nakanozenjuku のすべての投稿

魂が震える聖書の言葉

1)「心清きものは幸いなり、その人は神を見る」(「新約聖書」- マタイ5章8節)

2)明日のことは思い悩むなかれ。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(「新約聖書-マタイによる福音書(マタイ伝)」6章34節)

3)あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。(新約聖書のコリントの信徒への手紙一(コリント人への第一の手紙)の10章13節)

4)求めよ、そうすれば、与えられるであろう。探せ、そうすれば、見いだすであろう。門を叩け、そうすれば、開けてもらえるであろう。(マタイによる福音書 第7章7節)

5)「人を裁くな。自分が裁かれないためである。あなたがたが裁くその裁きで、自分も裁かれ、あなたがたの量るその秤(はかり)で、自分にも量り与えられるであろう」(マタイによる福音書七7章1~5節)。

6)「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイによる福音書11章28~30節)

7)「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」(ペテロの第一の手紙5章7節)

8)「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現わされようとする栄光に比べると、言うに足りない。」(ローマ人への手紙 8章18節)

9)「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイによる福音書5章44節)

10)「受けるよりは与える方が、さいわいである。」(使徒行伝20章35節)

11) 讃美歌312番

 i) いつくしみ深き 友なるイエスは、罪とが憂いを とり去りたもう。こころの嘆きを  包まず述べて、などかは下ろさぬ、負える重荷を

 ii)いつくしみ深き 友なるイエスは、われらの弱きを 知れて憐れむ。悩みかなしみに 沈めるときも、祈りにこたえて 慰めたまわん。

 iii)いつくしみ深き 友なるイエスは、かわらぬ愛もて 導きたもう。世の友われらを 棄て去るときも祈りにこたえて、労わりたまわん。

 無作為に選びましたが、どれも魂が震える言葉ですね。キリスト教はイエスが与えた生活の知恵なのです。仏教もそもそもが釈迦が教示した生活の知恵であったと同じように。それを後代の哲学者たちが寄ってたかって晦渋な思想にしてしまったのだ、と筆者は考えています。

相田みつおの禅問答

 相田 みつを(1924-1991)は詩人、書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。

 1)誰にだってあるんだよ、人に言えない苦しみが 。誰にだってあるんだよ、人に言えない悲しみが。ただ、黙っているだけなんだよ。言えば愚痴になるから

 2)現代版禅問答
「ほとけさまの教えとは なんですか?」
ゆうびん屋さんが困らないようにね
手紙のあて名をわかりやすく正確に書くことだよ
「なんだ、そんなあたりまえのことですか」
そうだよ そのあたりまえのことを 
こころをこめて実行してゆくことだよ

3)あなたにめぐり会えて本当によかった。

  一人でもそう言ってくれる人がいれば

4)つまづいたっていいじゃないか。

  人間だもの

5)花を支える枝

  枝を支える幹

  幹を支える根

  根はみえねえんだなあ

6)親切と言う名のおせっかい

  そっとしておく思いやり

7)やれなかった、やらなかった

  どっちかな

8)美しいものを美しいと思える

  あなたの心が美しい

9)断片:

そんかとくか 人間のものさし うそかまことか 佛さまのものさし

霊的世界はあるか?

 以下は筆者が実体験した出来事です。筆者の知人Oさんは元国立大学准教授です。筋金入りの霊能者で、あの〈黒魔術〉を学びにイギリス留学をしたとか。黒魔術と聞きますと、まずおぞましい印象しかありませんが、Oさんによると、単に一つの霊的教団の一つに過ぎないとか。しかし実力は、凡百の〈表の教団〉とは比べものにならないほど強力だそうです。それゆえ、わざわざイギリスまで習いに行ったのでしょう。なお、Oさんはその後大学を辞め、今ではあるスピリチュアル系団体の代表です。

 そのOさんがある日突然、筆者宅を訪れました。40歳くらいの女性を連れて。応対に出た筆者夫婦と対坐すると、その女性はいわゆる〈神がかり状態〉になり、苦しみ始めました。どうも家内が同席することを忌避するようでした。そこで家内を別室に下がらせると、「我は津軽藩士中野重右衛門が弟なり。殿からお預かりした刀を・・・・」と言い出しました。どうも筆者の先祖霊らしいのです。するとOさんが自分の脇腹を抑えて顔をしかめました。以下にそれからのやり取りを要約します。

 どうやら家内の先祖霊が、重右衛門の弟の同僚だったらしく、弟が殿からお預かりした名刀を騙し取ったため、その責任を取って切腹したのだとか。Oさんが脇腹を抑えたのはその傷みの表現でした。その女性霊能者は続けて「憎き敵がこともあろうに中野家の嫁に来るとは」と言うのです。初めに家内を忌避したのはそのためだったのです。なお、敵同士が生まれ変わって夫婦になったり、親子になったり、男が女になったりする例は少なくないようです。「因縁」とはそういうものでしょう。

