと)の指摘はちょっと納得できない・・・
というものです。
 たしかに、筆者の「空」の解釈と、M師やHさんの言っている「空」の意味はまったく違います。筆者も、両者がなぜこんなに違うのか、ずっと疑問でした。そこで、読者からの上記の質問を機に、改めてこの問題を考えてみました。その途中、ふと、その理由に思い当たりました。
 すなわち、M師やHさんは、龍樹(ナーガルジュナ)の「空思想」が、禅の「空思想」の基盤だと思ったのではないでしょうか。じつは、龍樹の「空思想」と、禅の「空思想」とはまったく別なのです。「般若経(初期バージョン)」が成立したのは紀元前後、龍樹は2世紀から3世紀頃の人、「般若心経」が成立したのは4世紀です(後期の「般若経」には、龍樹の「空思想」が色濃く入っていますが・・・)。そして、達磨大師が中国へ禅を伝えたのは6世紀です。その後、禅は唐時代(7世紀から10世紀)に大きく発展しました。
 そもそも、中国にはそれまでに、老荘思想など、「無」に関する独自の考え方がありました。そのため、龍樹の「空」思想もその線で受け止められたに違いありません。老荘思想は、道教の中心思想であり、中国人のモノの考え方に深く浸透していました。ちなみに老子は紀元前6世紀(?)の人、荘子は紀元前369?-286?の人です。つまり、中国へ「空」思想が伝えられた時、いわんやその後禅が発展したころには、中国人には「空」はまったく違った意味で受け取られたのでしょう。
 およそ、どんな思想でも根本理念が変化することなどありえないことですが、仏教ではそれが起こったのです。驚くべきことですね。以前お話したように、仏教がわかりにくい理由の一つは、その思想がどんどん拡大解釈されて行ったためだと思います。つまり、M師やHさん(なん度もやり玉に挙げて申しわけありません)は、龍樹の「空思想」でもって300年も後に発展した禅の「空思想」を解釈するという誤りを犯してしまったのではないかと思います。そもそも龍樹は、M師やHさんのように、「モノのあるなし」を言っているのではありません(龍樹の思想については別にくわしくお話します)。

 以前、筆者が後輩のIさんに、「仏教を知るには歴史的展開を知らなければなりません」と言ったのはこういうことです。
 
禅は「わかったか、わからないかの世界」だと言われます。したがって、100冊の本を書こうと、1000回の講演をしようと、わかった人が書いたものでなければ意味がないのです。

龍樹の「空」と禅の「空」とは異なる(2)

 このシリーズでは、表記の問題についてお話していますが、次に進む前に、筆者が例としている、M師やHさんの考えと龍樹の「空」思想の違いについてお話します。
 じつは、これらの人たちは、龍樹の「空」思想を完全に誤解しているのです(言うまでもなく、これらの人たちの解釈は、禅の空思想とも違います)。龍樹は、それ以前の上座部仏教徒、とくに「説一切有部(以下有部)」に対する批判として「中論」を書いたのです(龍樹の思想については次回以降お話します)。
 つまり、「龍樹」と「有部」の論争のポイントは、「ものごとの本性(原理、あり方)が、それ自体として存在するかどうか(自性の有無)」であって、「もの(般若心経で言う色シキ)の有る無しではない」のです。M師やHさんが「もの(色)などない」と言うものですから、筆者が「では、それらの人たちの頭をポカンとたたいてみてください。『痛いっ!』と言ったら、ものはあるじゃないかと言ってやればいい」と言うのはそのことです。
 M師たちはさすがに「空」は「無」とは違うことを承知していました。そこで、「無」でない「空」を説明するために、龍樹が「空」を説明した時と同じの、「すべてのものは他のものとの関係においてのみ成り立つ」という「縁起の法則」と、同じく釈迦の基本的教えとされて来た「すべてのものは変化する」との「無常」の法則を引っ張って来ざるを得なかったのでしょう。意識的にか、本当にそう思っていたのかは分かりませんが。つまり、この人たちは二重の誤りを犯していると思います。第一に龍樹の「空」の解釈についての誤りと、第二に「色即是空」を「ものには実体が無い」とした誤りです。

 ちなみに、鈴木大拙博士、澤木興道師、山田無文師、西嶋和夫師、中村元博士らは、このうち一番目の誤りを犯していると思います。
 
龍樹の「中論」はむつかしいのですが、よく読めばおのずとわかることなのです。私たちはよく勉強しなければなりません。

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