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欧米人はなぜ禅に興味を持つのか(1-3)

 1) 欧米人が近年、日本の禅に強い興味を持っていることをよく聞きます。特に若者が、それまでのいわばエリートコースを歩んでいたのを投げ捨て、日本の禅寺へ修行をしに来ています。兵庫県北部の山奥にある安泰寺は、わが国で最も厳しい禅の修行をしている寺として、海外の若者によく知られています。なにしろ、毎日朝夕2時間、12月1-8日の蝋八接心(ろうはちせっしん)では、一日15時間、合計年間1800時間の座禅が行われているのです。過去50年で3000人のイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、米国などの若者が安泰寺を訪れています。今回その内3人についてお話します。

 ネルケ無方禅師は、1968年西ベルリン生まれ。牧師であった祖父に「神様はいるの?いるのになぜ見えないの」という素朴な問いかけをしていた。「なぜ自分は生まれてきたんだろう」「人間の生きる目的は何か」という青年らしい疑問を持ち続けました。「なぜ勉強をしなければならないか」と父親(設計士。母は医師、7歳の時、乳がんで死亡)に聞くと「良い学校に入って良い仕事に就き、家族を養わなければならないから」との返事。「しかし父の働く姿を見ても生き生きとは見えなかった」。そうした高校生時代に先生に座禅会に誘われた。最初は拒否していたが、「やったことがあるのか」と聞かれて「やったことはない」と答えたところ、「やったことがないのにどうしてダメだと言えるのか」と言われて反論できず、入会した。「座禅してみて驚いたことは、それまでは頭で考えるばかりだったが、吐く息、吸う息、そして首から下の身体もあることに気付かされた。つまり、本当の意味では生きていなかったことを感じた」。その後、ベルリン自由大学で哲学と日本語を学んでいた時、1990年に休学して半年間京都大学に留学。京都府園部町の昌林寺や兵庫県の安泰寺で修行を行った。1991年に帰国しベルリン自由大学大学院に修士論文「道元」を提出。終了後後期課程に入学。1992年10月、奨学金を得て京都大学大学院に留学したが、1993年に中退し、安泰寺で出家した。そして、昨年8月まで30年修行し、うち18年にわたって堂頭(住職)を勤めました。以下は、NHK 「心の時代」で昨年10月に紹介されました(「天地いっぱいを生きる」から)。

 ネルケさんのように安泰寺の評判を聞いて海外から修行に訪れる若者も多く、ネルケさんの元でも日本人10人を含め18年間に20人が得度したとか。著作も多く、映画にも出演しました(Buddhist -今を生きようとする人たち- 2015)。

 安泰寺には広大な田や畑があり、修行僧たちは耕作して、ほぼ完全な自給自足の生活をしています。ネルケさんは「自給自足の生活は、自然によって野菜が生かされ、それによって私たちも生かされていることが実感できる」と言っています。

 ネルケさんは、最初の5日接心(当時)の苦痛に耐えかね、「このままでは死ぬ。どうしたらいいでしょうか」と堂頭に訪ねた。堂頭は「死ね。裏には墓地もある」と。「もう死ぬ!と思ったところ、今は生きている。これは奇跡だ。この瞬間が今ここにあるんだ。そこで初めて何者かに支えられているという安心感を得た」と。

 ネルケさんは、「現代に生きるということは、競争社会に生きるということです。座禅の意義はそこから一歩離れ、自分を取り戻す余裕ができることにあります。ときには他人にも勝たせてもいいじゃないか・・・今までは他者との比較における『我』だった。妻にとっての夫、子供にとっての親(註1)、会社の組織における自分。しかし、本当の自分はそうではない。今ここに居る唯一の自分、それが天地一杯の『我』である。禅はそれに気づかせてくれる。そんなに頑張らなくてもいいじゃないかと、わからせてくれます」。

筆者:それが欧米の人たちが日本の禅に憧れる理由でしょう。

 最後にアナウンサーが「ではあなたの青年のころの疑問『生きることの意味は何か』について、 今はどのように考えていらっしゃいますか」と聞きました。聞きようによってはかなり辛辣な問いですね。「あなたの30年にわたるの安泰寺での修行生活の成果は?」と聞いているのですから。

