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「沈黙」‐踏み絵を踏んだのは遠藤周作さんです(1,2)

「沈黙」‐踏み絵を踏んだのは遠藤周作さんです(1)

遠藤周作さんの「沈黙」が再評価されているそうです。来年には映画も公開されるとか。再評価の理由は、欧米で「従来のキリスト教信仰は、教会主導色があまりにも強かった。これからは個人が尊重される信仰に」との思いが大きくなったためと言われる。読んだことのない人のために、簡単にあらすじをお話しますと、

 ・・・島原の乱が終わって間もないころ、ローマへ「日本へ派遣されたフェレイラ神父が、苛烈な弾圧に屈して棄教した」という驚くべき報告がもたらされた。ただちにその弟子ロドリゴらが派遣された。二人は途中のマカオでキチジローに出会い、その案内で五島列島に潜入した。五島では、隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われることになる。そして、幕府による弾圧にも屈なかったため、拷問の末処刑された信者たちの様子を目の当たりにした。逃亡し、山中を逃げ回っていたロドリゴは考えた「万一神がなかったならば・・・私は恐ろしい想像をしていた。彼がいなかったなら、殉教したモキチやキチゾウの人生は何と滑稽な劇だったか。多くの海を渡り、三か年の歳月を要してこの国にたどり着いた宣教師たちはなんという滑稽な幻影を見続けたのか。そして今この山中を放浪している自分も・・・」。やがてロドリゴはキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。

 神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、棄教したフェレイラが語りかける・・・その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾(いびき)のような音を止めてくれと叫ぶ。フェレイラは、その声が鼾なぞではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに「踏み絵」を踏むことを受け入れる。

 ロドリゴはすり減った銅板に近づけた彼の足に痛みを感じた。しかし、そのとき、踏絵の中のイエスが語りかける。
 ・・・踏むがいい。お前の足は今痛いだろう。だがその痛さだけで十分だ。私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのだ。私はお前たちのその痛さと苦しみを分かち合う。私はお前たちに踏まれるためこの世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ・・・。

 そしてロドリゴは踏み絵を踏んだ。ロドリゴは言う。
 ・・・主よ私は今まであなたが沈黙しておられるのを恨んでいました。あなたは沈黙していたのではなかった。あなたが沈黙していたとしても、私のこれまでの人生が、あの人について語っていた。私は今までとはもっと違った形であの人を愛している。私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。強いものも弱いものも無いのだ。強いものより弱いものが苦しまなかったと誰が断言できよう・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
 つまり遠藤さんは、「信仰がどん底まで落ちて、初めて新しい信仰が始まる」と結論付けているのです。
 しかし、筆者は、遠藤さんの考えをとてもそのまま受け止めることはできません。筆者はまったく別の角度からこの小説を読んでいます。それについては次回お話します。

「沈黙」‐踏み絵を踏んだのは遠藤周作さんです(2)

 「沈黙」は発表後一部の教会派から、強い批判を受けました。長崎県などでは禁書扱いだったとか。当然でしょう。あの地方は隠れキリシタンの「聖地」でしたから。筆者の今回のブログシリーズは、NHK「こころの時代」(2017年4月)に沿って話を進めています。しかし、これからお話することは、同じ情報についてですが、まったく異なる筆者の感想をお話します。

 遠藤周作さんは、お母さんの影響で12歳のときに洗礼を受けました。しかし、長い間、「合わない洋服を着ていた。自分の背丈に会うものに仕立て直さなければならない」と考えていたと言っています。そして、それが遠藤文学の大きなテーマだったと、遠藤文学の研究者であり、自身も熱心なクリスチャンである山根道公さん(ノートルダム清心女子大学教授)は言います。遠藤さんは、長崎の26聖人の殉教のその場や、外浦(そとも)の隠れキリシタンの住んでいた島を何度も訪れ、信者たちの話を聞きました。そして「沈黙」としてまとめたのです。山根さんは「『沈黙』のテーマは、遠藤さんが、モキチやキチゾウのような殉教者か、ロドリゴ司祭やキチジロウのような棄教者か、それともそれらを回りで見ていた人間なのかを確かめることだった」と言います。そして、遠藤さんは「私はキチジロウだった。母の私(遠藤さん)に対するキリスト者としての期待を裏切って来たからだ」と答えています。

 しかし、筆者は前述のように、遠藤さんの「沈黙」に込められた告白を素直に受け止めることはできません。結論を先にお話しますと、遠藤さんは、お母さんの期待を裏切って来たからどころではなく、まさに踏み絵を踏んだ人なのです。その理由は次のようです。じつは遠藤さんは、学生時代重症の結核に患かりました。そのとき、あまりの苦しさに「神などあるものか」という、キリスト者が決して口してはいけない言葉を吐いたのです。それを山根道公さんが「遠藤さんから直接聞いた」と証言しています。

 「神などあるものか」の言葉を吐いたことは、踏み絵を踏んだことと同じです。遠藤さんは結核が治ってから、その罪に苦しみ続けていたのではないでしょうか。26聖人の殉教地や、隠れキリシタンの里を訪れ、信者たちの話を聞いた時、客観的な目を通して取材していたのではなく、じつはその間、自分とはあまりにもかけ離れた「本物のキリスト者」すごさにおびえ続けていたのではないでしょうか。筆者は「沈黙」は、自分の罪を合理化(贖罪ではない)するために書かれたと思うのです。ロドリゴ司祭やキチジロウは架空の人物です。ロドリゴが、キリストの「踏むがいい」との言葉を聞いたというのも、フィクションですからいくらでも書けるでしょう。そして、「踏むがいい」と言われたとすることによって、自分の罪を正当化しようとした。つまり、遠藤さんにとって虫の良いフィクションではなかったかと、筆者は思うのです。

 前述のように、遠藤さんは「私は殉教者の立場なのか、棄教した人間か、それとも傍観者なのか」を見極めることが『沈黙』執筆の動機だった」と言っています。しかし、じつは初めから「自分は棄教者である」ことを承知し、その罪におびえ、何とか正当化したいと考えていたのではないでしょうか。遠藤さんは、ユーモアの人としても知られています。しかし、江戸時代の老人の格好をして銀座のバーへ行ったのは、ユーモアを越えているでしょう。その常識外れとも思える行動は、じつは踏み絵を踏んだことの罪悪感の裏返しではなかったかとも思います。そう考えると遠藤さんの行動が筆者の腑に落ちるのですが・・・。
 
 山根さんは「いま、欧米のキリスト教信者によって「沈黙」が高く評価されている」と言っています。「殉教などは教会が示す理想であり、もっと自由な信仰でありたい」という気持ちが、遠藤さんの『沈黙』に眼を向けさせた」と山根さんは言います。しかし、筆者はそうは取りません。欧米や中東の政治家や一般市民の多くは、熱心なキリスト教徒やイスラム教信者のはずです。しかし、その一方で、第一次大戦や第二次大戦、そしてその後の各国での様々な戦争で、大量殺人や虐殺をしているのです。まさに「神とは愛である」とのキリスト教やイスラム教の教理に反する行為でしょう。まともな精神を持った人間なら、それらの行為はまさに、自ら踏み絵を踏んだとわかっているはずです。したがって「もっと自由な信仰を」ではなく、「踏み絵を踏んだことを合理化させてくれる書」と勝手に解釈し、「沈黙」を評価しているのではないでしょうか。はたして、ロドリゴが踏み絵を踏んだことで、命を助けられた人たち(じつは彼らは結局殺され、ロドリゴの棄教は無意味だったのです)は喜んだでしょうか。筆者にはそうは思えないのです。

 最後に、筆者のこの感想は、信仰を持つ者としてのそれではなく、ロジックとしての疑問だということを付け加えさせていただきます。「沈黙」の発表当時、一部の教会派から批判された」のですが、それは教理にそぐわないからではなく、遠藤さんのこのごまかしが赦せなかったのだろうと思うのです。筆者もこの教会派も、遠藤さんには、はっきりと「自分は棄教した人間です」と告白して欲しかったのです。じつは、それだけで赦されるのです。これが神の愛だと思います。

