山川宗玄師「無門関」(5)

 第十七則 国師三喚 

 原文:

 国師三たび侍者を喚ぶ。侍者三たび応諾す。

国師云く「将(まさ)に謂(おも)えり、吾れ汝に辜負(こふ)すと。元来却って是れ、汝吾れに辜負(こふ)す。」 

 現代語訳:南陽の慧忠国師が侍者を三たび喚ぶと侍者はそのつど「はい」と返事した。

国師は「なんだ、私はお前さんの悟りたいという期待に応えられない(お前は未だ悟っていない)と思っていた。しかし、本当はお前さんは既に立派に悟っていて、わし(国師)の期待に答える必要はなかったのだな(悟って貰いたいという期待を既に裏切っていたので国師の期待に答える必要はなかった)」と言った。

 山川師の解釈:慧忠国師が侍者を三回呼んだこと。この老師は辛抱の良い人ですね・・・・雲水というのは「鑿と言えば槌、鋸と言えば鉋、筆と言えば硯と一緒に持って行く。それくらいのことがすぐ理解できて動けないようでは隠侍(お付きの人)失格だ。

 筆者の感想:ここでも山川師は間違えているのです。この公案の正しい意味も、

上記の第七則 趙州洗鉢第十五則 洞山の三頓と同じなのです。

山川宗玄師「無門関」(4)

  4)第十五則 洞山の三頓

原文:
 雲門、因みに洞山の参ずる次で、門、問うて曰く「近離(きんり)甚(いず)れの処ぞ」。

(洞)山曰く「査渡(さと)」。

(雲)門曰く「夏、甚(いず)れの処にか在る」。

(洞)山曰く「湖南の報慈(ほうず)」。

(雲)門、曰く「幾時か彼(かしこ)を離る」。

(洞)山曰く「八月二十五」。

(雲)門、曰く「汝に三頓(とん)の棒を放(ゆる)す」。

(洞)山、明日に至って却って上って問訊(もんじん)す。「昨日、和尚三頓(とん)の棒を放(ゆる)すことを蒙る。知らず、過甚麼(とがいずれ)の処にか在る」。

(雲)門曰く「飯袋子(はんたいす)、江西湖南便(すなわ)ち恁麼(いんも)にし去るか」。

(洞)山、此(ここ)に於いて大悟す。 

現代語訳:

 洞山が独参した時、雲門は「そなたは一体何処から来たのか」と聞いた。

洞山「査渡(さと)から来ました」。

雲門はさらに、「この夏安居はどこで過ごしたのか」と聞くと、

洞山「湖南の報慈(ほうず)寺です」。

雲門「幾時そこを出てきたのか」

洞山は「八月二十五日です」

雲門は「お前のような奴には六十棒を食らわしてやりたいところだがその価値もない」と言った。洞山は何故そう言われたのかちっとも分からなかった。

 まんじりともせず夜を過し、翌日の朝を待って、雲門の部屋に行って尋ねた

「昨日、和尚さんは「『六十棒を食らわしてやりたいところだがその価値もない』と言われました。一体私のどこが間違っているのでしょうか」。

すると雲門は言った、「このごくつぶし野郎め、江西だの湖南だのと、一体お前さんは何を探してうろついておったのじゃ」。

 洞山はそのとたん大悟した。

 山川師の解釈:・・・・洞山が雲門にいろいろ聞かれてそのつど素直に答えていることを。「情けない」と人は色々評しておりますが、そう素直に答えた洞山の心境を、私は非常に愛したいと思います・・・・

 筆者の感想:山川師はぞれぞれの提唱の中で、次から次へとさまざまなエピソードを追加していますが、それらがこの公案とどうつながるのか、筆者にはわかりません。この公案も「〈本当の我〉に気付け」と言っているのです。つまり第七則 趙州洗鉢と同じです。

山川宗玄師「無門関」(3)

