兼好法師の死生観

 卜部兼好(うらべのかねよし、吉田兼好とも。1283?-1352?鎌倉時代末期から南北朝にかけての官人・歌人)は、〈徒然草〉の作者としても知られています。その独特の人生観や社会観は今でも多くの人の心をとらえており、中学・高校の教科書ににも必ずと言いほど載っています。

 ・・・・若きにもよらず、強きにもよらず、思い懸けぬは死期なり。今日まで遁(のが)れ来にけるは、ありがたき不思議なり(徒然草百三十七段)・・・・

 「若かろうと、どんなに頑健だろうと、いつ来るかもしれないのが死だ。今まで遁れてきた方が不思議なのだ」と言っているのですね。まったくそのとおりでしょう。

 「朝、起きてこないので見てみたら・・・」筆者の教え子の奥さんのことです。賀状に「一人暮らしをしています」とあったので驚いてお茶に誘ったときの言葉です。筆者の後輩の死も同じでした。古い友人からの喪中はがきに、「昨年、家内が突然の発病、わずか二週間の入院で亡くなった」と。この歳になりますと死が隣り合わせにあることを感じています。

 しかし、吉田兼好の言葉は、前向きに転じます。

・・・・されば、人、死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづらがはしく外の楽しびを求め、この財(たから)を忘れて、危うく他の財を貪るには、志(こころざし)満つ事なし。生ける間(あいだ)生(しょう)を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理(ことわり)あるべからず。人(ひと)皆(みな)生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり(同第九十三段)・・・・

 すばらしいですね。これこそ兼好独特の人生観でしょう。

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