 筆者は、このブログシリーズで、宗教学者の岸本英夫さんや、小説家の瀬戸内寂聴さん、吉村昭・津村節子夫妻の「信仰」について批判してきました。他人の信仰についてとやかく言っているのではありません。もちろん信仰は自由です。ただ、信仰を都合よく自分の信念に合わせたり、小説化することによって、本心を誤魔化したり、すり替えたりしないでほしいのです。

読者のコメントへの回答(1)

ブログに対するコメントへの回答

 最近ブログの読者から次のようなコメントがありました。

 >実に馬鹿馬鹿しい論理ですね。自己満足と自己陶酔に嵌っているだけでしょう
今の世に神話を信じている人がどの位居るでしょう。亡くなった人が神になったり石や木が神になったりはたまた動物まで神に、・・・誠に多種多様な八百万の神とは恐れ入ります。一神教の国も有り、此をどの様に整合されますか。鰯の頭も信心から・・・良く言ったものです。この世に神仏が存在するならば、震災も貧困も無くなるのでは。ましてや神仏が有るから戦争が無くならない事はお釈迦もキリストも知っていた筈です。弱い人類、不安だらけの人類を如何に洗脳で籠絡し、自分の主義主張を押しつけたのが宗教の始まりでは。・・・いい加減に他力本願を押しつける事は止めましょう・・・

筆者の回答:礼儀を弁えないのはあなたの品性の問題ですから、筆者には関わりがありません。第一、あなたのコメントが誰に向けられているかもはっきりしません。「無視しよう」とも思いましたが、「これから宗教の勉強を本格的に始めよう」としている人には参考になる点もあると思いますので、筆者の考えをお話することにしました。

 まず、あなたの考えはあまりにも素朴だと思います。

1)一神教か多神教か
 この問題は、それぞれの宗教・宗派の考え方ですから、筆者が関知するところではありません(筆者の考えはいずれお話します)。キリスト教やイスラム教のような一神教と、日本のような多神教の思想を統合するなど、まったく稔りのない議論になるでしょう。

2)この世に神仏が存在するならば、震災や貧困が無くなるか
 敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒の皆さんは、震災があろうと、貧困であろうと、神に対する絶対的な信頼は変わらないはずです。もし、争いも、貧困もなくなり、幸せばかりの人生ならば、この世に生きる意味がなくなってしまうのではないでしょうか。筆者など、極楽やシャングリラ(理想郷、あるとは思えませんが)では、暇でどうしようもないものになるでしょう。苦しみがあるからこそ、それを越えたとき喜びが湧くのではないですか。スピリチュアリズムでは、さまざまな苦しみを乗り越えて魂の成長を遂げることが、人間がこの世で生きる意味だと言います。
 この問題は、筆者のブログシリーズの主要テーマですから、これからも、折りに触れてお話していきます。

3)神仏があるから戦争が無くならないのか
 確かに世界の歴史はユダヤ教徒とキリスト教徒、キリスト教徒とイスラム教徒との争いの歴史だと言ってもいいでしょうね。それは現在でも世界各地で起こり、凄惨な殺し合いが行われています。しかし、正しくは、神仏があるのに戦争が無くならないのだと思います。戦争もするのもしないのも人間の意志です。

4)他力本願の押し付けかどうか
 イスラム教やキリスト教は法然の浄土思想と同じ、「ただひたすら神を信じる」ですね。他力思想です。滅多なことを口にしない方がいいと思います。あなたのこの考えを「神は偉大なり」とするイスラム教徒過激派が知ったらどう思うでしょう。

飯田史彦さんについての疑問(1-3)

死後の世界と生まれ変わり(5)-飯田史彦さんについての疑問(1)

  飯田史彦さん(1962‐)は福島大学経済学部経営学科教授。「生きがいの創造」「同II」「生きがいの本質」(PHP文庫)など著書多数。さらに活発な講演活動もしている人です。とくに、飯田さんの「生きがい・・・」シリーズは全部で130万部以上の大ベストセラーになったということです(「生きがいの創造」での著者紹介から)。それだけこのシリーズで紹介した「人は死んでも魂は不滅」とか、「いつかまた死者に会える」、「生まれ変わってまた家族になれる」などの言葉が、多くの人に死の不安や家族を失った悲しみを癒してくれると受け取られたからでしょう。しかし、筆者はこの飯田さんの発言に強い疑問をもっています。それをお伝えするのが今回以降のお話です。

 飯田さんのこれらの著作を読んですぐ気が付いたのは、これらのシリーズの随所に「批判に対する予防線」や「自己弁護」が目立つことです。もちろんその理由の一半は筆者にもよくわかります。飯田さんのような大学の研究者が、スピリチュアリズムについて話すのには、学内外からの大きな抵抗があるからでしょう。「いったいそんな不確かなことを大学教師が言っていいのか」とか、「それらの発言はあなたの研究とどういう関係があるのか」とか、「沢山の著書を出しているが、大学での研究や講義に差し支えないのか」などの批判です。筆者も研究者でしたからから、それらの批判があることはよくわかります。飯田さんのさまざまな「予防線」や「自己弁護」は、恐らく著書を発表する以前からたくさんの指摘があったからでしょう。

 しかし、飯田さんのさまざまな発言や活動については、それらを越えた本質的な疑問があるのです。つまり、飯田さんの言動の根拠が正しくないからです。じつはご本人もそれを感じているらしく、「生きがいの本質」では、「まちがっていたかもしれない」と反省しています。しかし、それも自己批判ではなく、たくみに論理のすり替えをしているのです。
 
 飯田さんに対する筆者の疑問は次のようなものです。

 1)飯田さんの所説の独創性
 飯田さんの初期の著作「生きがいの創造」「同2II」HP 文庫)を読んで、まず筆者が感じた重要な疑点は、「はたして飯田さん自身もブライアン・L・ワイス博士らのような「退行催眠による前世療法を実践しているかどうか」です。それがなければ、同著は科学研究報告書ではなく、独創性もない、たんなるお話になってしまいます。筆者はもちろん飯田さんが医師でないことは承知しています。しかし、専門医と共同研究をし、現場に立ち会い、結果の判断などに関与することはできたはずなのに実践していません。たしかに飯田氏さんは奥山輝美医師(註8)との共著「生きがいの催眠療法」(PHP研究所, 2000)を出版していますが、内容はすべて奥山さんの医療実績であり、よく読めば実際には飯田さんはまったく関与していないことがわかります。それは、同著の「おわりに」の部分で奥谷さんが、

 ・・・(私の実践している)「催眠治療による生きがい療法」の基礎理論は、プラトン哲学、ゲシュタルト理論とユング心理学が主体となり、脳神経外科と東洋医学の知識と経験が媒体となり、それらに飯田史彦先生の「生きがい論」がコーテイングされて「生きがい療法」という形に仕上がっている(下線筆者)・・・

と言っていることから明白です。つまり、筆者の予想通り、共同研究でもなんでもないのです。にもかかわらず飯田さんが主著者になっているのは理解に苦しみます。好意的に見ても「奥山さんの実践の成果を(おそらく奥山さんが多忙のため)代筆しているだけなのです。ここに、飯田さん自身の研究者としての良心が疑われるのです。

註8 奥山クリニックの最近のHPを見てみますと、2017年までの20年間に4000例の「光の前世療法」をしており・・・施療を受けた人は「解決したいテーマについて光と対話していただき、神託を得ていただきます」とか、「輪廻転生から離脱します」とかの、信じられないような効果がうたってあります。奥山さんは上記の書で、次のようにも言っています。
 ・・・「催眠治療」は、誰が(催眠を)誘導しても同じではない・・・誘導する先生のテクニックと経験はもちろんのこと、その哲学と理論的裏付けによって、たとえ同じ過去生を経験したとしても、得られる結果はまったく違ったものになる可能性がある・・・
まさに語るに落ちた、唖然とするような発言だと思います。

