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読者のコメント(7)

読者からのコメント(7)

 最近、読者のお一人から、さまざまなコメントを頂いており、どれも真摯な話題提供で、ブログの充実にもつながり嬉しく思っています。その方は、深く、広く禅仏教を勉強していらっしゃり、筆者も真正面から受け止めて、学びの材料とさせていただいています。ブログにも書きましたように、個人情報を守るため、原則として読者のお名前、所属などは非公開としています(ソフトの機構上消せない部分もありますが)。もちろん読者のコメントはすべて筆者の別のファイルに移してあり、余裕を見付けて、逐次筆者の考えをお話してゆきます。

 さて、前回の続き(同じ方から)です。
読者のコメント1)「五蘊は認識作用である」と「五蘊は認識内容である」とは殆ど同じではないでしょうか。「認識作用」があれば必ず「認識内容」を伴うでしょうから。日本の仏教学者が編集した『仏教辞典』では、「色」を認識対象と見なし、物質(形が有る物)とか肉体(姿が有る者)だという解説が主流なので、「色」は認識内容であり、姿や形や外観や見かけだと主張する為に『PALI-ENGLISH D.』の解釈を利用したのであって、辞典の解説を鵜呑みにしたのではありません。
どうぞ、再考してくださるようお願いします。
筆者の考え:筆者の以前のブログ「そもそも五蘊の解釈がまちがっているのだ」にも書きましたように、これまでのわが国仏教界では五蘊についての解釈がさまざまで誤りも多いと思います。あの碩学中村元博士でさえ、「存在するものには五つの構成要素があると見きわめた(下線筆者)」と言っています。この博士の「五蘊=存在するもの」に対する反論として、前回、「五蘊は認識作用である」と書きました。たしかに「五蘊は認識内容である」は適切と思いますが、それはあくまで「認識作用」の説明としてであり、「五蘊=存在するもの(つまり認識対象)」の反論としてはふさわしくないと思います。

読者のコメント2)(筆者の空の解釈「私たちがモノを見る(聞く、嗅ぐ、味わう、触れる)という体験こそが真の実在」について、)西田幾太郎著『善の研究』第2編第2章の「意識現象が唯一の実在である」と同じ主旨だと思って差し支え無いでしょうか。
筆者のコメント:同じと思います。西田博士は、純粋経験とか直接経験と呼んでいますね。筆者の前著「禅を正しく、わかりやすく」にも書きましたように、ドイツ観念論哲学者エマヌエル・カントの思想ともよく似ています。

読者のコメント3)他人の臓器を移植したり、癌細胞を切除して生き長らえる「我(われ)」は「経験我」とは異質のように思いますがいかがでしょう。IPS細胞で造られた「モノ」で病んでいる部分を取り替えることが可能になると、「我」はどのように理解すれば良いのでしょうか。蘊・処・界で説明できるのでしょうか。
自然(国土)が存在し、そこに生き物(衆生)が生存していて、生き物はそれぞれの知覚能力に応じた認識・認知内容の世界(蘊・処・界)に生きている、と考えたほうが分かり易いと思うのですが、いかがでしょう。

筆者の考え:魚川裕司さんの言っている「経験我」とか「個体我」は、あくまで人間の認識の問題ですから、他人の臓器を移植したり、癌細胞を切除して生きながらえようと「我」には変化はないはずです。ただ、最近、「臓器移植をすると人格(のある部分)が変わってしまった」と言う人がいます。あるいは臓器にも提供者の「我」が残っているのかもしれません。しかし、まだまだ症例があまりも少なくて何とも言えません。少なくとも当分は考慮しなくてもいいように思います。一方、人間以外の動物には、モノゴトを認識し、判断し、時には「苦」もつなげるような経験我は無いと思います。なぜなら、彼らは常に本能だけに従って生きているように思いますので。つまり、彼らは人間のような苦しみや喜びはないと思います

魚川裕司さん(1-4)

魚川裕司さん(1)

 前回の「読者コメント」ご紹介した臨済宗系のある寺院の住職の方から、
・・・魚川祐司著「仏教思想のゼロポイント:悟りとは何か」(新潮社)に対する所見もお願いいたします。蘊処界を各自の認知内容とする著者の所見が、貴師の所見に似ていると思ったので・・・
とのご希望も寄せられました。早速精読してみたところ、大変興味ある内容で、読者のみなさんの参考になると思いますので、同住職にお断りの上、以下に筆者の読後感をお話します。

 同書を読んだ感想は、「魚川さんは、いわゆる上座部仏教(南伝仏教:註1)、ことにテーラワーダ仏教(ミャンマーやタイで発達した上座部仏教)が依拠している初期仏典類(パーリ語仏典)を深く読み、ミャンマーにある瞑想センター(寺院)で長年にわたって修行を行った、正統な実践者だ」ということです同書は初期仏典類に基づく釈迦の思想を要領よくまとめてあります。さすがに西洋哲学も学んだ「学者」ゆえでしょう。
 筆者は、上座部仏教については、わが国在住のスリランカ僧アルボムッレ・スマラサーナ師や、ベトナム僧テイクナット・ハン師の言葉や活動、そしてパーリ語仏典「スッタニパータ」「大パリニバーナ」の学習、そして「気付きの瞑想」などを通じて一通りの知識はあります。その筆者にとって同書の内容は参考になりました。特に「無我」「輪廻」「悟り・涅槃」などについて、読者の皆さんと一緒に考えることはとても意味のあることだと思います。そこで、これらの述語を中心に、魚川氏の考えと筆者の解釈との(主として)違いについて、新たなシリーズとしてお話していきます。

 同書の内容について検討する前にまず予備知識として理解して置かねばならないのは、釈迦(ブゴータマ・ブッダ、以下釈迦またはブッダ)仏教以前からインドで広く信じられてていたヴェーダ信仰についてです。その思想はウパニシャッド哲学としてまとめられています。ヴェーダ信仰の基本は、人間には「我(個我、アートマン)」と呼ばれる本体(魂)があって、死後も残り、輪廻転生をくり返す。その過程を通じて魂の質の向上を図り、最終的には「神(ブラフマン)」と一致することを目指すというものです(註2)。釈迦仏教はヴェーダ信仰のアンチテーゼ(対立命題)として生まれたものです。したがってヴェーダの言うアートマンとブラフマンとの一体化(梵我一体)や輪廻転生思想などは否定しています(註3)。そのことを念頭に置いていただいた上で筆者の感想をお聞きください。ヴェーダ信仰はバラモン教となり、釈迦仏教がインドで忘れ去られた後も存続し、現代でも少し変容してヒンヅー教として繁栄しています。