 いかがでしょうか、もちろん突然のことで、筆者もそのまま信じることはできません。ただ、家内の先祖が津軽藩士であったことは〈由緒書〉から確かです。さらに筆者の高祖父は中野重左エ門でした。先祖は代々「重」の字が付く名前を世襲したのかもしれません。

 何度もお話したように、筆者は10年にわたって神道系教団に属し、いわゆる〈霊能開発修行〉をしました。その過程でさまざまな心霊体験をしました。いまお話したエピソードはその一つです。民俗学者の柳田邦男は、霊能力豊かな人でした。名作〈遠野物語〉は、柳田の霊的観点抜きにしては理解できないのです。その柳田の言葉「バカバカしい話ならいくらでもあります」は、霊的体験の事です。もちろんそれらは真面目な話ですが、そのまま言えば、多くの反発があることを見越した上での言葉です。その柳田流に言えば、今お話したのは、筆者が体験した〈バカバカしい出来事〉の一つです。

兼好法師の死生観

 卜部兼好(うらべのかねよし、吉田兼好とも。1283?-1352?鎌倉時代末期から南北朝にかけての官人・歌人)は、〈徒然草〉の作者としても知られています。その独特の人生観や社会観は今でも多くの人の心をとらえており、中学・高校の教科書ににも必ずと言いほど載っています。

 ・・・・若きにもよらず、強きにもよらず、思い懸けぬは死期なり。今日まで遁(のが)れ来にけるは、ありがたき不思議なり(徒然草百三十七段)・・・・

 「若かろうと、どんなに頑健だろうと、いつ来るかもしれないのが死だ。今まで遁れてきた方が不思議なのだ」と言っているのですね。まったくそのとおりでしょう。

 「朝、起きてこないので見てみたら・・・」筆者の教え子の奥さんのことです。賀状に「一人暮らしをしています」とあったので驚いてお茶に誘ったときの言葉です。筆者の後輩の死も同じでした。古い友人からの喪中はがきに、「昨年、家内が突然の発病、わずか二週間の入院で亡くなった」と。この歳になりますと死が隣り合わせにあることを感じています。

 しかし、吉田兼好の言葉は、前向きに転じます。

・・・・されば、人、死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづらがはしく外の楽しびを求め、この財(たから)を忘れて、危うく他の財を貪るには、志(こころざし)満つ事なし。生ける間(あいだ)生(しょう)を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理(ことわり)あるべからず。人(ひと)皆(みな)生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり(同第九十三段)・・・・

 すばらしいですね。これこそ兼好独特の人生観でしょう。

それでもブログを書き続けます(2)

 私がこのブログシリーズを書き始めるにあたって、実名や経歴などすべてをオープンにし、なおかつ読者からの投稿欄も設けました。じつはそれにはある覚悟がありました。「読者から実りのない放言や、無責任な中傷があるかもしれない」というものです。御承知かと思いますが、ほとんどのブロガーは一切そういうものを公開していません。無責任な批判や中傷を恐れたからでしょう。私は永く生命科学者として生きてきましたから、他人の意見は真正面から受け止めるのを当然と考えてきました。

 ところがこれまでなんども、実りのない放言を受けてきました。たとえば、「(どこが問題かを指摘することなく)あなたの考えは全然だめです」とか、私が澤木興道さんを批判したところ、「酸っぱいブドウの理論です(つまりヤッカミの理屈だというわけです)」。最近では「(聖書はすばらしいと最初に持ち上げて、後で誤りがあると)建前と本音を使い分けている」。もちろんいずれも匿名です。岩村宗康さんからは最後に「神に取り憑かれた塾長と議論した私が愚かでした」などの放言を受けましたが、まだいい方でした。きちんと議論はできましたから。

 もちろんこれまで頂いた読者のご意見の99%は真摯な内容で、稔りあるものでした。しかし、前記のような、議論の仕様もない放言は、研究者時代には全くなかったものですから、私には応えました。そんなこともあって昨年12月をもってブログを閉じることにしたのです。本の著作を通じて考えを述べれば、このようなやりきれない思いもすることもありません(事実、すでに数冊、本を書き終わりました)。しかし、熱心にこのブログシリーズを読んでいただいている読者の方から「信念に基づいて意見を述べれば必ず賛同者がいます」。「反発する人の同じ数以上の支持者がいます」などのエールを送っていただき、結局、続けることにしたのです。

 このごろ気が付いたことがあります。「反発する人は、自分がこれまで信じたことを全否定されたように感じているのではないか」。じつはそれこそ私が意図していたところなのです。もちろん全否定することなど論外です。現に、上記の4人の人にも「前向きな議論を続けましょう」と言ってるのです。しかし、長年、禅を始めとする仏教の研究者や僧侶の書いたものを読んでいますと、「これでは日本仏教は滅びる。一度全部をスクラップアンドビルドしなければ」と考えているのです。「私の考えにより、上記の人たちに激震が起こったのではないか。それが感情的な反発になって跳ね返ってくるのではないか?」。それならそれは私が最初に意図したことなのです。

 以上、私の「手前味噌」でしょうか。お断りしておきますが、私は本来、「去る者は追わず」を旨としてきました。