2)飯田さん自身の霊的体験
 次の筆者の疑問は、「はたして飯田さん自身のスピリチュアリズムの体験」はどの程度のものか」でした。霊的体験のない人がこのような問題を公言し、著書を書けば、たんなる「また聞き」になってしまうからです。「生きがいの創造」に、「私(飯田さん:筆者)の霊的体験は『生きがいの創造II』で示します」とありましたので、早速読んでみました。そこには、多くの読者からも「飯田さんが『生きがいの創造』で一言だけ書いている、ご自身の体験とは、具体的にどのようなものでしょうか?」という質問が多かったとありました。

 しかし、そこに書かれておりましたのは「自死やガン死をした霊との交信体験と、霊の謝罪の気持ちを遺族に伝える『魂のメッセンジャー』としての活動」と、「まぶしい光からの『これをお前の使命として与える』とのメッセージ(註9)だけでした。つまり、退行睡眠による前世療法などとは一切関係なかったのです。それだけでは「他人の〇〇で相撲を取る」こととまったく変わりません。少なくとも飯田さんの言説が「人を救うため」にあるのならば、一つの思想科学として十分な検証がなされていなければなりません。筆者のこのブログシリーズは、すべてそういう基本的態度でお話しています。

註9 こう言った「光からのメッセージ」は、まず疑ってかかるのが、スピリチュアリズムや神道に関心のある者のあるべき基本的態度です。

 3)飯田さんの「霊魂不滅」や「生まれ変わり」の根拠となる知見がどこから得られているのか
 飯田さんが自説の根拠としているのが、ほとんどブライアン・L・ワイスが実践した「退行催眠による前世療法」で示された臨床例だけであることは明らかです。しかし、すでにご紹介した、「前世を語る子供たち」の著者イアン・スチーブンスンは、退行催眠による前世の探求には重大な欠陥があることを指摘しています。それについては以下に紹介します。しかし、それを待つまでもなく次の飯田さんの文の一節から明らかなのです。すなわち、ブライアン・L・ワイスと被験者キャサリンとのやりとり(「生きがいの創造」p54)、

ワイス:あなたの名前はなんですか?
キャサリン:アロンダ・・・私は18歳です・・・(中略)・・・時代は紀元前1863年です・・・

おわかりでしょうか。なぜ彼女が「今」いるのが「紀元前」とわかるのでしょうか。紀元前とか紀元後という概念は、キリスト以降の人が規定した年号なのです。キャサリンが生きているのが「紀元前」であることが分かるはずがありません。キャサリンの答えは明らかにフィクションなのです。飯田さんはそれに気付かずに引用しているのです。次回にも述べますが、これが「退行催眠による前世療法」の危険の一つなのです。

 飯田史彦さんについての疑問(2)
 
 ここで改めて、「前世を記憶する子供たち」の著者イアン・スチーブンソンによる、「退行催眠による前世医療法」に対する警告についてお話します。まずご注意いただきたいのは、スチーブンソン自身、「退行催眠による前世の復元」を何度も実践していることです。その経験の上に立って、「退行催眠・・・」の危険性を指摘しています。すなわち、

 ・・・催眠状態にある被験者(患者:筆者)の注意は、驚くほど集中した状態になっている・・・こうした集中力をさらに高めて行く中で被術者の思考の主導権を施術者(催眠を誘導する人:筆者)に委ねてしまうため、施術者の催眠暗示に抵抗できにくく・・・催眠によって誘発される特殊な服従状態の中で被術者は、何らかの、過去にあった出来事らしいものを物語らずにはいられない衝動に駆られるため、現世の生活の中からそれらしきものが捜し出せない場合には、前世らしき時代の記憶が全くなかった場合でも、それらしき話を作り上げるかもしれない・・・また、被術者は催眠のもう一つの特徴である演技力を利用することも多い、記憶の中に潜んでいるいろいろな情報をつなぎ合わせ、それをもとに「前世の人格」を作り上げてしまうのである・・・(以上下線筆者、「前世を記憶する子供たち」p71‐72、長いため筆者の責任において一部簡略化しています)

 催眠術に少しでも学術的な興味をお持ちの方なら、十分納得のいく論述でしょう。以上、実際に「退行催眠」を行っているスチーブンソンの経験として、十二分に尊重すべきではないでしょうか(註10)。スチーブンソンはさらに、

 ・・・薬物を使うにせよ(幻覚剤LSD:筆者)瞑想(による方法もある:筆者)や、催眠(による方法もある:筆者)を利用するにせよ、前世の記憶を意図的に探り出そうとすることにはあえて反対の立場をを取りたいと思う・・・心得違いの催眠ブームを、あるいは前世と思しき時代まで遡る大半の催眠実験の、それに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者があるという現状を・・・何とか終息させたいと考えている(p7、下線筆者)・・・

と明言しています。前述の奥山医師が実践している「前世療法」は、まさにそれです。

 もちろんスチーブンソンは、「退行催眠による前世の探求」を全否定しているわけではありません。
・・・結果については懐疑的ではあるが、全てを無意味だとして切り捨てているわけではない(p78)・・・
とし、前述の「真正異言」のケースを例として挙げています。

前世療法の根本的矛盾
 退行催眠によって神経症の問題点を突き止めるというのは、取りも直さず中間生(前世と現世の中間:筆者)で決めた「課題」を知るということです。「課題」は、現世で起こったことから「自ら知る」ことが何よりも大切なはず。それを人の助けを借りて知ってしまえば「答え」を知ることになり、スピリチュアリズの根本原則に反することになります。これこそ重大な問題点でしょう。

註10 スチーブンソンは「患者の作り話」説以外にも、「霊の憑依によるもの」について触れています。つまり、こういう、自分としての意識が極端に低下している状況では他の霊が憑依し、患者の口を借りて発言することがありうるのです。それに関する筆者の体験ついては、いずれお話します。前回、「阪神淡路大震災で死んだ少女の前世記憶は他の霊の記憶との混信でしょう」と筆者が紹介したケースはこのようなケースの一つだと思われます。

 4)飯田さんの自己批判には論理のすり替えがないか:
  飯田さんには、「生きがい・・・」シリーズを書き進めるうち、読者から多くの厳しい批判が寄せられていたようです。そして、それらの中には、看過できないような重大な指摘があることを気付いていたようです。そのため、おそらく版を進めるうちに、それらの批判に対する「予防線(反論封じ)」を、気になるほど随所に張ったのでしょう。それどころか、「生きがいの創造II」の冒頭で、

 ・・・「こんなこと絶対あり得ない」と拒否する方は、どうぞ目くじら立てないで、きらびやかなファンタジー(空想小説)として、お楽しみ下さい・・・「こんなことがあったらいいなあ」と願う方は、どうぞ、わくわくしながら、夢をかなえてくれるエンターテインメント(娯楽)として、お楽しみください・・・

とあります。驚くべき無責任さです。さらに、飯田さんの著作や講演、そして自死やガン死に霊魂たちと遺族たちとのメッセンジャーとしての実践活動の主目的は、「ただ何かの御縁で目の前にいらっしゃる、その御方を救いたいだけ」と明言している以上、それらの根拠が、ファンタジー小説やエンターテインメントであっていいはずがありません。それどころか、現実に飯田さんの「生きがい・・・」シリーズは多くの反響を呼び、人々に影響を与えているのです。これこそ、科学者としての基本的態度が問われるところです。

 飯田史彦さんについての疑問(3)

 5)科学者としての飯田氏の態度:
  飯田さんは、
  ・・・第一作の『生きがいの創造』は、死後の生命や生まれ変わりに関する各国の大学教官や医者たちの研究成果をご紹介し、私たちはどのようにして生まれてきたのか、という仕組みの観点から、人間の「生きがい」について考察しました。私自身は、決して“真理の解明”に興味があったわけではなく、人間に生きがいをもたらす価値観とはどのようなものなのか、を新たな方法で追求したつもりでした。しかし、私の書き方が未熟だったために、私があの世や魂そのものの研究を行っているかのような誤解も生んでしまいました。私は「あの世」でなく「この世」の研究者であり、あくまでも、人間に生きがいをもたらすような発想法に興味を抱いていたにすぎません(下線筆者「生きがいの本質」p32)・・・

