道元禅師の悟りの瞬間

 日本曹洞宗の開祖道元禅師(1200-1253)は〈正法眼蔵〉の著者としても有名ですね。

 道元は25歳から27歳まで南宋の天童如浄(1162‐1227)の元で修行しました。道元の資質と並々ならない求道の意欲を感じ、如浄は「聞きたいことがあれば、いつでも私の部屋を訪ねさい」と、特別待遇をされました。道元の豁然大悟はその途中で起きたと言います。

その事情は、200年後、永平寺十四世の建撕がまとめた道元の伝記〈建撕記〉(註1)に見えるものです。200年後と言うのが少々気になりますが、永平寺では代々有名な話だったのでしょう。

註1 詳しくは〈永平開山行状建撕記〉と言います。全1巻。文明4年(1472)までに成立したと言います。

 道元の豁然大悟

 如浄の下で修行していた道元は二十六歳のある日、隣で坐禅していた僧が睡魔に襲われた。すると如浄が「坐禅で惰眠をむさぼるとは何事か!」と大喝した。この一喝で道元は豁然大悟したと言います。夜明けを待って如浄を訪れ「身心脱落しました」と申し述べました。如浄はうなずきながら「坐禅の究極において、我々の身と心は、身と心を脱落する以外にはない」と示しました。如浄の下で修行を始めてわずか二ヵ月目でした。

 〈身心脱落〉は如浄が「坐禅とは身心脱落なり」と常に口にする言葉であり、如浄禅の根本をなすものです。

筆者のコメント:なぜ身心脱落できたことが豁然大悟したことになるのか。筆者には少し釈然としないところがあります。如浄ならではの判断かとも思われるからです。

 禅は唐代に大きく発展しましたが、宋代になると、勢いが衰えました。その時立ち上がったのが如浄で、「自分こそは釈尊以来の仏教の正統な後継者である」と公言しています。その後継者と目されるのが道元ですから、釈迦仏教の本道はわが国へ伝わったとも言えます。如浄は、いわゆる只管打座を旨とし、問答を重視する臨済禅とは大きく異なります。しかし、中国でもわが国でも、臨済禅は盛んに行われていますから、如浄の言うことは少し割り引いて考えるべきだと、筆者は思います。

 じつは、現代のわが国では、「身心脱落の意味は正しく解釈されていない」と筆者は考えます。たとえば東京大学人文社会系教授頼住光子さんは、〈正法眼蔵・現成公案〉の一節、

・・・・万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり・・・・を取り上げ、

「・・・・私たちが「自分」というものに固執しているかぎり、そういう身心脱落には至らない。自分というものを手放し、あらゆるものとの関係性の中にあって、今、ここにこうしている自分を見極める。それによって初めて、自分の身や心に対する執着がなくなって解脱できるということを、道元はここで言おうとしていると思われます」と言っています。日本の仏教研究家は、ほとんどこのように解釈しているのです。いかにももっともらしいのですが、筆者は「そうではない」と考えています。

 真意は、筆者のブログシリーズをお読みいただければお分かりになるはずです。

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