旧約聖書コヘレトの言葉と「空」(1)

 読者のお一人から「NHKこころの時代『コヘレトの言葉』で、さかんに『空(くう)』と言ってました」とお知らせいただきました。

 さっそく調べて見ますと、たしかにEテレ「こころの時代~宗教・人生~それでも生きる旧約聖書『コヘレトの言葉』」と題して6回にわたって放映されていました。筆者も当番組のレジメ冊子と、小友聡著「旧約聖書注解・コヘレト書」(日本キリスト教会出版局)を入手して読みました。以下に従来の解釈と小友さん(東京神学大学教授)の考えと、筆者の感想をお話します。

 初めに旧約聖書は大小39の書からなり、「コヘレトの言葉」もその一つです。キリスト教の成立より古いことが特徴で、紀元前2世紀頃まとめられました。問題は、キリスト教の教えと正反対と思えるところがあり、爾来多くの学者を悩ませてきたのです。

 一番の問題は、冒頭の「なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい(聖書協会共同訳旧版)。 その改訂版では、空の空、一切は空である。註1)」 という言葉です。ここで言う「空しさ」とか「空」は原文のヘブライ語で「ヘベル」です。英訳の聖書では、vanity(空しさ)、emptiness(空虚)、meaningless(無意味)、futility(無益)、nothing(無/虚無)、absurd(不条理)、irony(皮肉)、ephemerality(儚さ)、insubstantiality(脆さ)、mystery(神秘)、enigmatic(謎めいた)など、さまざまな訳し方があるとか。

註11987年にカトリック教会とプロテスタント諸派が共同して新訳したもの。2018年に改訂された。

 コヘレトは、「すべては空である」に続いて、

 ・・・日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか(新訳第1章3)とか、

 ・・・たしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである(同14)・・・

と言っています。つまり、新約聖書にあるようにイエスは、徹頭徹尾「生きることのすばらしさ」を説いているのに対しコヘレトは、「人生は空しい」と言っているのですからキリスト者が当惑するのは当然でしょう。

 さらにコヘレトは、 

 ・・・太陽の下では食べ、飲み、楽しむことよりほかに人に幸せはない。これは、太陽の下で神が与える人生の日々の労苦に伴うものである(同8章15)・・・

と言っています。さらに、

 ・・・若者よ、あなたの若さを喜べ。若き日にあなたの心を楽しませよ。〈中略〉若さも青春も空だからである(同11章9)・・・

これでは快楽主義になりかねませんね。と言うかと思うと、

 ・・・朝に種を蒔き夕べに手を休めるな。うまくいくのはあれなのか、これなのかあるいは、そのいずれもなのかあなたは知らないからである(同11章6)・・・

つまり、「人間の努力が報われるのは、働いた人なのか、はたまた他人なのかわからない」と言っているのです。これでは「働きなさい」と言いながら、一方で「働いても無駄だ」と言うのと同じですね。信者はますます困ってしまいます。

 そこでこのパラドックスを解決するために、わが国の指導者には、「神なしに生きることは空しい」「神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ、人間のすべて」と解釈している人が多いのです。これに対して小友聡さんは別の解釈を提案しています。それについては次回お話します。

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