と言っています。しかし、飯田さんの「決して“真理の解明”に興味があったわけではなく云々」は、およそ科学者として許される発言ではありません。明らかに科学者としての踏み絵を踏んでいます。

 飯田さんはさらに、
 ・・・私は、人間の生きがいについて、人間の価値観というものに焦点をあてながら研究している学者ですから、何が真理であるかということよりも、どのような価値観を選び取ることが人間に生きがいをもたらすのだろうか、という問題意識を貫いています。なぜなら、真理であるかどうかという判断不可能な問題にこだわってしまうと、かえって自分自身を、出口のない迷路へと追い込んでしまうからです(下線筆者「生きがいの本質」p345‐346、「CD付き{新版}生きがいの本質」p332‐333)・・・

と唖然とするようなことを言っています。「なぜなら、真理であるかどうかという判断不可能な問題にこだわってしまうと、かえって自分自身を、出口のない迷路へと追い込んでしまうからです」とは!こだわる?出口のない迷路へ追い込む?・・・自己弁護以上の詭弁でしょう。

 加えて飯田さんは、
 ・・・催眠療法中に受け取るイメージについて、たとえその記憶が、受診者の脳が創作した空想物語にすぎないとしても、その物語を活用することによって症状や苦悩が改善されるのであれば、「脳が与えてくれた素晴らしい贈り物」として、医学的見地から大いにありがたく役立てるべきだからです。
 少なくとも、あらゆる可能性に心を開こうとする真の医療関係者であれば、その物語を活用して前向きに生きようとする人々の努力を、それが真実であると物理的に証明できないという理由のみによって、馬鹿にしたり否定したりはできないはずです(下線筆者)・・・

と持論を展開しています。「物理的に証明できなければ、科学的に証明できない」?もしそうなら、あらゆる心理学や精神療法はまちがいということになってしまいます。心理学や精神療法はまぎれもなくサイエンスです。つまり、物理的に証明できなくても、科学的に真理に近づけるのです。イアン・スチーブンソンの研究をくわしく検討すれば納得できるでしょう。飯田さんは明らかに論理のすり替えをしているのです。

 驚くべきことに、飯田さんはその一方で、
 ・・・私の著書は、空想小説ではなく「科学的考察を基にした思想書」(「生きがいの本質」p349)です・・・

と言っています。飯田さんは以前、「空想小説としてお楽しみください」とか、「真理の解明に興味があったわけではなく・・・」
と言ったではないですか!なのにここで、「科学的考察を基にした思想書」とは!「言いも言ったり」です。「科学的根拠を持たない科学的考察を基にした思想書」と言うべきです。

 科学者としてばかりでなく、こんなに重要な問題を人々に伝えるためには、真理であるかどうかを徹底的に追求しなければならないのです。飯田さんとまったく対照的なのが、イアン・スチーブンスンのスタンスです。スチーブンソンは、「前世を記憶する子供たち」の事例を2600以上集め、確かなものと不確かなものをさまざまな基準で峻別しています。それどころか、ワイスの「退行催眠」すら実践し、両者にまつわる危険性を明示しています。そして、最後に残された事例だけについて診断しているのです。一方、飯田さんは、「こだわると迷路に迷い込む」というネガテイブな語句を使って、巧妙に自分の態度を正当化しているのです。科学者としても、良識ある人間としても許されないはずです。

 その一方で飯田さんは、「生きがいの催眠療法」において、
 ・・・私は本書に記してあるような内容を、大学の「経営学」関係の講義中や、ゼミナールで学生たちに話すことは、一切いたしておりません・・・さらに、大学での私は、専攻する「経営学」(経営戦略論および人事管理論)の研究者として、勤務時間の全てを通じて「経営学の学術的研究」に専念しており、「経営学」に関するガチガチの学術論文を、コンスタントに発表しています(「生きがいの創造II」)・・・

と言っています。しかし、「人間に生きがいをもたらす価値観とはどのようなものなのか、を新たな方法で追求したつもりでした」の発言はまさしく飯田さんの「経営学(人事管理論)」の学術目的に沿ったものでしょう。これでも「研究や講義やとはまったく別」と言うのでしょうか。「勤務時間の全てを通じて云々」は、レトリックです。研究は「勤務時間以外」にもするものなのですから。

 飯田さんもここまで来ては後戻りなどできなくなっているのでしょう。しかし、これまで多くの著書やたくさんの講演を通じて、多くの人々に誤った感動を与えているのです。さらに、すでに日本各地に、おそらくワイスや飯田さんの強い影響を受けて、退行催眠による心理療法を行う有料のセラピストも輩出しているのです。筆者は、飯田さんの実践している「魂のメッセンジャー」としての活動を否定はしません。しかし、誤った根拠に基づく「前世療法」思想をこれ以上広めてはいけません。

 筆者はけっしてブライアンL・ワイス博士の「退行催眠による前世療法」をトータルに否定しているわけではありません。しかし、前述のように、この方法には強い疑問があるのです。飯田さんはイアン・スチーブンソンによる批判を知らなかったのでしょうか。それとも知っていて目をつぶっていたのでしょうか。前者なら、科学者として信じられないような怠慢ですし(筆者は当シリーズのように、ワイスの研究、スチーブンソンの研究、そしてシルバーバーチの霊訓をセットとして考察しています)、ことさらに無視したのならなら、不実としか言いようがありません。

 「人間としてもっとも重い罪は、人に誤った神理を伝えることだ」と聞いたことがあります。

死後の世界と生まれ変わり‐スピリチュアリズム(1-4)

死後の世界と生まれ変わり‐スピリチュアリズム(1)

 ところで、19世紀半ばから、既存の宗教とは異なる、精神世界の新しい潮流が起こりました。一般にスピリチュアリズム(心霊主義)と呼ばれているものです。一つは霊界通信、すなわち、霊感の強い人が、霊的世界からのメッセージを受け取るものです。一方、、退行催眠による前世療法と呼ばれる、おもにアメリカの精神科医が行う精神疾患の治療から得られた霊的世界の仕組みについての知識です。そして第三は、「前世を語る子供たち」という、特殊な子供たちに関する研究です。

 それらの内容をざっとまとめてみますと、

 1)死後の世界があること。すなわち、人間は死んでも霊魂として残る。霊魂は不滅であり、生まれ変わりを繰り返し(註1)、魂の向上を図りながら、限りなく神に近づいて行くことが「生きる目的」であること。
 2)現世は人間の魂の向上の場であること。すなわち肉体の死後、魂は中間生(前世と現世の中間)に戻る。そこで、いわゆる守護霊に再会して、現生での人生をビデオのように再現してもらい、この世に生まれて来るにあたって自ら決めていた課題を十分果たしたかどうかを確かめる。それが不十分であることを自覚したら、やはり守護霊と相談して、もう一度人間の世界に生まれて来るかどうかを決定する(このとき課題についての記憶は心の深奥に隠される:註2)。
 4)再びこの世に転生して来て、課題が隠れたトラウマ(カルマ)となって人生の過程でさまざまな問題を起こす(じつはそういう問題が人生で起こるように、自ら仕組んでいた)。これらの問題に出会った時、それを魂の向上にとって正しい判断で対処することが課題の達成になる。
 5)魂はグループとして存在し、ある人生では夫婦として、別の人生では親子として生き、時には夫婦や親子の関係を替えてさまざまな問題を生じさせ、それを解決する。

 このスピリチュアリズムの潮流は大きな驚きとなって受け止められました。なにしろキリスト教でも仏教でも霊魂とか輪廻転生という思想はなかったのですから(註3)。人は死んでも魂として残り、適当な方法によれば死者にも再会できるとは、遺族にとってどれだけ慰めになるかわかりませんし、生きている人にとっても死は怖くないと大きな安心感をもたらすからでしょう。