 ・・・「生きることの意味はありません。たとえ言葉で表現できたとしても、それは概念じゃないですか。自分がいま生きていることは概念ではない。私がいま息をしていることに意味などあるわけはない。意味があるとかないという概念の手前にある。それに気づき、今ここに生きている瞬間を忘れないようにしよう。それをずっと忘れていたから(人生が)面白くなかった。意味があるとか無いとは、頭の中で考えていたにすぎない。(人生が)苦しいとか退屈だとか考えていながら、ちゃんと息を吐いて吸っている。音も聞こえ、空も見えている。ご飯におかずもついて、今食べられる。それはすばらしいことだ。しかし今までそれに気づいていなかった。ほんとは去年死んでたかもしれないのに、今ここで鳥の声を聞いている。その楽しさ。当たり前だと思っていたことがじつは当たり前じゃないんだ。天地いっぱいに生きる・・・「空」(くう)とはこういうことです。しかし、そう考えると「何か外にそういうものがあるようだが」がそうではない・・・

 筆者の感想:「生きることに意味はありません」とは、ずいぶん思い切ったことを言うものです。考えようによっては宗教者としてあるまじき言葉でしょう。哲学も概念にすぎません。ネルケさんの到達した境地とは、要するに、「今ここに生きていること、天地一杯に生きる私のすばらしさに気付くこと」でしょう。しかし、「天地一杯を生きる」と聞いて、筆者はすぐ、澤木興道師を思い出しました。澤木師は昭和の有名な禅師だった人で、この言葉を口癖のように言っていたからです(註2)。そこで澤木師のことを改めて調べてみて「アッ」と思いました。なんと澤木師はこの安泰寺の4代前の住職だったのです。つまり、ネルケさんは安泰寺に来てからこの言葉を「耳にたこができる」ほど聞かされていたはずです。さらに、ネルケさんの言う「いま、ここ」は、重要なキーワードで、禅を学ぶ人なら知らない人はいないでしょう。

 つまり、率直に言って、ネルケさんの安泰寺での30年の修行で得たものは、澤木師興道師の思想をいくらも越えていないようなのです。ベルリン自由大学で哲学を学び、京都大学で仏教も学んだ人なのですが・・・。そして、ネルケさんの言う「空(くう)」の意味は、間違いです。

註1ネルケさんは33歳(つまり堂頭になる前)で結婚。現在妻と子供2人。安泰寺住職を引退後、子どもの進学などのため大阪へ移住したと。当面は大阪城公園周辺で座禅会を開くなど、引き続き禅の道を追い求めるという。しかし、テレビ番組では、結婚し子供があることや、住職引退の理由が、子供の教育のためであることは一切触れていませんでした。での修行生活やネルケさんという人を知る上で重大な片手落ちだと思います。

註2 臨済宗や黄檗宗でも言う重要なフレーズです。

 2)ネルケさんの弟子のキルギス出身、モスクワ大学で素粒子物理学を学んだ青年僧ボルダン・ドルゴポロフさん(24歳)は、「誰からも答えを得られない問いを抱え、答えを与えてくれる人や場所を求めていた。仏教や座禅に興味があり、そこに答えがありそうな気がした。1年に1800時間も座禅する安泰寺を知ってここへ来た。さらに畑作りや食事作りにも気づきがあります」・・・・・・。

 けっきょくこの人は「ここでは答えが見つからなかった。あと3年やってもどうなるか。10年やればもう抜けられなくなる」と1年で下山しました(その後放映されたBS1スペシャル「なにも求めずただ座るだけ~自給自足の生活~安泰寺の1年」より)。

筆者のコメント:改めて考えてみれば、専門僧になることは大変なことです。多くは結婚して家庭を持つこともなく、本も読まず、テレビも見ず、スポーツを楽しむこともなく、美味しいものを食べるのでもなく、修行に明け暮れる一生を送るのですから。筆者そういう人生を送る人を素朴に尊敬しますが、道に至るために必要な情報量が少なくないかと危惧もするのです。

 筆者は、このテレビ番組を見ていて、「安泰寺での修行はあまりも只管打座(ひたすら座禅する)に特化しすぎているのではないか」と感じました。これでは、このボルダン・ドルゴポロフさんが答えを見付けられなかったのは無理もないと思います。なるほど只管打座は曹洞宗の修行の基本ですが、道元自ら上堂(説示、つまり講話)をしてますし、今では本山の永平寺でも臨済宗なみの「問答」を実践しているのです(註3)。現在の安泰寺ではそういうものがほとんどないようでした。テレビではこの青年僧が「澤木興道著作集」を読んでいるシーンがありました。個人的にも勉強が必要なのでしょう。

