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筆者が垣間見た精神世界(1)

筆者が垣間見た精神世界(1)

 読者の方からコメントがありました。

・・・ご縁があって辿り着き、幾つかの記事を興味深く読ませて頂きました。そして私にも同様の経験がありましたので、思わずコメントさせて頂いている次第です。精神世界の話は、できる人できない人ハッキリ別れますよね。私も数名話せる人はいますが、悲しいかな親友や親には殆ど話せず、アレルギーのように疎まれるので ^^;・・・たまに真理を追求し続けている方と出会うと、なんとも言い難い喜びが心に芽生えます。ぜひ学びのアウトプット続けてください。きっと同じ真理探求者の理解に役立つと思います・・・

 筆者も現役時代は、周囲にはそういう話は一切しませんでした。何一つ良いことはないと思ったからです。そこで今回は、筆者が神道系の教団で修行をしていた時の体験の一つをお話します。筆者は10年にわたって、いわゆる霊感修行をしていました。

 修行の一つに「丹田対話」というのがありました。臍下丹田の丹田(註1)ですね。両人対座して目をつむり、約10分間、お互いの「丹田を通じて」会話するのです(もちろんイメージですが)。指導者にあらかじめ、「あとでお互いに感じたことを話し合ってください」と言われていました。もちろん、ほとんどの人は、なにかを感じることなどありません。お互いに適当に感想を述べ合うのが通例でした。
 ところがあるとき筆者が、新入会員の方と「丹田対話」をしていますと、相手の体が透けて見えるのです。目をつむっているのに「見える」というのはおかしいですが、まあお聞き下さい。目をつむっていても、その方が前に座っていることは想像できますね。どう「見ても」その人の体が透けて見えるのです。若くてきれいな女性だったので、「それを意識するからか」とも思いましたが、焦りました。あとの「感想」で、「あなたの体が透けて見えました」などとは言えませんから。

 驚くべきことに、相手の女性から先に「あなたの体が透けて見えました」と言われたのです。びっくりしました。あとで、こっそり会員名簿をみて、翌日電話しました。「じつは私も同じようにあなたが透けて見えたのです」と言いますと、別に驚いたふうでもなく、「私は霊感に関する会を主催しています」と言うのです。その教団では新入会員でしたが、じつは経験豊かな霊能者だったのです。さらに驚いたことに「昔あなたとヨーロッパで一緒でした」と、当然のように語るのです。
 そのときはまだ一度もヨーロッパなど行ったことありませんでしたから、すぐに「前世のことだな」と思いました。続いて「よかったら一度私の会に参加されませんか」と言うのには心が動きました。いわゆる霊能者の彼女ですから、もっとくわしく「前世の様子」が聞けるはずでした・・・。しかし、けっきょくそこへは行きませんでした。前世の気持ちを思い出しでもしたら、筆者の「今」が壊れてしまうと思い、「これ以上深入りしてはいけない」と感じたからです。
 
 でもいまふり返って、「もっと聞いてみればよかった」と、残念な気もします。

 いかがでしょうか、これはもちろん事実で、今もある、当時の「修行記録帳」に記録してあります。皆さんだったらどうしますか?

註1よく武道で相手と対峙する時「臍下丹田(へそ下三寸)に力を入れる」と言いますね

芭蕉俳句と禅(1,2)

芭蕉俳句と禅(1)

 芭蕉(1644‐1694)の俳句が禅の心を反映していることはよく知られています。以下は小築庵春湖編「芭蕉翁古池真伝」(早稲田大学古典籍総合データベース、ネットで読めます)にあるエピソードです。禅の師仏頂(1642-1715)は常陸の国鹿島の根本寺住職。芭蕉は深川に住んで間もないころ、江戸に出て仮住まいをしていた禅師と運命的な出会いをし、川向うの臨川庵に参禅する日々を送ったと言います。貞享元年(四十一歳)、野ざらしの旅の途中、悟りを得たとか。悟りとは、芭蕉の言葉で言えば物我一致(智)すなわち、物(自然)も他人もすべてが我と一つである、という自覚です。その心境は、高橋怒誰(どすい、本名喜兵衛。近江蕉門の重鎮)あてた書簡(内容はネットで検索できます:筆者)からわかります。すなわち、怒誰(どすい)が禅の修行を進めていることについて、

 御修行相進候と珍重、唯小道小枝に分別動候て世上の是非やむ時なく、自智物をくらます処、日々より月々年々の修行ならでは物我一智之場所へ至間敷存候。誠御修行御芳志、頼母敷貴意事に令感候。仏頂和尚も世上愚人に日々声をからされ候。