  4)第十五則 洞山の三頓

原文:
 雲門、因みに洞山の参ずる次で、門、問うて曰く「近離(きんり)甚(いず)れの処ぞ」。

(洞)山曰く「査渡(さと)」。

(雲)門曰く「夏、甚(いず)れの処にか在る」。

(洞)山曰く「湖南の報慈(ほうず)」。

(雲)門、曰く「幾時か彼(かしこ)を離る」。

(洞)山曰く「八月二十五」。

(雲)門、曰く「汝に三頓(とん)の棒を放(ゆる)す」。

(洞)山、明日に至って却って上って問訊(もんじん)す。「昨日、和尚三頓(とん)の棒を放(ゆる)すことを蒙る。知らず、過甚麼(とがいずれ)の処にか在る」。

(雲)門曰く「飯袋子(はんたいす)、江西湖南便(すなわ)ち恁麼(いんも)にし去るか」。

(洞)山、此(ここ)に於いて大悟す。 

現代語訳:

 洞山が独参した時、雲門は「そなたは一体何処から来たのか」と聞いた。

洞山「査渡(さと)から来ました」。

雲門はさらに、「この夏安居はどこで過ごしたのか」と聞くと、

洞山「湖南の報慈(ほうず)寺です」。

雲門「幾時そこを出てきたのか」

洞山は「八月二十五日です」

雲門は「お前のような奴には六十棒を食らわしてやりたいところだがその価値もない」と言った。洞山は何故そう言われたのかちっとも分からなかった。

 まんじりともせず夜を過し、翌日の朝を待って、雲門の部屋に行って尋ねた

「昨日、和尚さんは「『六十棒を食らわしてやりたいところだがその価値もない』と言われました。一体私のどこが間違っているのでしょうか」。

すると雲門は言った、「このごくつぶし野郎め、江西だの湖南だのと、一体お前さんは何を探してうろついておったのじゃ」。

 洞山はそのとたん大悟した。

 山川師の解釈:・・・・洞山が雲門にいろいろ聞かれてそのつど素直に答えていることを。「情けない」と人は色々評しておりますが、そう素直に答えた洞山の心境を、私は非常に愛したいと思います・・・・

 筆者の感想:山川師はぞれぞれの提唱の中で、次から次へとさまざまなエピソードを追加していますが、それらがこの公案とどうつながるのか、筆者にはわかりません。この公案も「〈本当の我〉に気付け」と言っているのです。つまり第七則 趙州洗鉢と同じなのです。

山川宗玄師「無門関」(2)

 無門関・第五則  香厳上樹

原文:

 香厳(きょうげん)和尚云く「人の樹に上るが如し。口に樹枝をふくみ、手を枝に攀(よ)じず、脚は樹を踏まず。樹下に人有って西来(せいらい)の意を問わんに、対(こた)えずんば即ち他(かれ)の所問に違(そむ)く、若し対えなば又た喪身失命せん。正恁麼(しょういんも)の時、作麼生(そもさん)か対(こた)えん」 

 現代語訳: 香厳和尚が云った「人が高い樹に登るとしよう。しかも彼は口で樹の枝を咥え、両手を枝から放し、両脚も枝から外し宙ぶらりんになったとしよう。その時、樹下に人がいて『禅の根本義は何ですか』と質問したとしよう。これに答えなければ質問者に申し訳けが立たないし、かといって、答えたならば木から落下していっぺんに死んでしまうだろう。このような絶対絶命の時どのように答えれば良いだろうか」

 山川師の解釈:公案はもともと非現実的で不合理なものが多いのです。この公案もそうです・・・・私はここ(正眼僧堂)で修行を始めたころ、あまりの苦しさに、倒れればいいんだ。倒れれば家へ帰る口実ができると思いました・・・・夜の座禅の時、ああ今日も2時間しか寝られないなあ、と思った瞬間、いや今日は2時間もねられるなあと思った、その時感動で涙がとめどなく流れた。その時本当に生かされているんだと思った。草も木も石も月も、あらゆるものが自分を生かしてくれているんだ。なぜそれまでの間に倒れなかったのか。それが本当に分かった気がしました・・・・絶体絶命の時、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり筏乗り」これをしなければ本当の解決にはならないんだ・・・・。