 筆者はこのブログシリーズで、曹洞禅だけでなく、臨済宗の看話(問答)禅、浄土系の仏教から唯識、華厳、そしてスッタニパータなどの初期仏教からキリスト教に至るまで幅広く学んでいるのは、広く学ぶことは道に達するために不可欠だと考えているからです。筆者が実践している座禅など、安泰寺とは比べようがありませんが、それでも奇跡は起こったのです。

註3 筆者は、永平寺での「問答」を聞いたことがありますが、かなり形式的でした。よほど優れた人でなければ導師は勤まらないでしょう。

 3)ドイツ人でナノテクノロジーを学んでいた(半年で退学)キリンガニさん(僧名明玄24歳)は、「私はあまり健康ではなく、食事療法や宗教的修法を試しました。ですが望むものに出会えませんでした。周りの環境に左右されない安定した心を求めていたのですが、やればやるほど周りの世界への不満が貯まる一方でした。「安泰寺のホームページに『Stop chasing(追いかけるのを止めなさい)』とあるのを読んでここへ来ました」。嬉しいのは、ここでの修行の結果、「どんな状況になってもそこで幸せになる方法がある」ことを見付けたことです」。

 彼は安泰寺での修行も3年目に入りましたが、悩みもありました。「座禅の意味は?」と考えると「座禅は意味を持たない。最初は座禅が好きだったけれど、今は『また座禅か、他のこともしたいとしたいと思うこともよくある」。

 住職の恵光さん「安泰寺での修行生活にいろいろ疑問を持つこともあるでしょう。あなたも人間だからいつも完ぺきではいられない。常に座禅に集中することは不可能です。弱い自分を隠すのではなく、自分を受け入れるのです」。

明玄さん「少しずつ自分を受け入れて行く。これもまた修行だ。一歩先へ、また一歩先へ歩み続ける・・・・」。

そしてようやく修行の成果が表れたようです。

 明玄さん「かって自分が追い求めていたいたことがあまり重要ではなくなりました。今この瞬間こそ大切なものがあります。いまこの瞬間に足りないものはない。そう気付けば満たされる。『自分はいま生きている』とようやく気付くことができました」。そしてこの安泰寺の修行を終わり、住職になるための専門僧堂へと進むことを決めた。そこではさらに5年以上の修行をして指導者になれるとか。明玄さんははネルケさんのように結婚して家庭を持つかどうかはわかりません。また座禅三昧の日々でしょう。

筆者のコメント:ホッとしました。さらに続く修行と農作業、掃除と炊飯の日々です。筆者にはとても厳しい人生のように思います。筆者は生命科学の研究者として生きてきました。ただの一度も疑問を感じたり、倦んだことはありません。研究活動も、良い絵を見ること、すばらしい音楽を聴くこと、どれも感性を揺り動かします。禅の行き着くところと何ら変わりはないと思っています。登る道が違うだけです。それに加えて禅を本格的に学んで11年。そこからも何かを得たように思うのです。

禅の人生は何でもありです

  筆者の友人たちの定年後はさまざまです。その何人かについて御紹介します。

1)A君は、大学時代からの友人で、国家公務員上級試験に合格したエリートとして過ごしました。60歳で定年になりましたが、その後の人生がすごい。「一日たりとも無駄にしたくない」が信念らしく、現地の老人大学に6年間通った後、なんと新幹線で隣市の老人大学へも通ったのです。地域の老人会の中心人物として活躍する一方、幼稚園児のために自宅の畑を開放し、一緒にナスやキュウリを作ったとか。年2回夫婦で旅行は良いとしても、四国八十八か所巡りした後、高野山へお礼参りに。さらに西国三十三観音。「一日たりとも無駄にしたくない」のは誇張でなく、「畑へ早く行きたい」気持ちにかられ、途中にコンクリートの溝があることを忘れて激突・・・。その辺の事情は、18年間、年に1度送ってくれた「定年万歳」通信により、逐一知らされました。

2)B君は、筆者の70年来の文字通りの親友です。やはり上級の国家公務員として勤務し、60歳で定年。その後大きな機械会社で2年。退職後は好きなゴルフを楽しむ傍ら、水彩画の教室と俳句の教室へ。「奈良井点描」と題する10号の作品は筆者のリビングを飾っています。地域の老人会の世話役として活躍し、なんと運動会で一緒に「盆踊り」にも。その柔軟さには心から感心しています。