註1 チベット、西域、中国、朝鮮、日本へと伝わったのが大乗経典類に則った北伝仏教です。この系統にもパーリ仏典の一つ「ダンマパダ」が法句経として漢訳され、わが国へも伝わっています。ただ、その後わが国では忘れ去られました。おそらく日本人の心としっくり合わなかったのでしょう。
註2 キリスト教やイスラム教などを除き、古来あらゆる国のあらゆる民族の宗教では、神との一体化を目指して来ました。シャーマンが忘我(トランス)状態になるのもそのためで、ごく自然な人間の想いでしょう。
註3 実は否定しているのではなく、「無記」、つまり「考えない」としているのです。これが後代の仏教徒や学者に大きな混乱を生む原因となりました。魚川氏の同書の内容もそのことと深く関わってます。

魚川裕司さん(2)我(われ)の本体はあるか

 以下に魚川氏の同著についてご紹介しますが、そのままでは予備知識がないとわかりにくい言葉や、哲学者特有の言い回しがあると思いますので、筆者が適宜「翻訳の翻訳」をさせていただきます。
 まず魚川さんは、「ブッダの教えの基本は縁起であり、すべてのモノゴトは原因(因)と条件(縁)によって形成された一時的なものであり、実体を有さない。それゆえその原因がなくなれば消滅してしまう。であるのに人間は苦しみを、あたかも実体があるように思うくせがある。このことを腹の底から分かることが肝要である。そしてブッダは、そこから抜け出す方法(註4)を説いた」と言うのです。そのとおりでしょう。
 そして魚川さんは、ブッダの縁起の法則に関連の深い無我や輪廻などの、これまでの仏教界で議論の多い概念について検討しています。

註4 正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定などの八正道を実践すること。

無我

 魚川さん:無我というのは、仏教の基本的教理であると言われている。だが、これは同時に仏教史を通じて常に議論の的になり続け、また現代でも多くの実践者・学習者を混乱させ続けている概念である。いくら無我だと言われても、私たちは事実として一人ひとりが違う肉体を持っているし、認知している世界もそれぞれ異なる。私の目が捉える世界と、あなたの目が捉える捉える世界は当然異なったものになってくるし、それに対して抱く世界も、各人の「内面」にそれぞれの仕方で展開するもので、それらが混じり合うことは基本的にない。そうした意味での「個体性」であれば、どれほど長く修行した僧侶であっても維持されているように思われるから、彼らが「無我」だと主張しても「いやだって『あなた』は存在しているじゃないですかと、やはり言いたくなる・・・もっと問題なことは無我だと言ったはずのブッダが「己こそ己の主人である」「自らを島とし、自らをよりどころとして、他をよりどころとせず(以下略)と遺言している。・・・また仏教では倫理的行為を推奨する以上、当然「行為者」には一定の「自由」が担保されなければならないし、「自業自得」を言う以上、行為の結果を引き受ける主体も必要になる(以下略) ・・・このように「無我」という概念には様々な矛盾が含まれているように思われる・・・(以上p80-81)。

筆者のコメント:つまり、いくら無我だと言っても現実に「私」はあるじゃないかと言っているのです。

 魚川さん:無我と言う時にブッダが否定したのは、「常一主宰」の「実体我」である・・・「実体我」とは、常住であり、単一であり、主としてコントロールする機能を有する(主宰する)もの、ということである・・・(ブッダがそう考えた理由は)すべての現象は縁生(原因と条件によって起こる)と考えたからである・・・ならばブッダは「我」は絶対的な意味で非存在だと主張するかというと、彼自身はそのことについて沈黙を守っている(「無記」ですね:筆者)ということである。

筆者のコメント:「常一主宰実体我」・・・わかりにくい言葉です。哲学者の性癖(と筆者は考えます)が出ていますね。つまり、「人が死んでも消えることのない実体」のことです。ヴェーダ信仰のアートマン(個我、魂のようなもの:筆者)と類似の概念(註5)です。それを否定するところが、筆者の言う「ブッダの思想がヴェーダ思想のアンチテーゼとして出発した」理由です。「仏教においては、世界は常住不滅のものであり、人は死んでも実体的な我が永久に存在し続けるという見解も、世界や自己の断滅(人は死んだら無になる)という見解もともに明確に否定されている」のだと、魚川氏もブッダの考えに同調しています。

註5 ヴェーダの言うアートマンとは少し違うのですが、それについては後でお話します。

 魚川さんは続いて、
・・・ブッダは現象の世界(世間)内の諸要素(人間の世界で起こる出来事:筆者)のどれかが実体我であると考えることについては明確に否定しているが、常一主宰の実体我でない経験我については必ずしも否定していない。では経験我とはなにか。それは縁起の法則に従って生成消滅を繰り返す諸要素の一時的な(仮の)和合によって形成され、そこで感官からの情報が認知されることによって経験が成立する、ある流動し続ける場(認知のまとまり)のことである(p89)。

筆者のコメント:またまた哲学者の性癖が出ていますね。わかりにくい文章です。要するに、人間が生きて行く過程でさまざまな原因(因)と条件(縁)によってさまざまな出来事が起こる。それらが生老病死などの苦や悲しみの基になる。それらは縁起の結果仮に起こったものだから、当然、原因が無くなれば消えていくものだと言うのです。そのとおりですね。しかし、モノゴトが起こるのは事実です。それが起こっている我を経験我と言っているのです。それに対し、常一主宰の実体我は生きている時はもちろん、死んでからも残らないからそういものはない」と言うのです。しかし、前述のように、魚川氏は、

 ・・・ どれほど長く修行した僧侶であっても維持されているように思われるから、彼らが「無我」だと主張しても「いやだって『あなた』は存在しているじゃないですかと、やはり言いたくなる・・・