 何度もお話していますように、筆者は霊的世界の存在を信じています。それどころか、何度も悩まされてきました。ただ、「生まれ変わり」があるかどうかはよくわかりません。神道教団に属している時、なんどか見聞きしてはいましたが。

 死後の世界があることの証明には、上記のように、次の三つのアプローチがあります。第一が、特別に霊感の強い人(霊媒ともチャネラーとも)を通じて行われる、高級霊からの霊界通信です。第二は精神科医による治療法としての前世療法です。そして第三が、前世を語る子供たちについての調査研究です。これら三つのスピリチュアリズムについて、順次お話して行きます。
 筆者は30年前、、神道系の教団に入ったころ、スピリチュアリズムにも興味を持ちました。次回からお話するシルバーバーチ、「前世療法」のブライアン・ワイス、「前世を語る子供たち」のイアン・スチブンソンなどの名前を懐かしく思い出します。

註1この問題については後ほど項を改めてお話します。

註2「なぜ課題は現世に生まれるにあたって消されてしまうのか。課題がわかっていれば、人生がずっと楽になるのに」との質問がありました。筆者は「課題がわかっていれば答えがわかっていることになり、魂の向上にはならないからです」とお答えしました。

註3キリスト教では人は死ねば霊魂は墓の下に眠り続け、人類最後の日に最後の審判が行われ、天国へ行けるか地獄へ落されるかが決められるとされています。一方仏教では、もともと釈迦は輪廻転生を否定していました。釈迦仏教が、インドの厳しい身分制度であるカースト制の対立命題として出発したからです。輪廻転生を認めればバラモンはバラモンとして、クシャトリアはクシャトリアとして転生する思想を認めることになるからです。筆者のブログで「釈迦も驚く日本の地獄極楽思想」と書きましたのはそこを言っているのです。

死後の世界と生まれ変わり‐スピリチュアリズム(2)

 霊界からの通信は次のようなさまざまな形で行われています。代表的なものもには、「シルバーバーチの霊訓」、アラン・カルデックの「霊の書」、自動書記(自然に手が動いて文字を書く)で行われたモーゼスの「霊訓」などがあります(註4)。まず注意していただきたいのは、スピリチュアリズムにはキリスト教や、イスラム教のような唯一絶対神とは別に、その下にさまざまな階層の神々がいらっしゃるという想定です。日本神道の神々と同じかもしれません。神が人間に直接働きかけるということは絶対にありえません。ある人が「そんなことは、人間がウイルスに話しかけるようなものだ」と言いましたが、そのとおりでしょう。ここでは、中でも代表的なシルバーバーチの霊訓についてご紹介します。

 シルバーバーチの霊訓(霊界通信)
  イギリス人モーリス・バーバネル(1902‐1981)を霊媒として、高級霊団から、人類の魂の向上のために伝えられたメッセージです。この高級霊団は、仮にシルバーバーチ(シラカバ)と呼ぶ古代アメリカインデアンの姿で現れています。これらの霊界通信は、イギリスのハンネン・スワッファー・ホームサークルと名付けられた降霊会(19世紀には、イギリスで盛んでした)で行われました。これまでに「シルバーバーチの霊訓1‐10」(近藤千雄などの訳 潮文社)としてまとめられている膨大な量のメッセージです。現代でもシルバーバーチの霊訓の普及は、各地の勉強会や、スピリチュアリズム普及会・シルバーバーチ霊訓総合サイト http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/などで行われています。

いまお話したように、シルバーバーチの霊訓は大部のものですが、たとえば、

 ・・・物的身体の存在価値は、基本的には霊(自我)の道具であることです。
霊なくしては身体の存在はありません。そのことを知っている人が実に少ないのです。
身体が存在できるのは、それ以前に霊が存在するからです。霊が引っ込めば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します(「シルバーバーチの霊訓―霊的新時代の到来」p194)・・・

・・・死が訪れると、霊はそれまでに身につけたものすべて――あなたを他と異なる存在であらしめている個性的所有物のすべて ――をたずさえて、霊界へまいります。意識・能力・特質・習性・性癖、さらには愛する力、愛情と友情と同胞精神を発揮する力、こうしたものはすべて霊的属性であり、霊的であるからこそ存続するのです(「同」p256)・・・

などの言葉があります。

 筆者はもう30年以上前に「シルバーバーチの霊訓集」を読み、スピリチュアリズムの概要を知りました。

註4 わが国では大本教教祖出口なお(1838‐1918)の「お筆先」が有名ですね。自動筆記ですが、出口なおは文盲でした。夜真っ暗になっても筆を走らせいたとか。「さんぜんせかい いちどにひら九(開く) うめのはな きもん(鬼門)のこんじん(金神)のよ(世)になりたぞよ」「つよいものがちのあ九ま(悪魔)ばかりの九に(国)であるぞよ」という痛烈な社会批判を含んだ終末論です。

死後の世界と生まれ変わり(3)前世療法

 前世療法とは、ブライアン・L・ワイス博士(1944-、元マイアミ大学医学部精神科教授)などによって盛んに行われた神経症の治療法です。退行催眠と呼ばれる治療を通じて、さまざまな霊界事情が患者の口を通して伝えられました。

 まず留意していただきたいのは、欧米では、死後の世界や生まれ変わりについての真面目な研究や治療が社会的に承認されていることです。日本でしたら、大変な非難を受けることでしょう(註5)。

註5 わが国には、明治大学情報コミュニケーション学部にメタ超心理学研究室(石川幹人教授)があります。勇気ある行動と思います。

 もともと、「わけがわからないほど水が怖い」とか、「あの子が生まれた時から憎い」というような異常な神経症の治療法として、患者を深い催眠状態に導き、その葛藤が生じた過去の体験(本人が忘れてしまった幼時体験)」を突き止めようとする退行催眠という手段があります。あるとき ブライアン・L・ワイス博士は「異常に水がこわい」というキャサリンという患者に退行催眠を行っていました。そのときワイス博士は「あなたの症状の原因となった時にまで戻りなさい」と、言いました。するとキャサリンはまったくワイス博士が予想しなかった答えを口にし出したのです。

 ・・・アロンダ・・・私は18歳です・・・時代は紀元前1836年です・・・大きな洪水が・・・水がとても冷たい・・・子供を助けないと・・・息ができない・・・

つまり、キャサリンは幼時体験ではなく、前世にまでさかのぼってしまったのです。そしてキャサリンは、過去生があること、前世と現世の間に中間生があること、そこで指導霊に出会い・・・という、最初にお話した、死後の世界や生まれ変わりなどの霊界事情がわかって行ったのです。キャサリンのこの「水が異常に怖い」という真理の原因が突き止められ、それから解放させることによって病気が治ったのです。
 この治療法は、その後多くの医者によって追認され、前世療法として確立されました。それによってさまざまな人々の神経症が治されて行ったのです。

 この前世療法は、「人間の肉体が滅びても魂は残り、不滅であること」や、「中間生に戻って指導霊から、現世で課題がちゃんと果たされたかどうか」、「課題が十分に果たされなかったと判断された場合には再び人間界に転生すること」「人間界は課題を果たすための場であること」、「何度も生まれ変わりをり返し、課題を果たしながら魂を向上さて行き、神に近づくこと」「それが人間がこの世に生きる意味であること」などという、驚くべき事情がわかって行ったのです。

 この思想は一世を風靡し、現在わが国でも、民間で前世療法が行なわれ、あとでお話する福島大学の飯田史彦さんの著述・講演活動にもつながっています。ただ、次回お話するように、催眠により前世を突き止めようとするこの方法には大きな問題があり、注意が必要です。

「前世療法‐米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘」ブライアン・L・ワイス 山川紘・山川亜希子訳(PHP文庫)