3)C君も70年代の親友。とにかく10歳の頃からの付き合いですから、筆者の財産です。長く地方の商事会社に勤めていましたが、会社とトラブルがあり54歳で退職。「失業年金でももらいながらゆっくり行き先を探そう」と構えていたところ、関連業界の友人たちが放っておかず、個人で起業。その経緯は何度聞いても心温まるものがあります。社長業はもう引退したいのだけど、周囲から「辞めるとボケる」と言われ、やむなく継続中。小学生のころから絵が上手でしたから、筆者が「再開したら」と勧めるのですが・・・。

4)D君も大学の級友で、上記A君と並んで当時から同級生の中で出色の人物でした。最近の手紙に「退職後事業を立ち上げ、夫婦でやっている。『それで一生終わる気か』と言われた。それで終わるつもり」と。「ネットオークションで絵画を買うのが楽しみ」。

5)E君は63歳で定年。仕事人間だった彼は、その1年前、「来年4月1日から突然どこへも行くところがなくなったらどうしよう」との強い不安に駆られた。幸いにも別の職を得て70歳まで勤め、あとは長年の趣味である万葉集についてのブログを発信しており、「それが大きな生きがいになっている」と。「定年後、たくさんの日本の古典や近代の名作小説を読めて充実している」と言う。第1回の定年を迎えるころ、E君は弟から「兄貴も何か趣味がないと」と心配してくれましたが、夫婦で感謝しつつも大笑い。趣味はリストを作れるほど多様だったからです。

 ことほどさように、友人たちは、それぞれの人生を歩んで来ました。

 前回「ニート・引きこもりのシェアハスス」をご紹介したように、ニート・引きこもりの人生もありですね。良寛さんは、備中玉島の円通寺で10年にわたり「永平寺より厳しい」禅の修行をした達人ですが、その結論が晩年のあの生き方です。「百ケ所もかがった袈裟を着、飯(いい)を乞うて(乞食をして)暮らしている」と。いわばニートですね。それでも心には何のこだわりもなく、自由闊達な人生でした。短歌や漢詩を作ったり、書を書くのが趣味で、その暮らしぶりは200年後の今日でも多くの人に慕われています。

 筆者も本格的に禅を学んで10年を越えましたが、結論として、つくづく「禅の人生は何でもあり」と思っています。

ニートのシェアハウス

 NHK「目げき日本-山奥ニートの不思議な日々-より。

 和歌山県田辺市の山奥にニート(註1)・引きこもりの若者が共同生活をしている家があります。NPO共生舎と名付けられたその家では、限界集落(現在高齢者5人)の廃校になった小学校の建物を無料で借り、住居費はただ、食費は一人月2万円。最寄りの駅まで車で2時間。現在20~40代の男女12人が暮らしている。食事は「なんとなく誰かが全員分を作る」。個室があり、職員室の跡らしい40畳くらいの共有スペースもある。そこでは何をしてもよく、しなくてもいい。ふだんはに共有スペースに10人くらいが常に居て、雑談ををしたり、テレビゲームをしたり、読書をしたりしている。インターネットは完備しているのでSNSで外の人たちとコミュニケーションもできる。それを利用して得意のマンガを書いて発信している30代の女性は「(ここの人たちは)家族でもなく、友達とも言えず、仲間ともちょっとちがう適度な距離感(がいい)」と言う。

 Aさん(30歳男性)は、大学を中退し、小さな建設会社の管理職をしていたが、毎日15時間働き、休みは週1度だけ・・・。5年前にここに来たときは、心身ともにボロボロになっていた。だれにも相談できず、どうすることもできなかった。自死を何度も考え、実行もしたが、いま一歩その勇気がなかった。親の目を気にせず、思う存分引きこもるために山奥で生活することを決めた。ここに来て、周囲は干渉もせず、無視もせず、そっとしておいてくれた。こんな自分でも受け入れてくれたのが嬉しかった。ここでは、朝はだいたい11時に起きてから今日は何をしようかと考え、焚き火をしたり、リビングで他の人とゲームをしたり、読書したりという、まさにその日暮らし。「自分も含めてニートは先のことを考えるのが苦手だと思う。『今』だけを考えて生きている」。Aさんはその後結婚し、2か月はここで暮らし、あとの1か月は、名古屋に住む奥さんのところで暮らす生活だと言う。