と言っているのです。つまり、悟りに至った高僧には経験我が無くなるはずだ。もともと常一主宰の実体我は無く、その上経験我まで無くなれば、その人は完全に無我になるはずではないか。それゆえ「なのにあなたは存在するじゃないか」と言いたくなるのでしょう。しかし、これは明らかに魚川氏の誤解です。なぜなら、いくら悟りに達した高僧でも生きている限り経験我が生じては消えているのです。しかし、高僧たちは「それらはやがて消えゆく経験我に過ぎない」と見極め、一喜一憂に進ませないのです。そこが衆生と違うところなのです。それはあの良寛さんの言動を見ればよくわかりますね。魚川氏はそのへんがよくわかっていないのではないでしょうか。

 さらに魚川さんは、
 ・・・ブッダが否定したのは、そうした無常の現象の世界(経験我ですね:筆者)の中のどこかに、固定的・実体的な我が存在していると思い込み、そしてその虚構の中の実体我に執着して、苦の原因を作ることであった。
と言っています。

筆者のコメント:そうではないのです。凡夫は「経験我のどこかに実体我があると思ってそれに執着するから」ではないのです。そもそも経験我と実体我の区別がつかないため、すべての現象は「自分」に降りかかっていると思い、苦しむのです。一方、高僧は両者をはっきりと区別し、経験我はやがて消えて行くと見極めているから苦には陥らないのです。魚川氏は仏陀の思想をよくわかっていないのかもしれません。 しかもはたして、モノゴトを感じて反応しているのは経験我だけでしょうか。筆者はそうは思いません。あとでくわしくお話しますが、とりあえず筆者はいつも「無我だと言う人の頭をポカンとたたいてやればいいと言います。『痛いじゃないか』と言うでしょう。そうしたら「あなたは無我のはずでは?」と言ってやります。そこが後代に発展した禅とは違うところです。禅は肉体が現実にあることをはっきりと肯定しています。それが空即是色なのです。

魚川裕司さん(3)輪廻 無我だからこそ輪廻する?

 輪廻転生の問題は、魚川さんの言う「無我」と深く関わっています。すなわち、「実体我」(魂のようなものですね:筆者)というものがなければ、ふつう言われる輪廻転生ということはありえないからです。ここで魚川氏は「無我だからこそ輪廻する(p92)」と重要なことを言っています。
 魚川さん:業(ごう)と輪廻の世界観とブッダの仏教が切っても切り離せないことは、文献的にも論理的にも非常にはっきりしたことだから、仏教の基本的立場は「無我なのになのに輪廻する」ではなくて、「無我だからこそ輪廻する」のだ。だから「ブッは輪廻を説かなかったはずだなどと主張する人がまだいるとしたら、仏教がわかっていないのだ・・・

筆者のコメント:魚川さんは「業(ごう)と輪廻の世界観とブッダの仏教が切っても切り離せない」と言っています。下記のように、魚川さんの言う輪廻は、この言葉と相容れないようです。

無我だからこそ輪廻する

 ここで魚川さんは木村泰賢元東大教授の説を引用しています。木村説では、
A‐A’-A”-・・・aのn乗B-B’-B”‐・・・bのn乗C-C’-(以下同じ)

魚川さんの解説:ここでAとかBとかCとは、木村さんの言う「五蘊所成の模型的生命」、私(魚川さん)の言う経験我のことだ。それらは誕生から死まで常に変化し続けていて、そこに固定的な実体はないのだが、これら経験我のまとまりを「太郎」と名付けておく。A‐A’-A”-とは、時々刻々と流動・変化を続ける様子を示す。ある時点(Aのn’)で死を迎える。そこで起こるのが転生である(図の・・・の部分)。そこでBという新しい経験我を得たとすると、その形は大いにAと相違しているようであるが、そこにはやはりaのn’というAの積み重ねてきた行為(業)の結果が、潜勢力として働いている。そしてBという新しい状態になる・・・以下これを続ける・・・

つまり、木村さんの言う転生とは私たちが考える「生まれ変わり」ではなく、現世における人間性の変化(たとえば「人が変わったように」と言いますね:筆者)を指すのです。木村さんはこれを蚕の変態に譬え、

 ・・・仏教のいわゆる輪廻はあたかも蚕の変化のごときものであろう。幼虫より蛹になり、蛹より蛾になるところ、外見的に言えば、全く違ったもののようであるけれども、所詮、同一虫の変化であって、しかも幼虫と蛾とを以て同とも言えず、異とも言えず、ただ変化であると言い得るのみと同般である・・・

魚川さんはこの説について「これはたいへんわかりやすい比喩である」と言っています。つまり同調しているのですね。

筆者のコメント:これで魚川さんが「無我だからこそ輪廻する」と言っている理由がおわかりいただけるでしょう。つまり、魚川さんや木村さんの言う「輪廻転生」とは、私たちの考える「生まれ変わり」のことではなく、一つの人生における大きな変化を指すのです。私たちの言う輪廻は「生まれ変わり」のこと。魚川さんや木村さんの言う輪廻は、この世で受ける「善因善果、悪因悪果」のことなのです。古来インドでは(今でも)「生まれ変わり」は当然のことと考えられていました。そのアンチテーゼとしてブッダが新たな思想を展開するなら別の語句を使うべきなのです。同じ言葉を使って別の思想を述べようとしたから後代の人たちは混乱したのです(註9)。

註9 実は中村元博士は「仏教語大辞典」で、(困惑しつつ:筆者の感想)、
 ・・・輪廻はサンスクリット語で「流れること」を意味する「サムサーラ」の訳であって、古い時代から、「世の中」あるいは「世界」という意味に使用されており、サムサーラをすべて「生まれ変わる」と解するのは間違っている(下線筆者)・・・
と述べています。魚川さんや木村さんの言う輪廻は前者、私たちが普通に考える輪廻は後者の意味ですね。「間違っている」と言うのは問題があると思いますが。つまり、魚川さんは最初にこの事情を明示すべきでした。そして、著書の中では、別の語句を使って説明すべきでした。