死後の世界と生まれ変わり(4)イアン・スティーヴンソンの研究

 「生まれ変わり」についての研究でもう一人著名な人物に、イアン・スティーヴンソン(1918‐2007)がいます。「前世を記憶する子どもたち」(日本教文社)などにまとめられた研究態度はきわめて厳正で、世界中から厚い信頼が寄せられています。スティーヴンソンはインドを初めとするアジア各地、欧米などで広く調査し、多くのケースについて詳細に調査しました。それらの詳細については上記の著書をお読みいただくとして、ここではそれらの研究の端緒になった事例である、日本の「勝五郎の生まれ変わり」のケースをご紹介します。

 「勝五郎(小谷田勝五郎、江戸末期1814-1869)は、武蔵国多摩郡中野村(現在の八王子市東中野)で生まれました。8歳のころ、突然兄と姉の前で、「おれはもとは程久保村(中野村の隣村、現日野市程久保)の藤蔵という子どもで、6歳の時に疱瘡で亡くなった」と言った。はじめは聞き流していた家族も、あまりに具体的で詳細な話に、祖母が勝五郎を連れて程久保村へ出向いて調べたところ、まさしくその両親も実在し、家のたたずまいや周りの景色も、勝五郎の話そのまま、さらに藤蔵の墓まであったと言います(註6)。その話は村ではもちろん、日本中で大評判になり、あの平田篤胤も実際に勝五郎やその父親に会って話を聞き、「勝五郎再生記聞」(岩波文庫収録)を残しています。さらに小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)も、イギリスとアメリカで随筆集「仏の畠の落穂」の一編として、「勝五郎の転生」を発表しています。「仏の畠の落穂」は創作集ではなく、八雲が興味を持った日本人の宗教的な心情を示す事項を資料として紹介したものです。イアン・スティーヴンソンが読んだのはそれだと思われます(註7)。

註6藤蔵の墓は現在も残っています。藤蔵が4年後に勝五郎として生まれ変わったことになります。くわしくはネットでお調べください。「勝五郎の生まれ変わり」として、たくさんの記事が出ています。
註7スティーヴンソンの研究によりますと、そうした子供たちが示す行動には、「本当の親のところへ連れて行って」などと訴える事以外にも、死亡時の状況(およびそれと類似した状況)への恐怖があり、特定の乗り物や火や水、銃火器などへの恐怖が見られること、「前世」の人物と同様の食べ物や衣服の好き嫌い、前世と同じような発話や動作、前世の死に方に関連した先天性欠損(指の一本がないことなど)とか、あざ(母斑)などが見られることもあると言います。スチーブンソンの挙げている生まれ変わりのほとんど決定的とも言える証拠は、およそ喋れるはずのない外国語を話す子供のケースがあることです(真正異言)。

 「前世を語る・・・」で、特徴的なのは、大部分が子供たちによるもので、 スティーヴンソンもこの「勝五郎の生まれ変わり」の話に感銘を受け、この研究を始めたと言います。彼の研究態度は、きわめて慎重で、さまざまな可能性を考え、最後まで残されたものを、それらの可能性では解釈できないものとしているところに科学的良心が知られます。スティーヴンソンは、世界各地で調査し2600ものケースについて実地調査し、「前世を記憶する子どもたち」「前世を記憶する子どもたち2」には、厳選した、合わせて52例の生まれ変わりの事例が報告されています。彼の研究は「アメリカ精神医学雑誌」という一流誌でも紹介され、その科学的研究姿勢が高く評価されています。

 多くの生まれ変わりのケースに共通する性質として、事例のほとんどが幼児で、3歳くらいで突然「ぼくは生まれる前は・・・」と語り始め、7歳くらいまで続き、だんだんその話に触れなくなり、12歳にもなると、そんな話をしたことさえ忘れてしまうと言います。近年、NHKでも「生まれ変わり」に関する番組を制作し、放映するようになりました。まことに画期的なことだと思います。昨年の放映ではアメリカの少年のケースで、「僕はハリウッドで俳優をしていた。名前は・・・」と言い、実際に50年前の本人の写真や経歴まで突き止められました。

 ただ、これらの研究には問題もあることを留意しなければなりません。最近視聴したケースで印象的なのは、現在東京に住んでいる女の子のケースです。5歳のころ「私は阪神淡路大震災で死んだ・・・」と。あまりに不思議な話なので母親が詳細な記録を残していました。話の内容は具体的で「実家は淡路島の海の近くで魚屋をしており・・・向こうに橋が見え・・・」と言っています。しかし、NHKが現地調査した結果、どうしても場所が特定できませんでした。番組を見ながら、筆者はすぐに、「だれかの前世と混線しているな」と感じました。後にスティーヴンソンの研究を知りましたが、彼も「そういうことはありうる」と言っていました。前述のように、スティーヴンソンはこのような可能性を厳密に排除して、最後に残ったケースを「生まれ変わりだろう」と言っています。

 次回以降お話しますが、スティーヴンソンは、前回お話したブライアン・ワイスなどの退行催眠による前世療法については疑問を提出しています。

文献:「前世を記憶する子どもたち」 「前世を記憶する子どもたち2」(笠原敏雄訳 日本教文社」

志慶真文雄さんと浄土の教え(2‐6)弥陀の本願はフィクションです

志慶真文雄さんと浄土の教え(2)弥陀の本願はフィクションです(1)

 前回、「志慶真文雄さんは浄土思想を誤解しているのでは?」とお話しました。今回はその根拠について述べます。その前に、まず浄土思想の成り立ちについて簡単に触れます。それを知らなければ志慶真さんの考えのどこに疑問があるのかおわかりいただけないと思うからです。

 浄土思想
 法然を宗祖とする浄土宗の信者は公称600万人、親鸞を開祖とする浄土真宗は、本願寺派、大谷派合わせて信者1400万人と、浄土系教団はわが国最大の宗教教団です。ことに親鸞の弟子唯円(如信とも、覚如とも)による「歎異抄」の中の言葉、「善人なをもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」は、広く日本人に知られていますね。なお、「歎異抄」ついては当ブログシリーズで検討しました。
 
 法然や親鸞の時代(平安時代末から鎌倉時代初期)は、相次いだ戦乱や天災や飢饉により、人々は大きな苦しみにあえいでいました。その状況は鴨長明の「方丈記」に活写されています。また仏教思想の「末法の世」が平安時代中期の1052年に始まるとされたのも民衆の不安を一層高めていたのです。これらの社会情勢から、法然や親鸞、栄西や道元、一遍や日蓮などによる新宗教が次々に生まれたことはよく知られています。宋へ渡って禅を学んだ道元も、同僚の中国修行僧から、「あなたはなぜここまで学びに着たのか」と聞かれ、はっきりと、「日本の民衆を救うためです」と答えています(慧奘「正法眼蔵随問記」講談社学術文庫)。

 阿弥陀信仰
 そんな社会情勢の中で法然により開かれた浄土宗や、親鸞による浄土真宗は、ひたすら阿弥陀仏様におすがりして現世の苦しみから逃れ、極楽へ往生することを願う、いわゆる他力の信仰です。釈迦以前のウパニシャッド哲学から、初期仏教、そして大乗仏教から、最後の禅に至るまで、すべてが自力による救済を目指していることを考えれば、法然の思想がいかに革新的だったかがおわかりいただけるでしょう。法然はやはり天才です。

 浄土教宗派の根本経典は「仏説無量寿経(以下無量寿経)」「仏説観無量寿経(以下観経)」「仏説阿弥陀経(以下阿弥陀経)」です。「阿弥陀経」には極楽浄土のすばらしさと、そこへ行きましょう」と書かれてあり、「観経」には、古代インドマガダ国のビンビサーラ王とイダイケ妃、アジャセ皇子の悲劇と、釈迦によって救われるエピソードが、そして「無量寿経」にはこれからお話する、弥陀の本願が書かれています。

 弥陀の本願
 とは、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩と呼ばれていた時に立てた「すべての衆生が救われないうちは、私は最高の悟りは得ない」との四十八の誓いです。
そしてその十八番目がわが国の浄土系宗派でとくに重要視されている、
 設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法(設《も》し我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽《しんぎょう》し、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、若し生ぜずば、正覚を取らじ、唯五逆と誹謗正法は除く(下線筆者)です。

