法華経と宮沢賢治

法華経と宮沢賢治

 「法華経」を読み解く上での困難

 まず、「法華経」など仏教経典に出てくる「仏」とは、釈迦牟尼仏(釈迦)のことです。しかし、言っていることはまさしく「神」のことです。なぜ釈迦をたんなる尊敬ではなく、文字通り神格化するのか。それは仏教の成り立ちを考えればなりません。仏教では「神」という絶対者の存在を認めません。なぜなら、仏教がそれ以前のインドの宗教であるヴェーダ信仰(神を最高とする)のアンチテーゼ(対立概念)として成立したからです。まさに富永仲基の言う「加上説」ですね。明らかに「神」を指しているのに「神」とは言わず、「釈迦牟尼仏」と言うのには、やはり無理があると筆者は考えます。

 「法華経」を読み解くには、しばしば出てくる、「われは無量千百万億阿僧祇劫においてこの得難き阿耨多羅三藐三菩提を修習せり」とか、「六千五百万憶那由他の恒沙河(ガンジス川の砂の粒ほど多い)の諸仏を供養せり」とか、「大通智勝仏の寿命は五百四十万億那由他劫である」とかいう、やたらに大きな数字、やたらに装飾的な言葉に辟易としながらも、がまんして読み進まなければなりません。「法華経」の解説者が、 ・・・大乗経典は物語性に富み、想像力豊かな舞台構成を有し、劇的な展開に満ち、深い人間存在の追及を示す・・・と言って称賛しますが、筆者など、荒唐無稽としか言いようがないハリボテフィクションだと言いたくなります。「法華経」の本質を突き止めるには、砂やゴミの山の中に埋もれれている金の粒を選り出すように精選しなければなりません。

宮澤賢治と法華経

 宮沢賢治が熱烈な法華経信者であり、数々のすぐれた作品も「法華経」の精神によって裏打ちされていることはよく知られています。

 賢治と「法華経」との出会いは、「宮沢賢治」(宮沢賢治記念会発行)によると「18歳で『漢和対照妙法蓮華経』を読んで体が震えるほどの感動を受け、以後、法華経信仰を深め、鮮烈な生涯を送った」とあります。1919年に盛岡高等農林学校を卒業後、同21年には、田中智学が指導する日蓮主義の在家集団「国柱会」に入会し、熱烈な信者になりました。父親(浄土真宗信者)や、盛岡高等農林以来の親友保阪嘉内を折伏しようとして義絶同然になったり、花巻の街をうちわ太鼓をたたきながら歩き回ったりしたと言います。臨終に当たって父親に「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください。私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい正しい道に入られますようにということを書いておいてください」と頼み、実行されました。

 宮澤賢治がなぜあのように熱狂的に「法華経」を尊んだのかは、賢治の心に聞いてみなければわからず、推定するしかありませんが、「法華経」にはいかなる人にも仏となる素質があり、善人も悪人も最後には仏になれる。あるいは、迷悟・善悪・大小・貴俗などはすべて釈迦(神)が作られたものだから価値の差はない、と説かれているからではないかと思われます。賢治の「法華経」信仰は、あの「雨ニモマケズ」の詩に表れていると思います。

雨ニモマケズ
 ・・・・・・
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
・・・・・・
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
・・・・・・
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

つまり、「法華経」から、絶対的な他人への奉仕の精神を学び取ったのでしょう。ちなみにこのデクノボウとは、「法華経」にある常不軽菩薩、すなわち、誰に対しても「あなたを尊敬します。あなたは仏ですから」と言った菩薩のこと、(じつは釈迦)と言われています。

法華経と道元、良寛さん、賢治(1,2)

法華経と道元、良寛さん、道元(1)