「無我だからこそ輪廻する」についての筆者の疑問

 魚川さん(そして木村さん)の言うこの論説には下記のような重要な矛盾があります。まず、
 1)木村さんの言う「Bという新しい経験我を得たとすると、その形は大いにAと相違しているようであるが、そこにはやはりaのn乗というAの積み重ねてきた行為(業)の結果が、潜勢力として働いている。そして「Bという新しい状態になる」は、ことさら理論として述べるほどのこともない当たり前のことです。なぜなら、私たちが現世で積み重ねた善因や善悪は、当然、現世で良くも悪くも報いを受けるからです。宗教的に問題なのは「現世で積み重ねた善因や悪因が、来世以降に報いを受けるかどうか」です。私たちが問題とする「業(ごう)」とはそういうものです。魚川さんは「Aは、ある時点(Aのn’の時点)で死を迎える。そこで起こるのが転生である(p93)」とはっきり言っています。この転生とは明らかに生まれ変わりを指すはずです。死とは文学的な死のことでしょうか。

 さらに、木村さんは「仏教のいわゆる輪廻はあたかも蚕の変化のごときものであろう・・・ 同一虫の変化であって、しかも幼虫と蛾とを以て同とも言えず、異とも言えず、ただ変化であると言い得るのみと同般である」と言っていますが、生物学の初歩から言ってもナンセンスです。幼虫が蛹になろうと蛾になろうと、その個体特有の遺伝子は厳密に保たれているからです。これこそ「個」でしょう。木村さんが「同とも言えず異とも言えず」とはどういうことでしょう?

 2)魚川さんはさらに「業の自作と他作の問題」については、本人が為して本人が受けるのか、他人が為して本人が受けるのか(魚川さんは「他人が為して他人が受けるのか」と言っています(p94)が、それではあたりまえのことで設問にはなりません)」についてブッダは「業を作る人と、その結果を受け入れる人とは、縁起の法則によって実体我が存在しない以上、同じであるとも異なるとも言えない」と引用しています。しかし我の実体があろうと無かろうと(経験我だけであっても)、他人が作った業を自分が受けてはたまったものではありませんね。
同書で「生まれ変わりがある」と言っている

3)魚川さんは同書でパーリ仏典の一つのダンマパダ(法句経)から、
 ・・・数多の生にわたって、私は輪廻を経巡ってきた・・・を引用しています(p79)。これは明らかにブッダの生まれ変わりを指しています。さらに、仏教には「七仏偈」という思想があります。すなわち、ブッダは過去何回もそれぞれ別の名前で生まれ変わっていることを前提とした話です。

4)魚川さんは私たちが考えるところの「輪廻転生はない」と言いながら、
・・・ブッダの「悟り」の内容は「三明(さんみょう註8」であると言われているが・・・(中略)・・・残りの二つは、自分の数多の過去生を思い出し衆生の死と再生をありのままに知るという、輪廻転生に関わる智だ(p137)・・・
と言っています。これは明らかに私たちが考える輪廻転生(生まれ変わり)を指していますね。魚川氏は「輪廻とはこの世での因果のことだ」と言ったばかりではないですか。ブッダは「生まれ変わり」について「無記(沈黙)」で応じているのに。

註8 今回は、文脈とは直接関連がないので、その内容については省略します。

5)魚川さんは「ブッダが否定したのは、無常の世界(現世で起こるモノゴト:筆者)の中のどこかに、固定的・実体的な我が存在していると思い込み、そしてその虚構の実体我に執着して、苦の原因を作ることであった」と言っています(p91)。しかし、筆者は「人間には、魚川氏の言う経験我と魂(魚川さんの言う実体我)が共存しており、経験我の言動は魂に影響を与え、その一方で魂は経験我にも影響を与える」と考えています。
ことほどさように、魚川さんの「無我だからこそ輪廻する」の論述には矛盾が多いのです。前述のように、釈迦の思想は、初期仏典のごく一部にしか伝わっていません。にもかかわらず、それら全体として論理を組み立てるとこうなってしまうのでしょう。

もしも「生まれ変わり」がなかったら
 6)「悟り」とは、「経験我の体験を苦しみにつなげることがなくなった状態」ですね。もしも「生まれ変わり」ということがなかったとします。ある人は50歳で悟って85歳で死に、ある人は悟りに至らずに同じ85歳で死んだとします。とすれば苦しんだ期間は35年多くなっただけです。しかも別にその間のたうち回ったていたわけではありません。大部分の人が「色々あったけど」で終わっています。なんだか「悟りの意味は?」と思いたくなりますね。これでおわかりでしょう。「悟ったか悟らなかったか」が問題になるのは、生まれ変わった次の人生なのです。そこにこそ「業」の大小となって残るのです。輪廻転生とはこのことだと思います。

 ブッダが悟りに至った時「これが最後の生であり、もはや再生することはない」と自覚したといいます。有名な言葉ですね。ある人たちは、人間は生まれ変わりを繰り返して現世で心を向上させることが人間の生きる意義だと考ています。そして悟りに至った人はもうこのサイクルから離脱すると言います。私たちがこれまで教えられてきたのは、「ブッダはもうこの世へ生まれ変わることはない」ということでした。しかし、ブッダの言うサイクルからの離脱とは、この世ではもう因果は起こらないと意味でしょう。明らかに違いますね。

ここまで考えてきますと、ブッダはなぜ輪廻転生を「無記」としたのか、筆者にはわかりません。もちろん弟子たちには「そんなよくわからないことを考慮に入れるな」との意図だったでしょう。しかし、筆者がこれまでに述べてきたように、「無記」とすれば、ブッダの教えが論理的におかしくなると思われますし、後世に(魚川さんも含めて)大きな混乱をもたらしているのです。

魚川裕司さん(4)悟りとは

 魚川さんは、「悟り(涅槃)とは、衆生が現世で体験するモノゴトは、すべて因(原因)と縁(条件)によって現れた仮の現象であり、実体ではないことをはっきりと認識し、苦や渇愛(欲望)につながるそれらを徹底的に消し去る(滅尽)ことによって達成される」と言っています。つづいて、「悟りは突然起こり、元に戻ることはない。その状態は、はっきりと覚知される」とも(以上筆者の簡約)。
 ここで重要なことは、「完全な悟りに達するとそれははっきりと自覚される」ということです。人間の心はこれまでとはまったく別の領域に入る。それはもう言葉では言い表すことができない。それをありありと自覚する」と言うのです。魚川さんの表現では「解脱に至った者には、必ず「解脱した」との智が生ずる(p132)」。
 これはとても大切なことです。「言葉では言い表すことができないが、別の世界があることが自覚される」ではいささか無責任のような気がしますが、よくわかります。以前のブログで、高野山での虚空蔵求聞持法という高度な修法が行われることをお話しました。それが完成したかどうかは、「奇跡が起こるかどうかでわかる」とも。