 Bさん(3年前からここで暮らす上記の30歳の女性)は、「以前働いていたところでは毎日長時間のサービス残業を強いられ、心のバランスを崩した。 そこを辞めて法律事務所の事務をしていたが、相談者の訴える内容の余りのドロドロさに、耐えられなくなって、ここへ来た。SNSでマンガを発信することで外部の人ともコンタクトできる」。

 Cさん(40代男性)は元テレビの製作会社に勤めていた。「名デイレクターや名プロデユーサーになりたいと思っていたが、周りの近しい人たちを押し除けてそういうものになるのは結構えぐい感情かなー」と思った。レールを外れてみて、初めてそんなことは大したことじゃないと思った。コロナをきっかけに退職し、もう一度よく考え直そうと思ってここへ来た。

 食事代2万円を含む生活費は、この集落の農家や林業の手伝いをしたりして得ている人、3日に一度近くの障碍者福祉施設で働いている人、リモートワークしている人もいる。税金も社会保険料もちゃんと払っている。5人の地域住民(平均年齢80歳)も、「若い人たちが来てくれてほんとに嬉しい」と。

 過去7年に、累計40人がこの共生舎で生活をしてきて、見学には200人が訪れた(現在はコロナのため中止)。「この山奥が合う人は残って、合わないと思う人は自然と去っていく」「今年も4人が入れ替わった」。NHKのデイレクターが取材を兼ねてしばらく共同生活をしている間に珍しい来客があった。去年ここを卒業した青年。「かっては引きこもりだったが、ここでの生活で人とつながることができた。自分のためにというより、一緒に生活している人のために努力できた・・・。それが今に生かされて幸せです」と。そしてさりげなくトイレなどを掃除して帰って行った。

註1ニート(Not in Education, Employment or Training, NEET)とは、就学・就労していない、また職業訓練も受けていないことを意味する用語。 元々は、イギリスの労働調査報告書で発表された教育、雇用、職業訓練に参加していない16~18歳の若者を指す言葉として登場しました。日本においては、厚生労働省「特定調査票集計」によれば15~34歳の非労働力人口の中から、専業主婦を除き、求職活動に至っていない者をニートと定義。

立花隆さん「宇宙からの帰還」

神に出会った宇宙飛行士

 アメリカの宇宙飛行士の何人かが、月へ行って帰ってくるまでに神秘体験をした言っています。中にはその後伝道者になった人もいるのです。立花隆さんはその体験に強い興味を持ち、アメリカまで出かけて行って精力的に取材しています。それをまとめたものが「宇宙からの帰還」中公文庫。その内1つをご紹介します。

 ジム・アーウイン(アポロ15号):宇宙に出てから頭の働きがものすごくよくなったように感じる。100%の酸素を吸い続けたために、脳細胞が平常の状態より活性化したためか。何を考えてもすぐにピンとくる。透視能力とは、こういう状態を指すのではないか。・・・・・・はるかかなたに地球がポツンと生きている。他にはどこにも生命がない。自分の生命と地球の生命が細い一本の糸でつながれていて、それはいつ切れてしまうかもしれない。かくも無力で弱い存在が宇宙の中で生きているということ。それが神の恩寵だということが何の説明もなしに実感できる。神の恩寵なしには我々の存在そのものがありえないということが疑問の余地なくわかるのだ。

 宇宙飛行まで、私の信仰は人なみ程度の信仰だった。人なみ程度の信仰と同時に、人なみ程度の懐疑も持っていた。神の存在そのものを疑うこともしばしばあった。しかし、宇宙から地球を見ることをとおして得られた洞察の前には、あらゆる懐疑が吹き飛んでしまった。神がそこにいますと言うことが如実にわかるのだ。そういう直感的な洞察を得た。・・・神に何かを問いかける。するとすぐ答えが返ってくる。神の姿を見たわけではない。神の声を聞いたわけではない。しかし、私のそばに生きた神がいるのがわかる・・・すぐそこに神は実際にいるはずだ。姿が見えなければおかしいと思って、何度も振り返ってみたくらいだ。その後アーウインは伝道者になった。High Flight Foundation という宗教財団を作り、説教行脚を続けている。

筆者のコメント:立花さんは、「生とはなにか」「死とはどういうことか」という、誰でもが持つ疑問を、臨死体験や宇宙飛行士の特異な体験を格好の材料として探った人です。立花さんは哲学者ですから(東大哲学科中退)、思考と取材の徹底振りは感動的です。