 はじめに

 「法華経」は初期大乗経典(般若経、法華経、維摩経、無量寿経、阿弥陀経)の一つであり、紀元1世紀から紀元3世紀までに成立したとされています。現代でも法華宗系統の宗派では「釈迦が最後にお説きになった最高の経典」と考える人が多いです。しかし、前にも書きましたが、この経典は釈迦の思想とはほとんど無関係です。現在でも法華経を根本経典とする宗派は、日蓮宗、創価学会、立正佼成会、顕正会など数多くあり、信者(世帯)数は1600万人以上に上ります。

 筆者は30数年前に初めて法華経を読んだとき、「???」と思いました。「法華経はすばらしい」「法華経はすばらしい」と書いてあるばかりで、なかなか本題に入らないからです。結局本題はよくわかりませんでした。たとえば源氏物語の中に「源氏物語はすばらしい」「源氏物語はすばらしい」と書いてり、源氏物語の本文がなかったら、やっぱり変でしょう?そうしているうちに、すでに同じようなことを言っている人がいることを知りました。

法華経は効能書きばかりで中身がない薬のようなもの

 江戸時代の学者富永仲基は、「法華経一部、只讃言のみ、仏を讃めたたえるか、自画自賛する言葉だけで教理らしきものは説かれていない。経と名づけるに値しない」と言っています(註1)。さらに、平田篤胤(1776-1843、 古神道の復活に寄与した人。以前お話した「勝五郎再生記聞」の著者 註2)も、「みな能書きばかりで、かんじんの丸薬がありはせぬもの」と言っています。

註1「出定後語」(日本思想大系43・富永仲基・山片蟠桃)の作者。のちほど改めてお話します。

註2「出定笑語」。富永仲基の「出定後語」をもじったもの。両著についての検討は菅野博史氏の東洋大学紀要に詳しい:https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/15718.pdf

 一方、現代の尾崎正覚さんは、「仏教学者の中には、『法華経そのものは、仏が広大な功徳を持つ有り難いお経を説いたと述べるだけで、説かれた筈の肝心の経の内容については何も説かず、恰も薬の効能書きだけで中身のない空虚な経だ』と言う者もいる。然しそれは正に彼等が仏法を知らないことを自ら暴露するものである」と言っていますが・・・。

 その後筆者は、敬愛する良寛さんや道元禅師が深く「法華経」に傾倒していることを知りました。「正法眼蔵」には別巻として「法華転法華」の巻がありますし、良寛さんには、「法華転」と「法華讃」という、文字通り「法華経」を礼賛した詩があることもわかりました。・・・と聞けば看過することはできないと、再びできるだけ精密に「法華経」を学び直しました。これからのシリーズはそれを基にしています。

 まず、本題に入る前に、皆さんにぜひ確認して置いていただきたいことがあります。それは「法華経」は釈迦の思想とはほとんど無関係だということです。「法華経」は、上述のように、いわゆる大乗経典の一つであり、釈迦の死後数百年も経ってから成立した経典です。つまり、釈迦の思想はそのごく一部にしか残っていないのです。これを「大乗非仏説」と言い、大乗教典類が成立したころから言われていました。そして、現在ではほとんど定説になっていますが、それを初めて体系立てて述べたのは江戸中期の学者富永仲基(1715-1746)です。仏教の経典のすべてを集めたものを一切経(大蔵経とも)と言い、約5000巻あります。富永がそれをすべて読破したかどうかはわかりませんが、「さまざまな経典は、必ずそれ以前の考えを乗り越えるものとして成立した」という、「加上説」を唱えました(前出「出定後語」)。それ以前は、経典はすべて釈迦が説いたものだと言われていましたから、後代、だんだん積み重ね(増広)られて行ったと看破した富永は恐るべき天才と言えるでしょう。道元はもちろん「法華経は釈尊が直接お説きになったものだ」と確信していたでしょう。良寛さんは、富永より50年くらい後の人ですが、当時の国情から考えれば、富永の考えは知らなかったと思います。

 追って「法華経」の内容についてくわしくお話しますが、「法華経」は釈迦の思想とはほとんど無関係だとすれば、道元も良寛さんの考えもよほど変更を余儀なくされるでしょう。それでも道元は「法華経は経典の王である(「正法眼蔵 帰依仏法僧宝巻」」と言えるかどうかですね。