悟りに至るまでの修行

 南伝仏教の、とくにテーラワーダ派(タイやミャンマー)では、ヴィッパサナー瞑想(現代ではマインドフルネスと呼びます。註9)を重視します。「気付き」ですね。
 気付きの実践:歩いている時には「歩いている」、立っている時には「立っている」などと、いかなる時でも自分の行為に意識を行き渡らせて、そこに貪欲があるときには「ある」と気付き、なければ「ない」と気付いている。そのような意識のあり方を日常化することで、慣れ親しんだ盲目的で習慣的な行為を「堰き止める」こと。

註9 ベトナム僧テイクナット・ハン師が主宰する集団では、この他「歩き冥想」や、音楽を聞きながらの坐禅・瞑想も併用します。
 ただ、魚川さんのようにあしかけ5年もミャンマーの瞑想センターで気づきの実践を行った人でも、
 ・・・気づきの実践を行って、内面に生じる煩悩を自覚し、現象を観察し続けていても、たしかに執着は薄くなるが、根絶されることはない・・・と正直に告白しています。簡単ではないのでしょう。

テーラワーダ修行者の人生観
 「仏教思想のゼロポイント」には、初期仏教経典にあるブッダと弟子たちの厳しい修行の姿勢が描かれています。「労働はせず、女性とは眼も合わせない」というのです。寺の清掃や食事の世話は作務(さむ)と言われ、わが国各宗派でも重要な修行の課題とされていますが、ミャンマーのテーラワーダ宗派ではそれらさえ禁止し、ひたすら修行に励んでいると紹介されています。筆者が滞在したスリランカキャンデイ―にある仏教センターにも、多くの外国人修行者が来ていましたが、やはり食事はすべて地域住民の喜捨で賄われていました。各地域の人達が順番に担当していましたが、順番が来るのを心待ちにしているのが印象的でした。魚川さんが「労働はせず、女性とは眼も合わせない」人生を送っているかどうかはわかりませんが、筆者はそういう人たちを心から尊敬しています。良寛さんもそういう人でした。

テーラワーダ宗派の新しい活動
 南伝仏教では大衆の啓蒙はせず、ひたすら自己の修行の完成を目指します。ブッダも悟りの完成の直後はそうだったと言います。しかしそれを察した梵天が、大衆啓蒙を懇請した結果、その後ブッダはその姿勢を貫いた一生を送ったと、初期仏典に書かれています(梵天勧請と言います)。なぜ初期仏教が、梵天(ブラフマン、つまりヴェーダ信仰の最高神)まで持ち出したのか。おそらく、ブッダと弟子たちの厳しい修行態度と、衆生救済の一生があまりにもかけ離れているからでしょう。なんとかつじつまを合わせなければ収まりが付かないからだと思います。
 現代のテーラワーダ宗派でも変化が起こっています。あのベトナム僧テイクナット・ハン師のマインドフルネス(気づき)活動です。フランスの田舎に拠点を置いて世界中から修行者を集まり、講話や瞑想修行に励んでいます。一方、アメリカにも活動場所を作り、国連やIT企業の大手グーグルから招かれて講演活動をしています。それだけ師の思想が世界の人々にとって必要視されているのです。

読者のコメント(6)と筆者の考え

読者のコメント(6)

 読者のお一人(臨済宗系のあるお寺の住職)から次のようなコメントがありました。他の皆さんにも参考になると思いますので、アップします。お考え下さい。

1)「現成公案」の「現成」は、既に成就し現に円成している、という意味です。「公案」とは、公共の案件(公の課題)という意味です。仏教にとっての公の課題は、解脱・涅槃・菩提・成仏・衆生済度です。それらが全て、つまり「仏道」が既に成就し現に円成していることを「現成公案」と言います。

2)『PALI(パーリ語:筆者註)–ENGLISH DICTIONARY』の【Rupa(色シキ:筆者註】には、form, figure, appearance, principle of form, etc. と記されています。「色」は、姿や形や外観の意で、認識や認知の内容だと言えます。認識や認知 の対象としての「姿形や外観が有る物」では無いと思います。

筆者の考え

 魚川裕司「仏教思想のゼロポイント」(新潮社)の読後感についてのブログシリーズを続けています。早速コメントがありました。他の読者の皆さんにも参考になると思いますので、ご紹介させていただきます。

ご質問:
〇生老病死する私(衆生世間中の一人)と、念々に生滅している認知内容を繋ぎ合わせて認知している私(五蘊世間の私)との区別も合わせて論究して下さると有り難いのですが、…。
〇他人の心臓や腎臓などの臓器を移植したり、癌細胞を切除したりして生き永らえている「我」も軈(やが)て「死」を迎えます。このような生老病死する衆生世間中の一人としての「我」と、念々に生滅している見聞覚知内容を繋ぎ合わせて認知している「我」との区別を明確にして戴けると有り難いのですが・・・。

筆者のお答え:「念々に生滅している認知内容を繋ぎ合わせて認知している私(五蘊世間の私)」とは、「私たち衆生の身の回りに次々に起こる出来事は、いずれも原因と条件によって起こっては消えていく仮の現象であり、それらを経験する私も仮の私だ(魚川氏は経験我と呼んでいます)」という意味ですね(縁起の法則)。凡夫はそれらを苦(渇愛と怒りと貪欲)と結び付けてしまうから問題なのです。

 ブッダやその高弟などの悟った人たちは、それらの経験を「仮の姿である」と見極め、苦につなげなかったのですね。もちろんブッダも年老いて病気になって死にました。そして悟った後もブッダの経験我は、当然、念々に生滅している現象を認知していました。しかし、ブッダは、それらを「あるがままの現象」として受け止め、さらりと流していたのでしょう(註1)。そして、老化も病気も死も、あるがままに受け止めて逝ったのだと思います。魚川さんの論旨はよくわかります。しかし、モノゴトを体験し、感じているのは本当に経験我だけなのか。筆者のこの辺の解釈は少し違います。それについてはこのシリーズの最後にお話します。

