コヘレトの言葉と空(2)

   (2)小友聡さんの解釈

 小友さんは「ヘベル」を束の間(時間的に短いこと)と捉えています(註2)。

とすると、

・・・若者よ、あなたの若さを喜べ。若き日にあなたの心を楽しませよ・・・若さも青春も束の間だからである。(11章9-11節)・・・

となり、たしかに筋が通りますね。小友さんが「空=束の間」と解釈した理由は、当時のイスラエル人の平均寿命が35歳くらいだったから」と言っています(註3)。

 註3 しかし、それは誤りでしょう。なぜなら、平均寿命35歳を「束の間」とするのは、現代の感覚からであって(日本:男81歳、女87歳)、当時のイスラエル人は35歳を「そんなものだろう」と思っていたはずだからです。根拠にはなりません。

 この考えに従って小友さんはコヘレトの言葉を、やはり旧約聖書のダニエル書の黙示思想との対比として解釈しています。すなわち、「黙示的生き方とは、来世に価値を置き、現世は堕落して破局に向かうゆえに、これを試練として耐え、禁欲的に生きるという態度である。これに対してコヘレトは、この束の間の人生を喜び楽しみ、すべてを神からの賜物として受け入れ、与えられた生を徹底して生きることを説いているのではないか」と言うのです。つまり、

 「・・・太陽の下では食べ、飲み、楽しむことよりほかに人に幸せはない。これは、太陽の下で神が与える人生の日々の労苦に伴うものである(同8章15)・・・

も刹那主義や享楽主義ではなく、ヘベルの人生、つまり終わりのある束の間の人生をどう生きるかを説いているのだ」と解釈しています。そして「聖書で言う終末とは、黙示思想の言うようなこの世の終末ではなく、人生の終わりを言うのだ」と言うのです。

 また、前回お話した、

 ・・・朝に種を蒔き夕べに手を休めるな。うまくいくのはあれなのか、これなのか。あるいは、そのいずれもなのか。あなたは知らないからである(11章6)・・・

の言葉も、善因善果、悪因悪果のキリスト教的因果思想から外れるとされ、信者を困惑させてきましたが、小友さんは、「コヘレトは、将来受けるかもしれない果報など考えず、とにかく今を生きよと言っているのだ」と解釈しています。

 これも、旧約聖書の内容と新約キリスト教的思想とのパラドックスの一つの解釈ですね。

註3小友さんの解釈と同一線上にある考えの人は他にも少なくないと小友さんは言っています(たとえば上村静さんは「キリスト教の自己批判: 明日の福音のために」新教出版社で、コヘレトの思想が徹底的に此岸《この世》的であり、現世肯定的であること。厭世的なのは黙示思想であり、コヘレトの思想は反黙示であると言っています)。

 従来の考えと小友さんの解釈についての筆者の感想は次回お話します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です