法華経と道元、良寛さん、賢治(2)

 まず、「法華」とは法(宇宙真理)の華(花)という意味で、「法華経」はそこからつけた名前です。「法華経がまずあって」ということではありません。前回お話したように、「法華経」のような大乗経典類は、それまでの初期仏教(部派仏教とも)に対する批判から成立しました。それまでの初期仏教では、修行者自身がお寺などに籠り、ひたすら自己の悟りをめざして瞑想などをしていました。「それでは大衆のためにはならない」と、「自未得度先度他」(たとえ自分が悟りを得られる前でも、他の人の悟りへの道を助ける)を重視して大乗の教えが発達したのです。それは現代でも、法華宗の信者たちが、ともすれば強引に折伏する態度によく表れています。
 「法華経」の崇拝者たち(道元ですら)が、初期仏教のことを「小乗」と称していますが、以上の経緯から名付けた貶称(バカにした言葉)なのです。筆者は大乗経典も尊重していますが、まず釈迦自身の思想をぜひ知りたいと思っています。その意味で、釈迦の思想そのものを色濃く残していると言われる初期仏教の経典(パーリ語経典類)に強い関心を持っています。
 たしかに釈迦は傑出した思想家でしたが、古来インドには哲学的国民性があり、釈迦以降にも沢山のすぐれた思想家が出ています。「法華経」などの大乗経典類の作者は知られていませんが、釈迦に劣らないほど優れた人だったのでしょう。その人たちが大乗仏教を盛んにする一方、現代ではむしろ、仏教とは異なるヒンズー教などが主流を占める原因となっているのです。これらの事情をよく念頭に置いて「法華経」を学んでいただきたいのです。

 法華経とは

 「法華経」には四つの大きな論点があると思います。第一が、「初期仏教にはない最高の教えを説いている」とする点で、一乗の教えとか、阿耨多羅三藐三菩提、あるいは無上正等覚と呼ばれるものです。第二は、「すべての人には仏性(仏となれる素質)があるというものです。第三が、「善悪、美醜、貧富など、一切の対立概念がない」こと、そして第四が上で述べた「自未得度先度他」の思想です。

 では「法華経」で説く最高の教えとはなにか。じつは、「それは最高の悟りに達した者だけがわかる」と言うのです。すなわち、

「法華経方便品」には、

 ・・・舎利佛よ、要約して言うならば、計り知れないほど多くの、しかも未だかつて示さなかった教えを、仏はことごとく身に付けている。止めよう。舎利佛よ。再びこの教えを説く意思はない。理由は何故かというと、仏が身に付けているこの教えは、第一に優れ、類のない、理解しがたい教えであるからだ。ただ仏と仏だけが、あらゆる事物や現象や存在の、あるがままの真実の姿かたちを、究めつくすことができるのだ(下線筆者)・・・

最後の下線は、よく知られた漢訳の「唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相」です。そして「如来寿量品」には、

 ・・・三界に住む者が三界を見るようなことではない・・・

とあります。つまり、「三界(欲界・色界・無色界)を輪廻するお前たち衆生が見る世界とは違う」と言っているのです。
                           (以上、日蓮宗精勤山西鶴寺 加藤康成師訳)

 まったく、「あれだけ重要な経典だ、重要な経典と言っていながら、いい加減にしてくれ」と言いたいですね。それが筆者が最初に読んだとき「???」と思ったところなのですが、道元や良寛さんはちゃんと読み取っているのです。以下、道元の「正法眼蔵」や良寛さんの「法華讃」を参考にして筆者が理解できたところをお話します。結論から言いますと、最高の悟りに達した者が見るこの世の姿と、大衆の見る世界とはまったく違うのです。そして、「法華経」はやはりすばらしい経典だったのです。

神は実在されます(1)

神は実在されます(1)