 ・・・禅の修行が進んでいるとのこと、結構なことです。ただ、枝葉末節に分別が働いて、世俗的な利害に心が安まるひまがなく、自分の小賢しい智恵で物が正しく見えない状況、これが我々の日常ですが、日々、月々、年々修行を積んでゆかなければ、物と我と一致する境地に至ることはあるまいと思います。真剣に仏道修行に専念しているお志がたのもしく、とりわけあなたのお気持ちに感銘を受けております。仏頂和尚も世間の愚かな人々を導こうと、日々声をからして教えを説いております・・・(現代語訳:田中善信「全釈芭蕉書簡集」新典社)。

物我一致
 これこそ、筆者がいつもお話している、「『空』とはモノゴトを見た(聞いた、嗅いだ、味わった、触った)一瞬の体験だ」ですね。そこには見る筆者と、見られるモノゴトの区別はありません。あえて言えば、「見る私は体験の主観的側面、見られるモノゴトは対象的側面」にすぎないからです。禅では自他一如と言います。

芭蕉の悟り

 芭蕉がまだその師仏頂禅師の元で参禅していた頃、ある日、和尚が彼に尋ねて言った。
仏頂「今日のこと作恁麼(そもさん)」(近頃どう暮らしておられるか)
芭蕉「雨過ぎて青苔潤う」(自然と共に暮らしております)
仏頂「青苔いまだ生ぜざる時の仏法いかん」(世界がまだ生ぜざる以前に何が在るか)。
芭蕉「蛙飛び込む水の音」(註1)

註1 この芭蕉の答えには「古池や」の初句はなく、後で俳句の形にするために追加されたものだと言われています。以上、「芭蕉翁古池真伝」より。

筆者の感想:つまり、蛙が水に飛び込んだ「ポチャン」と音を聞いた時、芭蕉はその音が「天地の音だ」と気が付いたのですね。筆者は「香厳撃竹」(香厳が庭を掃いていて、箒の先で払われて飛んだ小石が、かたわらの竹に「カチン」と当たった音を聞いて悟ったエピソードを思い出しました。

芭蕉俳句と禅(2)

 「青苔いまだ生ぜざる時の仏法いかん」と仏頂が聞いたのは、芭蕉の禅の心境の深さを知るための「そもさん(禅問答で言う「さあどうだ」)です。つまり、「雨過ぎて青苔潤う」などと言うが、それでは「天地が始まる前の消息、つまり、父母(ぶも)未生以前の本来の面目)はどうなのだ」、をたずねたのです。それに対する芭蕉の「せっぱ(答えてやろう)」が「蛙飛び込む水の音」です。芭蕉は「ポチャンという水の音が、宇宙の一風景であること、我が身もその一部であることを直覚しました」ですね。

 山路来て何やらゆかしすみれ草
 静かさや岩にしみいるセミの声
 荒海や佐渡に横たう天の川

などの句も同じく芭蕉の禅境を表わしたものでしょう。筆者は蕪村の俳句

   月天心貧しき町を通りけり
  さみだれや大河を前に家二軒
  鳥羽殿へへ五六騎いそぐ野分かな

も好きです。心を歌ったものですね。しかし、芭蕉の俳句は心に沁みます。「古池や」の句を知らない人はいないでしょう。多くの人が俳句と言えばこの句を思い出すのは、それだけの理由があるはずです。

禅を学んでいますと、公案や語録の各所に「悟りとは神と一体化することだ」という意味の言葉が出てきます。禅特有の間接的表現で、ですが。あの空海が土佐の御厨人窟(みくろど)で悟りを得たことはよく知られています。難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられています。空海の名は「自分が空と海と一体化した」と直覚したからだと言われています。

 なんどもお話しているように、筆者は、生命は神が作られたと確信しています。それどころか宇宙まで神の創造物だとしか思えません。ビッグバンでは、何もないところで宇宙ができたのです。唯物論の大原則に反しますね。近年、宇宙物理学は急速な進歩を遂げています。しかし、「神」という概念を入れずに「何もないところから何かができる」などと言うことは、永遠に説明できないと思います。

禅思想のどこが東洋的か(1,2)

禅思想のどこが東洋的か(1)

 西洋的考えと言えば、唯物論ですね。仏教の唯識思想が、「モノという実体などない。人間の意識がとらえた幻影に過ぎない」と言うのとは対照的に、「私が認識しようとしまいとモノはある」と唯物論では言うのです。「そんなこと当たり前じゃないか」と言わないで下さい。唯物論的考え方こそ、現在世界各地で起こっている紛争や経済戦争の根源であり、人間の将来を危うくしているのです。

 「モノが何より大切」という考え方は18世紀末から19世紀初頭にイギリスで起こった産業革命から始まりました。それが思想に発展したのが唯物弁証法ですね。カール・マルクス(1818‐1883)やフリードリヒ・エンゲルス(1820‐1895)が有名です。唯物弁証法はもともと、「人間の精神は脳と言う物質の働きによる」という考えからスタートしたようです(註1)。