註1ブッダは「我という本体(魚川さんの言う実体我、魂)の有無については「無記(沈黙)」を通しましたから、老化や病気や死を自覚したのは、その時々のブッダの経験我というこになりますね。

追記:この方の以前のご質問に、
・・・『PALI(パーリ語:筆者)-ENGLISH DICTIONARY』の[Rūpa(色:筆者)]には form, figure, appearance, principle of form, etc., と記されている。「色」は、姿や形などの意で、認識や認知の内容であって、認識や認知の対象としての「姿形が有る物」では無いと言える・・・

とありました。上で「五蘊」が出てきましたのでついでにお話します。五蘊(色・受・想・行・識)とは、人間の認識作用のことです(以前のブログでお話しました)。あなたのおっしゃるform, figure, appearance, principle of form(つまり外観・見かけ)は(これらの感覚器官がとらえた姿。たとえば、眼が捉えて網膜に写った姿)です。仏教関係の辞書を引くとき大切なことは、「辞書の編者が仏教をちゃんと理解できているかどうか」です(辞書というものはすべてそうでしょう)。けっして絶対ではありません。筆者は、そういうものもいったんすべてゼロにして仏教を考え直しています。

註2 筆者は、以前のブログで「色には、眼・耳・鼻・舌・皮膚・意の人間の感覚器官(六根)と、その対象(六境、たとえば眼で見る山)も含む」とお話しました。筆者が悪いのではありません。五蘊で言う色と、色即是空で言う色はちがうのです。従来の仏教学ではそこがあいまいなので、そう表現するしかなかったのです。

東洋的な考え方(5‐1,2)

東洋的な考え方(5ー1)

 いま西欧の人達から東洋的なモノゴトの考え方に大きな関心が寄せられています。ヨーロッパでも激しい競争社会は勝ち組と負け組をはっきりと分け、貧富の格差はますます広がっています。そしてテロによる無差別大量殺人の要因の一つにもなっているのです。競争原理は戦後日本人の考えにも大きな影響を与え、偏差値が良い学校、大会社への将来を決めるなど、あたかも人間の価値を決める尺度にさえなっています。それが子供たちの無気力や引きこもり、さらには校内暴力を引き起こしているのです。「殺したかったから殺した」という、あの異様な犯罪を起こした元女子学生も、おそらくあまりに強かった親の期待に自分を完全に喪失してしまったのでしょう。

 それら西欧人の考えの元になっているのが、「人間と自然とを対極的なものとしてとらえる」という思考法にあるのです。ヨーロッパでは、自然の厳しさもあって、自然とはコントロールするもの、克服するものとの考えが強くありました。それが現代の自然破壊を生んできたのはご承知の通りです。サハラ砂漠のような荒廃そのもののような土地も、2000年前は緑野と森林地帯だったのです。西洋における哲学や自然科学の発達も、「人間と自然とを対極的なものとしてとらえ、対象を分析する」という、唯物思考に基づいています。

 日本は温暖多雨で森林の再生能力も高い国です。そのため、日本人は常に緑の山々や木々に取り巻かれてきました。自然を克服するという発想など昔からなかったのです。神とは山や木などの自然神であることからもよくわかりますね。その日本人が、自然は人間と対立するものでないという東洋思想をごく自然に受け入れたのは当然かもしれません。日本人は、なんとしても、少しでも早く、東洋思想という宝物を持っていることに目覚め、それらを活用して子供も大人も生きいきと学び働ける社会に変えて行かなければなりません。学校の成績などが人間の評価の基準ではなく、一人ひとりが自己を大切にし、個性をいっぱいに伸ばせる社会にするには東洋思想こそが重要なのです(註1)。

 筆者は自然科学の研究者として生きてきましたが、もちろん研究法は西欧の唯物思考に則っています。以下にこの西洋的思考と、筆者が個人的に学び、経験して来た東洋的思考との根本的相違についてお話していきますが、唯物論で生きて来た人間として、かえって禅などの東洋的考え方をお話する資格があるように思えます。

註1 槇原敬之さんの「世界に一つだけの花」は、とてもいい歌だと思います。
 ・・・ぼくら人間はどうしてこうも比べたがる?一人一人ちがうのに、その中で一番になりたがる?そうさぼくらは世界に一つだけの花。一人ひとりちがう種を持つ。その花を咲かせることに一生懸命になればいい・・・

東洋的な考え方(5-2)

 では東洋的な思考とはどんなものでしょうか。東洋では人間と自然を決して対極的なものとは捉えません。常に人間は自然の一部として考えています。たとえば人口の庭の「借景」として後ろの山や木々を借りることはよく行われてきました。このシリーズでお話している禅思想はこの考えの究極的なエッセンスです。すなわち、いつもお話しているように「空」とは一瞬の体験です。そこにあっては観る私もその部分、観られる対象もその部分なのです。「体験の主観的部分と客観的側面」と言ってもいいかもしれません。「モノがあって私が見る」という、西洋の伝統的な見かたとははっきりと違いますね。

 自由という言葉について考えてみましょう。西洋で言う自由とは、「他からの束縛を離れる」という意味ですね。「親や学校の監督から離れる、夫の束縛から解放される」というように、常に「私と相手」という対立的構図から発想されています。ところが東洋思想でいう自由とは、自(みづか)らに由(よ)ることを意味します。つまり、自分の足で立つこと、自立することです。この自由の境地から、自己を確立し、自分の本当の価値を知ることになるのです。

 つぎに自然はどうでしょう。欧米的な考えでは、人間と対置される周りの環境ですね。しかし東洋では自然は「じねん」と呼ばれていました。「じねん」とは「おのずから(自ら)しか(然)る」という意味です。もともと中国の荘子(BC369?-286?)の思想です。

「天地は我れと共に生じて、万物は我れと一たり」(「荘子・斉物論篇」)
「道を以て之を観れば、物に貴賤なし」(「荘子・秋水篇」)