 筆者がこのブログシリーズを書いてきて、「宗教とは」をお話するキーポイントは、神と死後の世界の実在について、筆者がどう受け止めているかをお伝えすることだと感じています。神や死後の存在を「受け止められない」とか、「そこがわかれば」と言う人は多いはずです。そして、それらが納得できれば、大震災などで大切な人を亡くした人たちの心がどれだけ癒されるかわかりません。

 以前お話したように、筆者は神の実在を確信しています。筆者は生命科学の研究者として生きてきました。その過程で、たくさんの人たちの協力で、あるたんぱく質の遺伝子構造を明らかにすることが出来ました。そのたんぱく質は、あるはたらきを持った酵素の一種で、各種のアミノ酸が重合したものです。まずそのたんぱく質を精製し、次いでアミノ酸の配列順序を明らかにしました。それを基にそのアミノ酸配列を決める遺伝子DNAの構造を推定しました。今度はそれを同じ構造を持つDNAを人工合成し、それを鋳型としてたんぱく質を合成しました。そしてそのたんぱく質の機能を調べてみますと、まさしく元の酵素たんぱく質の働きが再現できたのです。その遺伝子の構造を眺めている時、突然「生命は神が造られた」との考えが浮かびました。そのときは別に、神の存在について考えていたのではありません。「ハッ」と、「生命は神によって造られた」と確信したのです。

 生命だけではありません。じつは山も川も、それどころか宇宙も、その元になっている素粒子も、ダークマターもダークエネルギーも神が造られたと思っているのです。宇宙は138億年前のある時、ある場所でビッグバンという大爆発が起こって始まったことは、今では疑う人はいません。しかし、よく考えてみますと、そのとき宇宙は無かったのです。なにもないところであることが起こったのです。ここにすでに論理の絶対矛盾がありますね。それからはるかに時が経過して、地球上に私たち知的生命が存在しています。しかし、地球上で知的生命が生まれたのも奇跡としか考えられないのです。人間のような高等生物が生まれたのは、地球が太陽からの距離の100±1~2%のごく限られた範囲にあったこと、月という衛星がちょうどいい位置にあったことなど、偶然に偶然が重なったからです(註1)。

註1 ビッグバンから人類の誕生に至る出来事がすべて、奇跡としか思えないハプニングの連鎖によって起こったという筆者の考えの根拠については、いずれくわしくお話します・・・。

 いま、宇宙物理学も急速な進歩を遂げています。しかし、科学がどれほど進歩しようと宇宙や生命が生まれた仕組みがわかるだけで、なぜその仕組みができたのかまでは不可知なのです。たとえば、現在17種の素粒子が知られています(最近18番目の粒子の存在の可能性が出てきました)。しかし、なぜ17種類で、なぜそれらの粒子がそれぞれの性質を持たねばならなかったのかなど、永遠に説明しかできないでしょう。
 筆者はこのブログシリーズで、これまで、筆者自身が体験したことに限定し、神と死後の世界についてお話してきました。しかし、読者の皆さんには、それでもなかなか納得していただけないのです。そのお気持ちはよくわかります。いえ、筆者はそれらを実体験できたことをほんとうに幸運だったと思っているのです。
 しかし、
読者の皆さんには、自分が体験できないからと言って、「ない」とか「受け止められない」と決めつけないでいただきたいのです。「見えたり感じたりする人もいるのだ」と思って下さい。あのマザーテレサは、インドコルカタのキリスト教系の学院の一教師だったのですが、休暇のため避暑地へ向かう汽車の中で「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くようにという啓示を受けた」と語っています。それが「神の愛の宣教者会」の創立につながり、「見捨てられた人々」の救済のための人生を送ったのです。筆者は、テレサと修道女たちによるの神への奉仕の様子を長編のドキュメンタリーテレビを見て、涙が止まりませんでした。
 明治以前の人に、テレビや電話というものを説明するのに、いくら「遠くにいる人と話したり、その人の姿が見えたりする」と言っても、理解させることは到底無理でしょう。現代の私たちがそれらの存在を確信しているのに。