 しかし、じつは西洋にも禅とよく似た思想はあったのです。エマニエル・カント(1720-1804 )やGWF・ヘーゲル(1770-1831)が代表的な哲学者でした。上記の唯物弁証法哲学者たちとほとんど同世代であることにご注意ください。それでも時代の圧力により唯物弁証法がもてはやされるようになって行きました。しかし、そういう考え方によってどうしようもなくなっているのが現代世界で、ようやく禅のような東洋思想に目が向けられるようになったのです。

 筆者にとってはマルクスやエンゲルスの唯物弁証法より、毛沢東の考え方がなじみ深いです。学生のころ、毛沢東の「矛盾論・実践論」(岩波文庫)をテキストにして勉強会をしたことが懐かしく思い出されます。そこでそれを思い出しながら、かれらの考え方についてお話します。

 毛沢東は「矛盾論」で、
 ・・・唯物弁証法の観点からすれば、自然界の変化は、主に自然界の内部矛盾の発展によるものである。社会の変化は、主に社会の内部矛盾の発展、すなわち、生産力と生産関係との矛盾、階級間の矛盾、新旧間の矛盾によるものであり、こうした矛盾の発展が社会の前進を促し、新旧社会の新陳代謝を促すのである・・・

 つまり、
 ・・・自然界も人間の社会も、モノゴトが発生する原因は内部に矛盾があるためだ。その矛盾は対立する二つの要因を抽出し、分析し対比して、そのギャップを克服ないし止揚する(より次元の高いものにする)ことで解消される。すなわち、国家でしたら為政者と国民、会社でしたら資本家と労働者がお互いに矛盾する立場であり、その矛盾は闘争によって克服されなければならない・・・と言うのです。

註1この考えは現代でもさらに精緻になって続いています。

禅思想のどこが東洋的か(2)

 毛沢東が「その矛盾は対立する二つの要因を抽出し、分析し対比して、そのギャップを克服ないし止揚する(より次元の高いものにする)ことで解消される」と言っているのが、まさに西洋的唯物弁証法の考え方です(註2)。一方、禅の考えでは、分析して比較することは一切しません。それはたんに倫理的とか道義的理由からではないのです。禅思想の原理ゆえです。筆者は「空とは、見たり聞いたりする一瞬の体験だ」と、このブログシリーズでくり返しお話しています(註3)。「一瞬の体験で観たモノゴト」には「あれは〇〇だ」という判断すらありません。禅で言う「鳴らぬ前の鐘を聞け」とは、「ゴ―ン」という音を聞いて「アッ鐘の音だ」と判断する前の純粋な体験こそがモノゴトの真実の姿だと言うのです(註4)。ましてや比較・評価などあるはずがないのです。

ですから、現在世界各地の紛争や社会問題の原因となっている宗教・宗派の違い、学歴、職務上の上下、世俗的な能力のあるなし、資産の多寡など、禅ではまったく斟酌しません。当然でしょう。悟りの支障になるからです。

註2筆者は40年以上にわたって生命科学の研究に携わってきましたが、その研究方法は唯物論です。現代自然科学の研究法は、徹底的にモノやコトを分析し、比較します。

註3現代のいろいろな本やブログを読んでいただければお分かりのように、「空」思想の解釈はじつにさまざまです。しかし、筆者のような解釈こそ、「なぜ禅では分析・判断を嫌うのか」をよく説明できると思うのですが。

註4カントやヘーゲルの流れを汲む西田幾多郎の思想では「純粋経験」と言っています。「純粋な経験」なのです。

父母未生以前のこと(5)龐(ほう)居士好雪片々

父母未生以前の本来の面目(5)

 碧巌録第四十二則 龐(ほう)居士好雪片々にある公案です
龐居士、薬山惟儼(いげん745-828)を辞す。山(薬山)、十人の禅客に命じて相送って門首に至らしむ。
居士、空中の雪を指して云く、「好雪、片片別処に落ちず」と。
時に全禅客というものあり。云く、「いずれの処にか落在す」
士、打すること一掌す。全云く、「居士また草々なることを得ざれ」。
士云く、「汝恁麼(いんも)に禅客と称せば、閻未だ汝をゆるさざること在らん」
全云く、「居士そもさん」。
士また打すること一掌す。云く、「眼見て盲の如く、口説いて唖の如し」。