つまり、本来的にそうであること、本来的にそうであるもの。あるがままのありかた。まさに人間と自然を一体化する思想、すなわち外界としての自然界や、人間と対立する自然界という概念ではなかったのです。客観的な対象物としての自然への意識はあいまいで、その意味で人と自然の一体感は強かったのです。たぶん福沢諭吉のような先人たちが、幕末から明治にかけて、西欧文化を理解するために、Natureという英語に自然という漢字を当てて、「しぜん」と読むように翻訳してしまったのです。福沢諭吉が偉大な先覚者であることは言うまでもありませんが、
日本の伝統的考えを十分に理解してたとは思えません。賀茂真淵、本居宣長、熊沢蕃山、平田篤胤、荷田春満などは日本の誇るべき思想家です福沢諭吉は日本の思想には疎かったようです。

原始仏教‐スッタニパータ(1-4)

原始仏教‐スッタニパータ(1)

 以前のブログで、仏教とキリスト教の大きな違いについてお話しました。キリスト教徒が聖書を唯一絶対の教えとしてに連綿といるの続いているのに対し、仏教は釈迦の元々の教えがどいうものかわからないほど、拡大されて来ました(増広と言います)。考えればとても不思議なことです。その理由について、東京大学名誉教授の中村元博士は興味ある考えを述べておられます。

 いわゆる大乗経典類が釈迦の教えとはずいぶん離れたものであることは、今では定説になっています。にもかかわらず、今だにさまざまな新興宗教が、「私たちの根本経典は、釈尊が悟りを開かれて最初に説かれたものだ(初転法輪)とか、「涅槃に入られる前、最後に説かれたもっとも重要なものです」などと言っているのは理解に苦しみますね。釈迦の教えがその後大きく増広したことは、原始仏教の経典と大乗仏教の経典類を読んで比較してみれば一目瞭然です。筆者は、大乗仏教にはすばらしいものがあると考えていますが、なんといっても釈迦自身の思想を知りたいものですね。それが伝えられていると考えられるものを原始仏教経典類と称し、ふつうパーリ仏典と言います。

 その中でも最も古いと言われているものが「スッタニパータ(経典類の意味)」です。そこには釈迦自身が弟子に語った言葉も含まれているようです。そのパーリ仏典ですら、釈迦の死後数百年間はもっぱら口伝で伝えられました。「それなのに釈迦の言葉がそのまま伝えられていると言うのは!」との疑問もあるでしょう。しかし筆者は、口伝によって伝えられたということはかなり正確に伝わっているのではないかと思うのです。その良い例が日本のお経です。お経の文句はおそらく作られて数百年間ほとんど誤りなく伝えられているからです

 大乗経典は釈迦の思想とは無関係であると言ったのは、江戸時代の学者富永仲基です。富永がどのような理由をもってそう断じたのかはよくわかりませんが、仏教研究に革命を興した理論でした。筆者もさまざまな大乗経典を学び、そして「スッタニパータ」を読んでみて、まさしく富永の言う通りだったと思います。

註1パーリ仏典の一つ「ダンマパダ」は漢訳「法句経」としてわが国へも伝えられていましたが、その後ほとんど無視され、「浄土三部経」や「法華経」「阿弥陀経」「涅槃経」などの大乗経典類が広まりました。「スッタニパータ」五章のうち第四章だけは「義足経」として漢訳されていました。しかし、全体としては漢訳されていず、日本の仏教にはほとんど影響を与えなかったと思われます。したがって中村博士の「ブッダのことば」は、「スッタニパータ」の全文がわが国で初めて紹介された重要な書物です。「ブッダのことば」には詳細な注釈も付けられた親切なもので、まさに中村博士の学識の面目躍如たるものがありましょう。

原始仏教‐スッタニパータ(2)

 「スッタニパータ」は韻文(詩句)と散文に分かれ、中村博士によると、後者は後に解説として付け加えられたものです。そして、全体として教理というべきものがありません。すなわち、釈迦の教えは「対機説法」と言って、それぞれの人、それぞれの場合に応じて内容を変えていたのです。教えというものは、それぞれの人のためのものでしょうから、統一的な教理としてまとめられるようなものではないのは当然ですね。釈迦は「教えは大河を渡るのに使った筏のようなものであり、その人がその教えによって救われたら捨てるべきだ」とおっしゃるのです。いわゆる「筏のたとえ」です。

 以下、「スッタニパータ」の内容について、中村元博士訳の「ブッダのことば」(岩波文庫)を基にお話します。
 第一章 第七節「賤しい人」
 〇足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々のひと(人)の家で貪(むさ)ぼることがない。
 〇他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない・・・(以下略)
 〇何ひと(人)も他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
 〇あたかも、母が己が独り子を命を賭けても守るように、その一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)心を起こすべし。

第二章 第四節「こよなき幸せ」
 〇諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人を尊敬すること・・・これがこよなき幸せである(以下同じ)
 〇適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずから正しい誓願を起こしていること・・・
 〇深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、言葉がみごとであること・・・
 〇父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり、混乱せぬこと・・・

第三章 第八節「矢」
 子供を亡くしてなげき悲しみ、7日間も食事をしない人を気遣って釈迦は、
 〇この世における人々の命は、定まった姿なく、どれだけ生きるか解らない。惨(いた)ましく、短くて、苦悩をともなっている。
 〇生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。
 〇たとえば陶工のつくった土の器が終にはすべて破壊されてしまうように、人々の命もまたそのとおりである。
 〇このように世間の人々は死と老いとによって害(そこな)われる。それゆえに賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。
 〇迷妄にとらわれ自己を害なっている人が、もし泣き悲しんで何らかの利を得ることをことがあるならば、賢者もそうするがよかろう。

筆者のコメント:いかがでしょうか。「親しい人を亡くして悲嘆するのは、亡くしたことと嘆き悲しむことの二重の苦しみを味わっているのだ。賢者は命の道理を知っているから、少なくとも嘆き悲しむことはしないないのだ」と言うのですね。このように、釈迦の教えはこのようにおよそ教理と言ったものではなく、大衆一人ひとりの現実に即した生き方の指針を示しているのです。それにしても、これらの教えが、東日本大震災で大切な人を失った人たちにも通じるかどうかには疑問が残りますが。