筆者訳:たとえ私が悟りを得ることができたとしても、すべての人達が、まごころを持って、わが西方極楽世界に生まれたいと願い、あるいはそのような思いが十回も繰り返えされたときには、必ずやわが国に生まれます。しかし、それでも彼らがわが国に生まれなかったら、私は仏になるわけにいかない。ただし五逆罪(父殺し、母殺し、阿羅漢つまり聖者殺し、仏の体を傷つける者、教団を破壊する者)を犯す者と、仏法を謗(そし)る者は除く。

 じつは、この唯除五逆誹謗(正)法の一文が、これがその後の浄土思想にとって大きな問題となったのです。なぜなら、「すべての大衆を救う」と言っておきながら例外を設ければ、論理が自己矛盾しますね。

志慶真文雄さんと浄土の教え(3)弥陀の本願はフィクションです(2)

まず、五逆誹謗正法とは、
 五逆:父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢(初期仏教の最高の悟りに達した聖者。もはや学ぶことがないという意味)を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけることを言い、一つでも犯せば無間地獄に落ちると説かれています(五逆を主君・父・母・祖父・祖母を殺す罪とする説もあります)。
 誹謗正法:仏教の正しい教え(正法)を軽んじる言動や物品の所持等の行為。
などです。

しかし、前回お話したように、「すべての衆生を救う。ただ、五逆の罪と誹謗正法とを除く」の文章は明らかに自己矛盾があります。(後述するように、「五逆」の規定そのものがおかしいのです)。この例外規定が古くから浄土系の僧侶達、すなわち仏教の専門家すら悩ませてきました。なんとか矛盾を矛盾としてではなく、この主要な大乗経典を解釈したかったからです。そこで中国唐時代の僧善導(613-681唐代の浄土教の僧)は、「観経正宗分散善義(観経) 巻第四」において、大経(無量寿経)第十八願文から〈至心信楽欲生我国〉と〈唯除〉以下を除き、「称我名号」を加えて、

若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚(問ひていはく、四十八願のなかの《第十八願の》ごときは、ただ五逆と誹謗正法とを除きて、往生を得しめず。いまこの「観経」の下品下生の中には、謗法を簡《えら》びて五逆を摂せるは、なんの意かあるや。

としました。つまり、唯除五逆謗法という例外項目を削除したのです。その理由を「質疑(質疑応答)」の形式で次のように述べています。簡約しますと、

問い:おたずねします。(大無量寿経)阿弥陀仏の四十八願のうち第十八願には、「ただ五逆と誹謗正法とを、救済の対象から除外する」としていますが、「観(無量寿)経下品下生」には、「謗法した者を除外して、五逆を犯した者は救済する」と言っているのはなぜでしょうか。

答え:お答えします。「第十八願」で、「謗法と五逆とを除く」と言っているのは、この二つの罪悪は重大であり、もしそれを犯せば地獄に落ちて未来永劫救われないのです。ですから、阿弥陀如来は「その罪を犯すと極楽往生できない」と抑止(おくし:してはいけないという警告)なさっているのであって、方便なのです。じつはそれらの人々も救済されないわけではないのです。

 要するに善導は「これは阿弥陀如来の警告に過ぎず、実際にこれらの罪を犯した人を救済するかどうかの問題ではない(から気にする必要なない)」と言っているのです(筆者には言い逃れとしか聞こえませんが)。この「功績」により、親鸞は「教行信証」の中で、善導を浄土思想の発展に貢献した七高僧の中の第五としています。

「日本仏教入門 基礎資料で読む」角川選書
「観経疏・散善義」(廣瀬杲著、神戸和麿訳注「曇鸞 浄土論註、善導 観経疏」中央公論社
〈大乗仏典中国・日本篇 第5巻〉

志慶真文雄さんと浄土の教え(4)弥陀の本願はフィクションです(3)

 熱心な浄土真宗の門徒であり、自宅の一部を開放してその教えを広める活動をされている志慶真文雄さんの、「無量寿経は宝の山です」という考えの反証として、このブログシリーズを始めました。
 じつは、筆者は「大無量寿経」がフィクションであることは論証の必要もないほど明白なことだと思っています。

さて、法然です。
 浄土宗の開祖である法然(1133 – 1212、源空とも、親鸞の「正信偈」にある七高僧のうち第七)は比叡山第一の学僧と言われた人です。しかしやがてそこを去り、京都東山の麓大谷に住んで「浄土の教え」を説きました。すなわち、法然は、前述の善導が撰述した「仏説観無量寿経(観経)」の注釈書である「観無量寿経疏」(以下「観経疏」)の中の、「一心に弥陀の名号を専念して」という文を重視し、ひたすら南無阿弥陀仏を唱える専修念仏を唱道しました。法然の主著「選択(せんちゃく)本願念仏集」にも「偏依善導」(ひとえに善導一師に依る)と明記してあります。

 じつは、法然のこの主著を読んでみても、重要な教えなどほとんど含まれていないことに気付きます。それでいいのです。法然は「ただ、南無阿弥陀仏とだけ唱えなさい」と言いたいだけなのですから。今まで述べてきましたように、仏教の大道は「自力による自らの救済」です。法然はその原理に逆らって「絶対他力」を説いたのです。よく、「法然が『ただ南無阿弥陀仏とだけ唱えなさい』と説いたのは、文字も読めず、高僧の説法を聞く機会もほとんどない当時の大衆にとっては、この簡単なお題目と唱える以外には救済される道はなかったからだ」と言われます。しかし、そうではなく、これこそ浄土の教えの根幹だからです。それを見抜いた法然はやはり天才としか言いようがありません。

唯除五逆謗法についての法然の受け止めかた
 法然は、その主著「選択本願念仏集」大橋俊雄校注(岩波文庫)において、「この問題は、善導が『観経疏』で示す『抑止門』ですでに解決している」と、納得しているのです。
さらに、
 ・・・「観経」の文疏を條するの刻(とき)、すこぶる霊瑞を感じ、しばしば聖化に預かれり。すでに聖の冥加を蒙って、しかも「疏」の科文を造る・・・
と。
つまり法然は、善導が「観経疏」の執筆中に、霊瑞を感じてその中で聖化(阿弥陀さまの御化導)を頂戴された。そしてお経のどこまでが正宗分(本文)で、どこからどこまでが序分であるかという科文(分類書)を作ったと言うのです。

筆者のコメント:法然に「霊瑞を感じてその中で聖化(阿弥陀さまの御化導)を頂戴された」と言われては、筆者の検証の範囲を超えます。浄土教では、法然は善導の生まれ変わりだとも言います。いわゆる「ひいきの引き倒し」のたぐいでしょう。

 いずれにしても、法然が、なぜ大乗仏教の根本経典の一つ「観経」そのものではなく、その解説書である善導の「観経疏」に依拠したかの理由はここにあるのです。つまり法然は、善導に従って五逆誹謗正法は意味のないことと考えてわざわざ省き、「ただ南無阿弥陀仏と唱えよ」としたのでしょう。いや、「そ知らぬ風を装って」、この例外項目を無視したのと考えられます。ここが親鸞とは大きく違うところなのです。それについて次回お話します。

志慶真文雄さんと浄土の教え(5)‐弥陀の本願はフィクションです(4)

 親鸞(1173 –1262)は「教行信証」の著者で、現在の信者数公称1400万人の、わが国最大の仏教宗派の開祖ですね。法然を文字通り唯一無二の師と仰ぎ、その衣鉢を継いだと、生涯にわたって述べています。弟子唯円の書いた(異説も)有名な「歎異抄」第二章にも、有名な言葉、