筆者訳:龐居士が薬山のもとを辞去した。 薬山は十人の雲水に命じて山門まで送らせた。龐居士は「きれいな雪だなあ。あの雪は一つも別の処へは落ちていないよ」
その時に全と言う名の禅客が尋ねた。「雪はどこに落ちるのですか」
その声の終わらないうちに居士は全禅客をピシリと打った。
全「居士よ。どうしてそんなことをなされるのですか」
龐居士「貴様はそんなざまで禅坊主だなどと言っていると閻魔さまに舌を抜かれるぞ」。 全「では、あなたなら、どう言いますか」
居士はまた全禅客を1つ打って「お前さんの眼は開いているがまるで盲目のようだし、口はしゃべっているが唖のようだな」

 筆者のコメント:1)「新版 禅学大辞典」には、・・・龐居士が「雪よ、別處に落ちず」と言ったのは、雪に託して万法の帰趣(帰趨:筆者)、自己の落処を指し示したのに、これを文字通り雪の落処の問題ととった一禅客の迂愚を叱責した公案・・・とあります。
2)入矢義高監修/古賀英彦編著「禅語辞典」には、・・・みごとな雪だ。ひとひらひとひらが別の所には落ちない・・・ひとひらひとひらがピタリピタリと、落ちるべき位置に落ちることをいう・・・とあります。どちらもピンと来ませんね。ただ筆者は1)の方が好ましく思います。すなわち、
筆者の解釈:「好雪、片片別処に落ちず」とは、一片の雪を指して「天地、さらには宇宙そのものだ」と言っているのだと思います。「父母未生以前の本来の面目」ですね。
 以前にもお話しましたが、筆者は生命科学の研究者として過ごして来ました。あるとき遺伝子の構造を見ていて、ハッと「生命は神が造られた」と思いました。そして「生命どころかこの宇宙も神が造られた」と思っています。ビッグバンで宇宙が始まったことは、今では疑う人はいません。「何もないところ(!)、時間さえないところで「突然」(!)ビッグバンが「起こった」と言うのです。これらの大矛盾を説明できるのは神しかないと筆者は考えます。

父母未生以前のこと(4)国師三喚

父母未生以前のこと(4)「無門関 第十七則 国師三喚の公案

本則:國師三タビ侍者ヲ喚(よ)ぶ。侍者三タビ應ズ。國師云ク、將(まさ)ニ謂(おも)エリ吾レ汝ニ辜負(こぶ)すと、元來却(かえ)って是れ汝(なんじ)吾れに辜負す。
筆者訳:慧忠(えちゅう)国師(註1)が、 三度待者耽源を呼ぶと、 耽源はそのつど「はい」と答えた。 すると国師は言った。「なんだ、今まで私のせいでお前さんが悟れないものとばかり思っていたが、 もともとお前さんの方が私に背いて悟れなかったのか。

解釈について、試しにネットで調べてみますと、
・・・國師さまが、最初に呼んだときの小僧の「ハアイ」という返事は、自分がここに客観的な存在として居りますという意味を持っています。つまり「ここに居ますよ」という返事です。次に呼んだ時の「ハアイ」という返事は、主観的な存在として、呼びに呼応して何か行動に移る姿勢にあるという意味を持っています、つまり「何をしましょうか」という返事のはずです。次の三回目の呼びかけに対する返事は、もう意味がないのです。自分の中には主観的な自分と、客観的な自分の合計二人しかいないからです・・・

とあります。これでは何のことかわからないでしょう。

筆者の解説:遅くとも三度目には耽源は国師の真意を汲み取らなければならなかったのです。「ハイ」と答えたのは肉体の耽源だけではなく「本当の我(真我)」なのです。国師は耽源に父母未生以前の本来の面目を気付かせようと、こんな問いかけをしたのです。悟りとは、神につながる「本当の我(真我)」と疎通・一体化することなのですから。
 では耽源は何と答えたら良かったのでしょう。たとえば筆者なら「私は耽源ではありません」と答えます。

 「無門関」の評者無門慧開は、「国師はしゃべり過ぎだ。あまりに親切だからかえって耽源はわからないのだ」と言っています。その通りかもしれません。禅では答えを教えることは禁じられています。あくまで修行者が自分で気づかなくてはなりません。いかにして上手なヒントを出すかが、師匠の力量なのです。このことがわからなければ禅はわかりません。よく、とんちんかんなやり取りを「禅問答のようだ」と言いますね。しかし、わかる人にはわかるのです。「無門関」「碧巌録」「従容録」などの公案集は、禅史上のすぐれた禅師たちの巧みなヒントを集めたものです。一つの公案についてもさまざまな回答がありうると思います。しかしその多くは誤った解釈なのです。以前お話した村上光照師は「ある時を境にして公案集が全部理解できるようになった」とおっしゃっています。その通りでしょう。

註1南陽慧忠(675‐775)。六祖慧能の法嗣(後継者)。唐の粛宗、代宗各皇帝の参禅の師となり、国師(国の師)と称せられた。