「沈黙」‐踏み絵を踏んだのは遠藤周作さんです(1,2)

「沈黙」‐踏み絵を踏んだのは遠藤周作さんです(1)

遠藤周作さんの「沈黙」が再評価されているそうです。来年には映画も公開されるとか。再評価の理由は、欧米で「従来のキリスト教信仰は、教会主導色があまりにも強かった。これからは個人が尊重される信仰に」との思いが大きくなったためと言われる。読んだことのない人のために、簡単にあらすじをお話しますと、

 ・・・島原の乱が終わって間もないころ、ローマへ「日本へ派遣されたフェレイラ神父が、苛烈な弾圧に屈して棄教した」という驚くべき報告がもたらされた。ただちにその弟子ロドリゴらが派遣された。二人は途中のマカオでキチジローに出会い、その案内で五島列島に潜入した。五島では、隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われることになる。そして、幕府による弾圧にも屈なかったため、拷問の末処刑された信者たちの様子を目の当たりにした。逃亡し、山中を逃げ回っていたロドリゴは考えた「万一神がなかったならば・・・私は恐ろしい想像をしていた。彼がいなかったなら、殉教したモキチやキチゾウの人生は何と滑稽な劇だったか。多くの海を渡り、三か年の歳月を要してこの国にたどり着いた宣教師たちはなんという滑稽な幻影を見続けたのか。そして今この山中を放浪している自分も・・・」。やがてロドリゴはキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。

 神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、棄教したフェレイラが語りかける・・・その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾(いびき)のような音を止めてくれと叫ぶ。フェレイラは、その声が鼾なぞではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに「踏み絵」を踏むことを受け入れる。

 ロドリゴはすり減った銅板に近づけた彼の足に痛みを感じた。しかし、そのとき、踏絵の中のイエスが語りかける。
 ・・・踏むがいい。お前の足は今痛いだろう。だがその痛さだけで十分だ。私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのだ。私はお前たちのその痛さと苦しみを分かち合う。私はお前たちに踏まれるためこの世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ・・・。

 そしてロドリゴは踏み絵を踏んだ。ロドリゴは言う。
 ・・・主よ私は今まであなたが沈黙しておられるのを恨んでいました。あなたは沈黙していたのではなかった。あなたが沈黙していたとしても、私のこれまでの人生が、あの人について語っていた。私は今までとはもっと違った形であの人を愛している。私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。強いものも弱いものも無いのだ。強いものより弱いものが苦しまなかったと誰が断言できよう・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
 つまり遠藤さんは、「信仰がどん底まで落ちて、初めて新しい信仰が始まる」と結論付けているのです。
 しかし、筆者は、遠藤さんの考えをとてもそのまま受け止めることはできません。筆者はまったく別の角度からこの小説を読んでいます。それについては次回お話します。

「沈黙」‐踏み絵を踏んだのは遠藤周作さんです(2)

 「沈黙」は発表後一部の教会派から、強い批判を受けました。長崎県などでは禁書扱いだったとか。当然でしょう。あの地方は隠れキリシタンの「聖地」でしたから。筆者の今回のブログシリーズは、NHK「こころの時代」(2017年4月)に沿って話を進めています。しかし、これからお話することは、同じ情報についてですが、まったく異なる筆者の感想をお話します。

 遠藤周作さんは、お母さんの影響で12歳のときに洗礼を受けました。しかし、長い間、「合わない洋服を着ていた。自分の背丈に会うものに仕立て直さなければならない」と考えていたと言っています。そして、それが遠藤文学の大きなテーマだったと、遠藤文学の研究者であり、自身も熱心なクリスチャンである山根道公さん(ノートルダム清心女子大学教授)は言います。遠藤さんは、長崎の26聖人の殉教のその場や、外浦(そとも)の隠れキリシタンの住んでいた島を何度も訪れ、信者たちの話を聞きました。そして「沈黙」としてまとめたのです。山根さんは「『沈黙』のテーマは、遠藤さんが、モキチやキチゾウのような殉教者か、ロドリゴ司祭やキチジロウのような棄教者か、それともそれらを回りで見ていた人間なのかを確かめることだった」と言います。そして、遠藤さんは「私はキチジロウだった。母の私(遠藤さん)に対するキリスト者としての期待を裏切って来たからだ」と答えています。