・・・地獄は一条住みかとかし(たとえ法然上人にだまされて地獄へ堕ちても、親鸞はなんの後悔もない:筆者訳)・・・
と言っています。

唯除五逆謗法についての親鸞の受け止めかた
  親鸞は、「教経信証」の冒頭で、
・・・わが宗旨は、「大無量寿経」をもっとも大切な聖典とする(筆者意訳)・・・

と言っています。つまり、親鸞が依拠したのは、法然のような「観経疏」ではなく、根本経典である「大無量寿経」へと戻っているのです。親鸞がなぜ「大無量寿経」にまで遡って依拠せざるを得なかったのかは、唯除五逆誹謗正法がどうしても気になって仕方がなかったのでしょう。まず、「尊号真像銘文」で、

・・・唯除五逆誹謗正法といふは、唯除といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ(罪人を嫌い)誹謗のおもきとが(重き咎)をし(知)らせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり(下線筆者)・・・

としています。つまり、法然とおなじ「罪を犯したものは・・・」ではなく、「罪を犯せば・・・」との善導の抑止(おくし、警告)の考え方ですね。そして、「教行信証・行巻」の巻末にある「正信念仏偈」の中で「善導独明仏正意(善導、独り仏の正意を明かす)」と、法然上と同じように善導を讃歎しています。

 そしていよいよ「教行信証」です。こんどは、「観経」にある、アジャセ王の物語(註1)を引用し、最終的には五逆の大罪を犯した者も釈迦の教えにより救われるとしたのです。親鸞はまず、救いがたい三種の病、すなわちこの世で最も重く、治しがたく、死に至る病を説明しています。三種類の病とは、五逆、誹謗正法に加え、一闡提(信不具足、つまり仏法を信ぜず誹謗する者)の三つです。アジャセはこれらの三つの重い病に侵された象徴的な存在として描かれているのです。親鸞はこの三種類の重病を治すには、適切な治療を施す名医と良薬が必要であると言っています。その適切な治療を施す名医に当たるのが、よき指導者(釈迦のような指導者、善知識)であり、良薬にあたるのが、本人の「深い改悛の情」であると言っています。

 親鸞の困惑は、「教行信証・信巻」に、
 ・・・それ諸大衆に拠るに、難化の機を説けり。いま大経(大無量寿経:筆者)には「唯除五逆誹謗正法」と言ひ、あるいは「唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人」と言(のたま)へり。観経(観無量寿経)には、五逆の往生を明かして謗法を説かず。涅槃経には難治の機と病とを説けり。これらの真教、いかが思量せむや・・・
筆者抄訳:・・・いったい、さまざまな大乗経典によると、そこには教え導くことの困難な人のことが説かれているが、いま「大無量寿経」では、「ただ五逆の罪を犯したものと、正しい教えを誹謗するものとは、救いの対象から除く」と言い、「観経(前述のように善導の「観経疏」はその注釈書)」には、五逆の人の往生を、明らかにしているけれども、教えを誹謗する人の救いは説かない。「涅槃経(大般涅槃経)では、救い難い人とその心の病について説いている。これらの真実の教えは、どのように伺ったものであろうか・・・
と述べていることからもわかります。つまり、「教行信証・信巻」は、まさに「唯除五逆誹謗正法」を説明するために書かれているのです。

註1アジャセ王の父殺し:アジャセ(アジャータシャトル)、前5世紀ごろのインドのマガダ国王。父のビンビサーラ王を殺し、母のイダイケ妃を追放して王位に付いたが、のちにその犯した罪におののき、苦しんだ。その後釈尊に救われ、仏教教団の保護者になった「王舎城の悲劇」と呼ばれる有名なエピソード)。

 そもそも五逆謗法がおかしいのです
しかし筆者は、これは明らかに法然の考えからの後退と考えています。おそらく親鸞は弥陀の本願、すなわち「一切衆生の救済」の趣旨から言って、「唯除五逆誹謗正法」との「矛盾」に困惑し、煩悶し、無視することができなかったのでしょう。「教経信証」はまさにその「矛盾」をみずから納得するために書かれたはずです。つまり、「観経」に書かれている、父親を殺した古代インドのアジャセ王でも釈尊による救われたことを例として、「五逆を犯した者も救われる」と説いたのです。
 しかし、そもそも、「大無量寿経」の、例外規定そのものがおかしいのです。「父や母を殺すのは重罪である」と言うのは、「兄弟ならいいのか」「他人ならいいのか」となってしまいますね。「阿羅漢(聖者)を傷付けること」も同様です。いかなる人を傷付けてもいけないのは当然でしょう。さらに、「仏教教団の和合を乱すこと」が最も重い罪なら、どのような不条理がその教団にあっても、一切不平を言ってはいけないことになります。「仏身を傷付けること」など後代の者達にとって不可能です。法然はさすがにそれをわかっており、さらりと受け流した。しかし、親鸞はそうはできなかったのでしょう。やはり法然の方が思想的には上だったと思います。

以上、「大無量寿経や観経などフィクションであり、ただ南無阿弥陀仏と唱えることこそ浄土の教えの本質だ(註2)」と理解した法然はやはり天才です。

註2じつはここにさらに深い意味があるのですが。のちほどお話します。

金子大栄「教行信証入門」(岩波文庫)
山折哲夫「教行信証を読む」(岩波新書)

弥陀の本願はフィクションです(6)まとめ

 熱心な浄土真宗の門徒であり、沖縄県うるま市で自宅の一部を開放してその教えを広める活動をされている志慶真文雄さんの、「無量寿経は宝の山です」という考えの反証として、このブログシリーズを始めました。「無量寿経」がフィクションであることは論証の必要もないほど明白です。法然の思想は別にあるのです。志慶真さんはフィクションから何を得ようとされるのでしょうか。志慶真さんが教えを広める活動をしていらっしゃるのは尊いことです。しかし、教えを広めるためには、経典類の科学的な検証が不可欠だと筆者は思います。

 「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」。これが法然の思想そのものです。しかし、その真意はもっと深いところにあると考えています。それは浄土宗系の僧侶でさえわかっていないと思います。東日本大震災の被災地のある僧侶が「葬式仏教のどこが悪い」と言ったのは「居直り」でしょう。法然の著作のどれを読んでも、「ただ南無阿弥陀仏と唱えなさい」としか書いていないのです。この法然の真意を理解したのが親鸞です。ただ、「唯除五逆謗法」だけは気になってしかたがなく、「教行信証」を書いたのですが、「それは法然の思想からの後退だ」とお話しました。

 一方、「歎異抄」で、親鸞の教えのあまりの単純さに不安を抱き、「もっと重要な秘儀などがあるのでは」と、はるばる東国から十何か国を経て京の都まで尋ねて来た弟子に、「他になにもない」と親鸞が言ったのは当然でしょう。以前のブログで、「歎異抄は、出来の悪い弟子たちの心得違いを諭すための書であり、崇高な思想などない。日本人は早くその呪縛から逃れるべきだ」とお話したのは、この理由からです。現在でも「歎異抄」を「最高の書である」と尊重する人は多いのですが・・・。

 思想家小林秀雄が「日本仏教は衰退する」と言ったのはもう70年も前のことです。それは現在一層拍車が掛かっています。宗教者でも何でもない葬儀社が法事を代行していますね。以前、筆者は親しい友人の葬儀で、葬儀会館に雇われた僧侶の読経のあまりのいいかげんさに驚ろいたことがあります。第一、仏教に故人の供養の思想はありません。わが国の仏式の先祖供養は、古来の素朴な神式のものと仏教が習合したものなのです。筆者もけっして、仏式の葬儀を否定はしませんが。

 それどころか、近年では、ネット上、旦那寺でもなんでもない寺の僧侶を派遣するサービスさえあります。遺族はその料金表から適当なセットを選べばよいのです。さらに、子孫が遠方に移住して、寺と檀家との距離がますます開き、無縁仏が増えています。東京に巨大なお墓ビルが出来ました。全自動式で、カードを入れれば「わが家のお墓」が眼前に出てくるのには驚ろかされました。

 僧侶たちが少しでも早く本当の教えとは何かに気が付かないと、わが国の仏教は滅びます。あのキリスト教でさえ信者は減少しているのです。