 筆者の感想:よいお話ですね。しかし、この公案の真意は違うと思います。第一、山川師の解釈では公案にはなりません。なぜなら無門慧開禅師は評唱で、「たとえ水が流れるように滔々としゃべっても、何の役にもたたない。大蔵経典を説くことができても、これもまた何の役にもたたないぞ。もしこのような場面に直面してもたじろがず、きちんと対応できるならば、それまで地獄道にさ迷っていた死人を活き返らせることができる・・・・」と言っているからです。つまり、「禅は理屈であれこれ言っても疑問の解決にはならない」という意味で、当時も今も修行僧たちは、あまりにも公案の解釈に熱を上げ過ぎていたことへの痛烈な批判なのです。

山川宗玄師「無門関」(1)

 山川宗玄師は、岐阜県美濃加茂市にある臨済宗正眼寺・正眼僧堂師家(指導者)です。山川師は禅の公案集〈無門関〉について、ニューヨークにある臨済宗・金剛寺での講演会で解説しました(〈無門関の教え・アメリカで禅を説く〉淡交社)。なお、山川師については、すでにブログでも紹介しました(2019/7/4)。

 山川師は上記の著書で、〈無門関〉48則のうち20則を取り上げ、解説しています。そのうち幾つかについて、山川師の提唱と、それについての筆者の感想をお話します。

 1)まず第六則 世尊拈華(せそんねんげ)です。元の話は、

 原文:(本則のみ。以下同じ)

 世尊、昔、霊山会上に在って、花を拈じて衆に示す。是の時、衆皆な黙然たり。惟(ただ)迦葉(かしょう)尊者のみ、破顔微笑す。世尊云く、「吾に正法眼蔵・涅槃妙心・実相無相の微妙法門あり。不立文字教外別伝 摩訶迦葉(まかかしょう)に付嘱(ふしょく)す・・・・です。

 現代語訳:ある日のことブッダは霊鷲山での説法において大衆にむかって静かに金波羅華〈こんぱらげ〉という花を高くかざして示された。このとき大衆はその意味が分からず、ただ黙ったまま何の言葉も出せなかった。このとき一番弟子の迦葉尊者だけが破顔し微笑したのである。この微笑にブッダは迦葉こそわが真意を解した。「吾に、正しき智慧の眼(正法眼)をおさめる蔵があり、涅槃〈悟り〉に導く絶対なる法門がある。この法門は言葉によらず、文字によっても教えられない。微妙の法門である。この我が真実の法の一切を迦葉に伝える・・・・

 山川師の解釈:・・・・その後派遣されて和歌山県の興国寺へ行った。本尊は釈迦牟尼仏で、通常の座禅ではなく、花をかざした(拈華)お姿だった。2-3年後、たまたま来訪した観光客に「これは珍しいブッダのお姿ですよ」と説明し、釈迦牟尼仏を指さしたとき、ハッと気づいた。〈花が咲く〉は〈咲(わら)う〉だ。花が咲き、花が笑い、迦葉尊者が笑い、ブッダが笑った。天地が笑い、神仏が笑い、花が笑った。その笑いの中で一つになった。それを了解しました・・・・。

 筆者の感想:つまり、山川師は「〈花が咲く〉は〈咲(わら)う〉だと分かった」と言うのですね。そして「日本語はすばらしい」と。ずいぶんな〈こじつけ〉だと思います。第一に、これではブッダと迦葉の間で何が伝わったのかまったくわからず、〈公案〉にはなりえないのです。山川師もこのエピソードが〈大梵天王問仏決疑経〉という偽経、つまり、中国で作られたお経であることは承知していますが、偽経であることの意味を分かっていません。ブログでもお話したように、このエピソードは明らかにを説いているのです。おそらくそのために中国の禅宗の誰かが作ったお経なのだと思います。