神(心)霊現象と私(3)

 すぐれた思想家である小林秀雄さんは心霊現象について「あたりまえなこと」と言っています(「人生について」文春文庫など)。霊的体験もされています。その態度が小林さんの思想の幅と奥深さをもたらしたのだと思います。フランスの哲学者アンリ・ベルクソンや、民俗学者の柳田国男さんは、小林さんが尊敬する人たちですが、いずれも心霊現象について柔軟な受け止め方をしているのです。

 「知の巨人」立花隆さんも、神の世界や死後の世界の有無について徹底的に調べました。立花さんの「知への欲求」が、それらを学ぶ強い衝動になったのでしょう。そのため、「脳の特定の場所に弱い電流を流すことにより、神秘体験ができる」との言葉を信じ、わざわざアメリカの某医学研究所まで行きました。結局、その体験は得られませんでしたので、立花さんは「これでこの問題は卒業した」と言っています。しかし、立花さんは入口を間違えたのです。もし私と同様の入り口から入っていれば、同じ体験をしたはずです。それがなかったので、立花さんの思想の幅は広がらなかったと思います。惜しいことです。

 じつは、私が宗教団体に入っていることを親しい後輩が心配してくれました。そこで共通の恩師に働きかけて一席を設けて下さったのです。後輩の心配はもっともです。当時はオウム真理教事件で騒がしい時でしたから。ただ、そのとき恩師は「穏やかに見守る」という態度でした。恩師はきわめて寛容な人柄で、新しい思想にも柔軟な受け止め方をする人でしたから。けっきょく私は後輩の心配には応えませんでした。その結果、今に至るまで神や神(心)霊現象に強い関心を持ち続けています。それが禅と神を結びつけてくれたのです。それはとてもいいチャンスだったと思うのです。

 もちろん、柴田さんは自由です。

7 thoughts on “神(心)霊現象と私(3)”

  1. 今回も興味深かかったです
    そして、また気づかされました。

    この前お話した日蓮宗のお上人と先日お会いして霊の話をしました。
    お上人曰く、
    霊感があるだけでは霊を恐れるだけだ。かつての自分も霊を恐れていた。観応をひらくことだ。そうすれば霊を説得でき、成仏へ導くことができる。
    観応をひらくには、捨て身になって行じつづけること。霊も人も動物も同じだ。全てを仏様にお任せてして、捨て身になって説得すれば通じる。人だろうと霊だろうと。
    霊を恐れるのは、捨て身になれていないからだ。我が身を大事に考えているから、見透かされているのだ。と

    霊を特別視せず、他の生物と又は他の物事と一如としてみること。それが大事なのだと。
    また一つ、気付かされました
    中野さんありがとうございます

    1.  私がかなり思い切ったことを言ったにもかかわらず、真正面から受け止めていただき、とても喜んでいます。
      前にもお話した通り、私は霊をむしろ気の毒な存在と考えています。そしてご縁があったらその時は特別な修法を以て成仏させてあげようと思っています。
      去年にも霊感の強い人が訪ねてきて、「憑依されているので助けて欲しい」と。私は「この人に取りついていてもこの人が苦しいだけです。
      あなたを光明輝く世界へ送って差し上げます」と。成仏されたと思います。
      いつか、柴田さんとのこのやり取りの続編をブログで取り上げさせてください。

  2. 続編も楽しみにしておりますね

    さっきふと気が付いたのですが、
    人には佛性があり、また霊性があり、それらも又一如であるのだと。

    わたしも少し前までは吃音によって苦しめられ世界を恨み憎しみ世界が歪んでみえていました。
    それが今では、吃音によって様々なモノや人と出会いそして、中野さんを起点として禅と出会った。少しづつ世界を現成公案として観れるようになってきた。世界は歪んでおらず、わたし自身が歪んでいたことに気が付かされてきました。

    世界が歪んで見えた頃のわたしが死ねば、わたしは霊になっていたかもしれない。
    そして今、少しづつ佛性が出始めていると感じます。(たんなる思い込みかもしれませんが)

    つまり、わたしはわたし自身に佛性と霊性があることを感じているのです。
    そして、佛性と霊性もまた一如であると気が付きました。

    この気付きが嬉しくてついまた長文コメントになってしまいました。

    1. よいお話ですね。まず柴田さんは他の吃音の人たちに優しく接することができます。その人たちは「自分は孤独ではない」と感じると思います。
      それはとても大きなことです。柴田さんの吃音は決して無駄でも不愉快なことばかりではなかったのですね。
      タイトルは代えさせていただきました。

      (以下は続編でお話しさせてください)。

    2. 柴田さま
       ご無沙汰しています。「お会いするのはもう少し後で」と私が言ったことから、少し疎遠になってしまいました。
      柴田さんが禅と出会い、霊性や仏性への扉が開いたことはとても良かったと思います。大部分の人はそれらの世界に気が付かずに人生を送っているのですから。
      しばらくはブログの記事をお読みください。できるだけ多角的にお話ししていますから。もちろん目的は一つ、「苦しい時を乗り越える知恵を探ること、つまりは死生観の確立」です。
      また何なりと、心に浮かぶことをお話しください。

  3. 中野さんお久しぶりです
    最近は縄文文化と巨石信仰に興味が湧いてきまして遺跡を訪ねたり本を読んだりしておりました。興味深くていろいろ調べているうちにご無沙汰になっておりました。

    私としましても未だ中野さんと有意義なお話をするには私自身に足りないものが沢山あると思っておりましたので、また今度 機会があればというご提案は良いことと思っております。

    また度々質問いたします
    よろしくお願いします

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