 しかし、筆者は前述のように、遠藤さんの「沈黙」に込められた告白を素直に受け止めることはできません。結論を先にお話しますと、遠藤さんは、お母さんの期待を裏切って来たからどころではなく、まさに踏み絵を踏んだ人なのです。その理由は次のようです。じつは遠藤さんは、学生時代重症の結核に患かりました。そのとき、あまりの苦しさに「神などあるものか」という、キリスト者が決して口してはいけない言葉を吐いたのです。それを山根道公さんが「遠藤さんから直接聞いた」と証言しています。

 「神などあるものか」の言葉を吐いたことは、踏み絵を踏んだことと同じです。遠藤さんは結核が治ってから、その罪に苦しみ続けていたのではないでしょうか。26聖人の殉教地や、隠れキリシタンの里を訪れ、信者たちの話を聞いた時、客観的な目を通して取材していたのではなく、じつはその間、自分とはあまりにもかけ離れた「本物のキリスト者」すごさにおびえ続けていたのではないでしょうか。筆者は「沈黙」は、自分の罪を合理化(贖罪ではない)するために書かれたと思うのです。ロドリゴ司祭やキチジロウは架空の人物です。ロドリゴが、キリストの「踏むがいい」との言葉を聞いたというのも、フィクションですからいくらでも書けるでしょう。そして、「踏むがいい」と言われたとすることによって、自分の罪を正当化しようとした。つまり、遠藤さんにとって虫の良いフィクションではなかったかと、筆者は思うのです。

 前述のように、遠藤さんは「私は殉教者の立場なのか、棄教した人間か、それとも傍観者なのか」を見極めることが『沈黙』執筆の動機だった」と言っています。しかし、じつは初めから「自分は棄教者である」ことを承知し、その罪におびえ、何とか正当化したいと考えていたのではないでしょうか。遠藤さんは、ユーモアの人としても知られています。しかし、江戸時代の老人の格好をして銀座のバーへ行ったのは、ユーモアを越えているでしょう。その常識外れとも思える行動は、じつは踏み絵を踏んだことの罪悪感の裏返しではなかったかとも思います。そう考えると遠藤さんの行動が筆者の腑に落ちるのですが・・・。
 
 山根さんは「いま、欧米のキリスト教信者によって「沈黙」が高く評価されている」と言っています。「殉教などは教会が示す理想であり、もっと自由な信仰でありたい」という気持ちが、遠藤さんの『沈黙』に眼を向けさせた」と山根さんは言います。しかし、筆者はそうは取りません。欧米や中東の政治家や一般市民の多くは、熱心なキリスト教徒やイスラム教信者のはずです。しかし、その一方で、第一次大戦や第二次大戦、そしてその後の各国での様々な戦争で、大量殺人や虐殺をしているのです。まさに「神とは愛である」とのキリスト教やイスラム教の教理に反する行為でしょう。まともな精神を持った人間なら、それらの行為はまさに、自ら踏み絵を踏んだとわかっているはずです。したがって「もっと自由な信仰を」ではなく、「踏み絵を踏んだことを合理化させてくれる書」と勝手に解釈し、「沈黙」を評価しているのではないでしょうか。はたして、ロドリゴが踏み絵を踏んだことで、命を助けられた人たち(じつは彼らは結局殺され、ロドリゴの棄教は無意味だったのです)は喜んだでしょうか。筆者にはそうは思えないのです。