原始仏教‐スッタニパータ(3)大乗経典との接点

 「大乗経典は釈迦の思想とは無関係だ」と言ったのは作家の司馬遼太郎さんです。司馬さんは江戸時代の学者富永仲基の説を引用したのですが、正確ではありません。なぜなら、富永は著書「出定後悟」で、「およそ新思想というものは以前の思想に新たなものを加えたものだ」と言ったのです。富永の言葉「加上説」がよくそれを表しています。前の思想を完全に否定したのではないのです。つまり、大乗経典類には釈迦の思想の一部が残っていると考えるべきなのです。
 「スッタニパータは釈迦の思想に近いものだ」というのが中村元博士の説ですが、じつはよくわからないのです。筆者は「釈迦の思想の一部を伝えている」と想像しています。その前提に立って、以下、「スッタニパータと大乗経典類を結ぶものは?」について、検討を加えてみました。もちろん、初期仏典(パーリ仏典)は15あり、「スッタニパータ」はその1つですから、「スッタニパータ」だけについて検討するのは乱暴すぎますが、まあご容赦ください。

 まず、釈迦の思想と大乗経典類の思想と共通する部分を考えてみますと、縁起の法則・無常の法則・「空」の法則だと思います(じつはそれもよくわからないのですが)。それぞれについて「スッタニパータ」の内容を調べてみました(下記の章句番号は中村元訳「スッタニパータ」(岩波文庫)の章句に基づきます)。

 縁起の法則
 第三章 大いなる章 第十二節「二種の観察」
 〇およそ苦しみが生ずるのは、すべて潜在的形成力を縁(原因)として起こるのである。諸々の潜在的形成力が消滅するならば、もはや苦しみが生ずることもない。 〇「苦しみは潜在的形成力の縁から起こるのである」と、この災いを知って、一切の潜在的形成力が消滅し、(欲などの)想を止めたならば、苦しみは消滅する。このことを如実に知って・・・(以下略)

筆者のコメント:人は原因もはっきりわからないまま苦しんでいることがよくあります。「すべての苦しみには原因がある」と喝破したのは、やはり釈迦の卓見だと思います(筆者はこれこそ釈迦の言った言葉だと考えています)。

無常の法則
 第三章 大いなる章 第八節「矢」
〇この世における人々の命は、定まった姿なく、どれだけ生きるか解らない。惨(いた)ましく、短くて、苦悩をともなっている。
〇生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。

筆者のコメント:これの釈迦の言葉は「あたりまえのこと」ばかりですね。しかし考えてみれば、高尚な教理が、現に苦しんでいる大衆の心に染みわたることなどありえません。釈迦にはそのことが十分にわかっていたのでしょう。

空の思想(註1)
 第五章 彼岸に至る道の章 第十六節「学生モーガラジャの質問」
〇「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、(死の王は)見ることができない。
 第四章 八つの詩句の章 第十五節「武器を執ること」
〇古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引するもの(妄執)にとらわれてはならない。

筆者のコメント:筆者は、たしかに釈迦は傑出した思想家でしたが、インドには多くのすぐれた哲学者がそれ以降も何人も出たのだと思います。彼らは釈迦の言葉を深く掘り下げ、思想という鉱脈に至った。それが大乗仏典類だと思います。

註1 前にもお話したように、「空」の思想はその後変容し、あの龍樹の「空思想」ともちがいますし、禅の「空」ともちがいます。

原始仏教‐スッタニパータ(4)仏教とキリスト教の相違

 前にお話したように、釈迦の教えはそれを聞いたそれぞれの人がさまざまに受け止めていたのです。そうならば、受け止めた人がそれぞれ独自の解釈で発展させ、いわゆる大乗経典類という多くの思想としてまとめられたのももっともでしょう(註2)。これで、なぜ仏教はキリスト教と異なり、教祖の教えの増広が行われたのかよくわかりますね。
註2 原始仏典や、後の大乗経典類の冒頭には必ず「如是我聞(私はこのように聞いた)」とあります。

 筆者はキリスト教はすばらしい宗教だと思っています。ただ、なにかと言えば「〇〇伝第〇章第〇節」と出てくるのは気になっていました。ある人に何か問題が起こったとき、辞書を引くのと同じ要領でそれらの章句を検索するような気がするのです。経験を積んだ指導者は、それらの章句の多くを諳んじており、信者の相談を聞いてただちにそれらを示すのでしょうか。「それはおかしい」と以前のブログでお話しました。同じような相談に見えてもその内容は人さまざまでしょうし、時代により、国によってとても一律に考えることはできないと思うからです。釈迦が教義というものを否定した理由がよくわかりますね。

 原始仏典が後の大乗経典類とはほとんど別のものであることは、これまでにご紹介した「スッタニパータ」の一端からもご想像いただけるでしょう。すなわち、後者のどれもが整然とした文章の思想書であるのに対し、「スッタニパータ」ではごく日常的な話言葉で書かれているのです。それらの原始仏典のどの部分から後世の大乗仏典のさまざまな思想が生まれたのかを調べるのはあまり意味があることとは思えません。おそらく後代のインドの、今は名も知れぬ哲学者たちの努力の成果でしょう(註3)。筆者など、彼らが自らの思想なのに、わざわざ「如是我聞」と釈迦の思想に託した理由を測りかねます。

註3 わずかに唯識思想をまとめた人としてインドの無着・世親によることが知られています。

 中村元博士はさらに重要なことを述べておられます。それは「教理としてまとめられると、しばしば他人をそれに従わせようと強制する。それに従わなければ時に弾圧する」と言うのです。前にもお話したように、キリスト教とユダヤ教、そしてイスラム教はもともと根は一つなのです。つまり、人類で初めて神の声を伝えたのがキリストであり、500年後にもムハンマドが神の声を聞いたのですから。それなのに、世界の歴史は「これらの宗教間の争い」と言ってもいいのです。それどころか、同じイスラム教シーヤ派とスンニ派が、恐らく教義の解釈の重点が異なるだけで、シリアや、イラン、イラクで深刻な争いを続けているのは皆さんご存知の通りです。それに対し、仏教国ではこれまでどこの国でも、ただの一度も宗教戦争が起こったことがないのです(註4)。

註4 わが国の法華一揆や一向一揆は、それぞれの宗派を旗印にした権力に対する闘いです。島原の乱でも同じで、キリスト教信者ばかりでなく、多くの百姓が加わっていました。
 中村博士は「強固な教義としてまとめられると、その言葉がしばしばスローガンになって他宗や他宗派の人々を攻撃する」と言います。それは現代でも起こっていますね。こわいことです。