 すなわち、まず臨死体験について、それらの体験を決して頭から否定するのではなく、真摯に向き合いました。超常現象を頭から否定する元早稲田大学大槻教授や某俳優とかとは大きな違いです。そして立花さんは、科学として研究している人たちの成果に基づき、「臨死体験は霊的な体験ではなく、脳神経活動の一つだ」と結論付けました。一方、宇宙飛行士たちの体験についても、綿密にインタービューした結果、「彼らの中にはたしかに神と合一した人もいるようだ」と言っています。

 立花さんは、以前から「神との合一」に大きな関心を抱き、「そういう本を耽読した」と言っています。宇宙飛行中に神秘体験したエド・ミッチェルには、「神との合一は、仏教なら厳しい修行を経て悟りに至った人によって果たされる。しかし、宇宙に出ればだれでもそれを経験できる。将来あなたにもその機会があるでしょう」と言われたとか。立花さんも何とか神秘体験をしたいと思い、「臨死体験は脳の電気刺激によっても体験できる」と言うアメリカの研究者を訪れ、自ら被検者になりました。しかし、「何にも体験できなかった」と言っています。それもあって、「死後の世界があるかどうか」について、「そういう問題は卒業した」と言っています。

 筆者はこのブログシリーズでもお話してきたように、心霊体験はいやというほどしましたし、禅の学びを通してて神秘体験もしました。その点、立花さん比べとても幸せです。体験しなければ絶対にわからない、事実なのです。

立花隆さん「脳死と臓器移植」

 立花さんは脳死と臓器移植について精力的に取材し、「脳死」(中公文庫)を著わしました。さらに、この問題について遠藤周作さんと「生、死、神秘体験」(書籍情報社)で実りの多い対話をしています。ちなみに遠藤さんもかねてこの問題について大きな関心を抱いており、独自の取材をしている人です。

 立花さんの意見は次のようにまとめられると思います。

 1)脳死と臓器移植はまったく別の問題であり、臓器を取り出すのは暴力的行為である。

 2)厚生労働省の脳死基準(脳の機能(脳波)の停止をもって脳死とする)はまちが

   いであり、脳細胞の死(脳血流の停止)を判断基準に入れるべきである。

 3)倫理的判断基準を入れるべきである。

筆者のコメント:まず、臓器移植を支持する医師たち(および提供者の遺族)と、反対する医師たち(および受け取る側の患者の家族)に分かれることを念頭に入れなければなりません。受け取る側の医師は提供者(ドナー)の脳死の判定からできるだけ早く臓器を取り出したいと思い、ドナー側は確実な脳死の判定があってから提供したいと思うのは当然でしょう。ここに両者の意識のギャップがあるのです。

 まず、立花さんの言う

1)「脳死と臓器移植は別の問題」ではありません。なぜなら、臓器移植とリンクしているからこそ、脳死問題が発生するからです。そうでなければ、それはたんに患者と家族の問題にすぎないからです。

 2)については、じつは脳の機能(脳波)の停止と脳細胞の死(血流の停止)は、わずか数十秒の差しかないのです。つまり、2)は問題にはならないのです。

 3)について、立花さんが遠藤さん(敬虔な信徒)に「キリスト教ではどうですか」と期待を込めて聞いたところ、「それは中世まででしょう。仮に基準を作ってもケースバイケースでしょう」と、きわめて柔軟な考えを示しました。

 決定的なのは、遠藤さんが逆に立花さんに「自分が臓器を受け取る状況になったらどうしますか」と尋ねたところ、

 立花さん「今ただちにどうであるかと言われれば、どっちかというと貰わない方だと思うんです。ただ、現実にそういうシチュエーションに立たされて、本当に臓器提供者が目の前に現れたら、はたしてその通りに行けるかどうか、もう一つ自信が無いですね」と答えています。

 それはないでしょう。「臓器を取り出すことは暴力的だ」と言いながら、「受け取るかもしれない」とは!ちなみに遠藤さんは「僕はもう歳だから(註1)臓器はいらない。ただし、子供がそうなった場合は、そうなってみないとわからない」と言っています。やはり柔軟ですね。

 立花さんは終始「基準が必要である」と言っており、遠藤さんは基本的にはその考えを支持しつつも「ケースバイケース」と答えています。その通りでしょう。お二人のやり取りを読んでいて、立花さんは遠藤さんに翻弄されていると感じました。

註1 会談の当時、遠藤さんは70歳、立花さんは54歳。