 最後に、筆者のこの感想は、信仰を持つ者としてのそれではなく、ロジックとしての疑問だということを付け加えさせていただきます。「沈黙」の発表当時、一部の教会派から批判された」のですが、それは教理にそぐわないからではなく、遠藤さんのこのごまかしが赦せなかったのだろうと思うのです。筆者もこの教会派も、遠藤さんには、はっきりと「自分は棄教した人間です」と告白して欲しかったのです。じつは、それだけで赦されるのです。これが神の愛だと思います。

 筆者は、このブログシリーズで、宗教学者の岸本英夫さんや、小説家の瀬戸内寂聴さん、吉村昭・津村節子夫妻の「信仰」について批判してきました。他人の信仰についてとやかく言っているのではありません。もちろん信仰は自由です。ただ、信仰を都合よく自分の信念に合わせたり、小説化することによって、本心を誤魔化したり、すり替えたりしないでほしいのです。

読者のコメントへの回答(1)

ブログに対するコメントへの回答

 最近ブログの読者から次のようなコメントがありました。

 >実に馬鹿馬鹿しい論理ですね。自己満足と自己陶酔に嵌っているだけでしょう
今の世に神話を信じている人がどの位居るでしょう。亡くなった人が神になったり石や木が神になったりはたまた動物まで神に、・・・誠に多種多様な八百万の神とは恐れ入ります。一神教の国も有り、此をどの様に整合されますか。鰯の頭も信心から・・・良く言ったものです。この世に神仏が存在するならば、震災も貧困も無くなるのでは。ましてや神仏が有るから戦争が無くならない事はお釈迦もキリストも知っていた筈です。弱い人類、不安だらけの人類を如何に洗脳で籠絡し、自分の主義主張を押しつけたのが宗教の始まりでは。・・・いい加減に他力本願を押しつける事は止めましょう・・・

筆者の回答:礼儀を弁えないのはあなたの品性の問題ですから、筆者には関わりがありません。第一、あなたのコメントが誰に向けられているかもはっきりしません。「無視しよう」とも思いましたが、「これから宗教の勉強を本格的に始めよう」としている人には参考になる点もあると思いますので、筆者の考えをお話することにしました。

 まず、あなたの考えはあまりにも素朴だと思います。

1)一神教か多神教か
 この問題は、それぞれの宗教・宗派の考え方ですから、筆者が関知するところではありません(筆者の考えはいずれお話します)。キリスト教やイスラム教のような一神教と、日本のような多神教の思想を統合するなど、まったく稔りのない議論になるでしょう。

2)この世に神仏が存在するならば、震災や貧困が無くなるか
 敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒の皆さんは、震災があろうと、貧困であろうと、神に対する絶対的な信頼は変わらないはずです。もし、争いも、貧困もなくなり、幸せばかりの人生ならば、この世に生きる意味がなくなってしまうのではないでしょうか。筆者など、極楽やシャングリラ(理想郷、あるとは思えませんが)では、暇でどうしようもないものになるでしょう。苦しみがあるからこそ、それを越えたとき喜びが湧くのではないですか。スピリチュアリズムでは、さまざまな苦しみを乗り越えて魂の成長を遂げることが、人間がこの世で生きる意味だと言います。
 この問題は、筆者のブログシリーズの主要テーマですから、これからも、折りに触れてお話していきます。

3)神仏があるから戦争が無くならないのか
 確かに世界の歴史はユダヤ教徒とキリスト教徒、キリスト教徒とイスラム教徒との争いの歴史だと言ってもいいでしょうね。それは現在でも世界各地で起こり、凄惨な殺し合いが行われています。しかし、正しくは、神仏があるのに戦争が無くならないのだと思います。戦争もするのもしないのも人間の意志です。

4)他力本願の押し付けかどうか
 イスラム教やキリスト教は法然の浄土思想と同じ、「ただひたすら神を信じる」ですね。他力思想です。滅多なことを口にしない方がいいと思います。あなたのこの考えを「神は偉大なり」とするイスラム教徒過激派が知ったらどう思うでしょう。